月とウサギと少女と魔法 |
《前編》 それは、とある月夜のこと。 仕事で遅くなったガウリイは、何時も通る道を家に向かって歩いていた。 別に待っている人が居るわけでも無し、夕食用に買ってきたパンの袋を抱えてのんびりと夜道を歩いていたガウリイの耳に、数匹の野犬の声が届いた。 ガウリイの家は街外れに立っている一件の家。そこに帰る途中にある丘の上に野犬が三匹何かを取り囲んでいるのが見えた。 野犬の一匹が何かに襲いかかる。 ばしっ!! ガウリイは自分の目を疑った。 野犬達に比べればずっと小さな白いウサギが野犬の鼻先を思いっきり蹴り上げたのだ。そのまま反動を利用して別の一匹も蹴り飛ばす。 なかなかやるなぁ、あのウサギ。 なんだか面白くなってきて、ガウリイは剣を鞘に収めたままゆっくりと攻防を続ける彼らの方に近づいて行った。 ウサギは自分の体の小ささと素早さを活かして巧みに野犬達の攻撃をかわしていたが、このままではいつかやられるのは目に見えていた。 そうこうしている間にもじわじわとウサギは追い詰められていっている。 ついに一匹の攻撃はかわしたものの、別の一匹に爪で弾き飛ばされてしまった。 野犬がウサギに致命傷を与える寸前、ガウリイはウサギを拾い上げ野犬の鼻先を鞘に収めたままの剣でしたたかに打った。 「悪いなぁ。お前さんたちの食事を邪魔するつもりは無かったんだが、なんだかこいつ見捨てられなくてな。かわりにこいつでも食ってくれ」 そう言って持っていたパンの袋を投げると、ガウリイは野犬からゆっくりと距離を開けていきその場を離れた。 どうやら、パンの方に注意がうまく向いたらしい。それを確認すると、ガウリイは足早にその場を離れた。 家に着いたガウリイは早速家の中を引っ掻き回し始めた。 「えーーーっと、薬はどこにしまったっけ……??」 どうやら薬を探しているらしい。その様子をウサギは澄んだ紅い目でじっと見ていた。 「お、あったあった。ほら、足見せてみろ」 純白の毛皮が真紅の血で濡れている。ガウリイは丁寧に傷口を洗うと消毒液をつけ包帯を巻いた。ウサギは暴れもせずじっとしている。 「お前さんちゃんと大人しくして偉いなあ。ルークのとこの犬なんてちょっと怪我しただけで大騒ぎしてたぞ」 わしわしとウサギの頭を撫でてガウリイは立ち上がった。 「お前さんの寝床を作らなくちゃな………」 山と積み上げられたガラクタの中から空き箱を取り出すと、自分のベッドから毛布を剥いでその中に敷き詰めた。 「怪我しているからな、寒くしちゃまずいだろ。ほら、これでいいぞ」 ウサギを箱の中に入れ、毛布でくるむ。ちっちゃなウサギはまるで毛布の海の中に飛び込んだみたいに見えてガウリイは笑った。 「さてと、晩飯はあいつらにやっちまったからな。俺も寝るとするか」 毛布の無いベッドに潜り込み、手だけ伸ばして枕元に置いた箱の中のウサギを撫でる。 「んじゃ、おやすみ」 ランプの明かりが消え、部屋の中は暗くなった。 月の光の中、ウサギの耳がぴょこんと動いた。 ★ ★ ★ 「………??」 なんだか良い匂いがしてガウリイは目を覚ました。 箱の中を覗くと、小さな白ウサギはすやすやと良く眠っている。 台所に向かったガウリイはテーブルの上の物を見て目を丸くした。 まだ熱い焼き立てのパン、ハムエッグにサラダにコンソメスープまでついている。 「何時の間に……??」 一応人の気配には敏感だと思っていたガウリイは首をひねった。これだけの物を用意した以上時間もかかっているし何より物音がしたはずである。 ほとんどほったらかしにしていた台所も綺麗に片付けられている。 「………ま、いっか。何だかわからんがここにこうしてあるって事は俺が食べて良いって事だろうし」 彼はこだわらない人物であった。 「こいつ、まだ眠ってるのか。んじゃ、ここに置いておくとするか」 千切ったレタスを皿に乗せて、起こさないようにそっと撫でるとガウリイは仕事に出かけた。 ★ ★ ★ 「ただいま〜、お、起きてるな」 夕方になって帰って来たガウリイは毛布から出ていたウサギを見つけてひょいと抱き上げた。 「まだ怪我が治ってないんだからあんまり動き回るなよ」 ウサギを抱いたまま台所に入ったガウリイは、持っていた袋をテーブルの上に置いた。 「さてと、お前さんには……」 コーヒーをいれる片手間にレタスを千切る。 「んじゃ、食うか。ほれ、お前さんはこっち」 ひょいとひざの上に乗せると、ウサギは嫌がってもがいた。 「ほらほら、暴れるなって」 レタスを口の近くに持っていくと、パクリとくわえる。その様子にガウリイは目を細めた。 コーヒーを飲みながらパンをかじっていると、ひざの上からウサギが食卓を覗きこんだ。 「何だ?お前さんも何か食べたいのか?」 ウサギはじっとガウリイの夕食を見ていたが、ぴょこぴょこと耳を振りながら今度はガウリイの方を見た。 その仕草に、「こんな食事なわけ?」とでも尋ねられているようでガウリイは苦笑した。 「ほらほら、お前さんもしっかり食わないと怪我が治らないぞ?」 レタスを差し出すとそっぽを向いたままかじる。くっくっと笑いながらガウリイはウサギをわしわしと撫でた。 適当に皿やカップを水洗いしてガウリイは自室に戻った。 ウサギの足の包帯を外し、傷の様子を見る。 「結構血が出てたから心配だったが……これなら大丈夫だな」 消毒をして新しい包帯に交換すると、ウサギをまた毛布の中に寝かせた。 「それじゃ、おやすみ」 明かりが消される。 ウサギの耳が、ぴょこりと動いた。 ★ ★ ★ そしてまた翌朝。 「ウソだろ?」 台所のテーブルの上に、また朝食が用意されていた。しかも今回は朝食だけではない。 テーブルの上にあるのはトマトとパスタバジルのパスタ、ヨーグルトのかかったサラダにコーヒー。そして一つの包み。 開けてみると中にはサンドイッチが詰められていた。 台所の鍋の中には野菜のクリームシチューが入っている。 「朝、昼、晩って事だなこりゃ。しかし一体誰が………??」 鍋の中のシチューをちょっぴり嘗めてみる。 「うまい」 鍋に蓋をしてガウリイはテーブルについた。 「誰がやったか分からんが、せっかくだからちゃんと食べなくちゃな」 謎の朝食に舌鼓を打つ。 ウサギにレタスを持っていくと、良く眠っている。 「お前さんは知ってるのかなぁ。俺に気づかせずに料理してってる誰かさんの事を」 小さく呟くとガウリイは立ち上がった。 しっかりお弁当のサンドイッチの包みを持って。 ★ ★ ★ 「で、それがそのサンドイッチか」 「おう。けどこれすっげーうまいぞ。ゼルも食うか?」 「そんな得体のしれん物食うのはお前だけだ」 しかめっ面のゼルガディスにガウリイは笑ってサンドイッチを口にほうり込んだ。 ここは街の警備員の詰め所。今はお昼の休憩中。 「ま、ゼルには愛妻弁当があるからなぁ」 「おいっっ!」 「何だ否定するのか?アメリアが泣くぞ〜〜??」 真っ赤になる生真面目な友人に思わず笑いがこぼれる。 「しかしガウリイに気配も感じさせずにそれだけの事をしていくとはな。他に変わった事とかなくなった物は無いのか?」 「いや、別に?」 「ふむ………」 「こんにちわ〜〜ゼルガディスさんいますか♪」 元気の良い挨拶と共に艶やかな黒髪をおかっぱ頭にした少女が入ってきた。 「ようアメリア。今日も愛妻弁当か?」 「やだガウリイさんてば、照れちゃいますぅ(はぁと)」 照れまくりながらアメリアはゼルガディスに包みを差し出した。 「あれ、ガウリイさんどうしたんですこれ?」 「ああ、これか?朝起きたらあったんだ」 「へぇ〜〜不思議なこともあるんですねぇ」 二人の会話にゼルガディスは頭を抱えた。 「お前ら……少しは怪しいとか思わないのか……??」 「??別に悪い事しているわけじゃないから良いんじゃないんですか?」 「他人の家に勝手に入るのは十分罪なんだが……」 「えぇ〜〜〜〜っっそうなんですか??」 ショックを受けたらしいアメリアに今度はガウリイが苦笑した。 「俺は別に構わないんだが」 「しかし、誰がやっているのかくらい調べた方が良いと思うが?」 「そうは言ってもなぁ……」 ガウリイはポンと一つ手を打った。 「ウサギなら知ってるかもしれんな」 「ウサギ?」 「ああ。二日前の夜に拾ったんだ。怪我してたからな。ちっちゃな白いウサギだよ」 「案外そのウサギが恩返しにしてたりして?」 「まさかなぁ」 笑い合うガウリイとアメリアの隣で、ゼルガディスだけが真面目な顔で考え込んでいた。 ★ ★ ★ 夜になり、ガウリイは家に戻るとシチューの鍋を火にかけた。 すぐ近くでウサギはじっとガウリイを見ている。 「こんなものかな」 シチューを皿に盛り、買ってきたパンを取り出す。 「こんな豪勢な夕食は久し振りだな。よっと」 いつも通りウサギをひざに乗せる。 「お前さんが来てからだな。こんな風に食事が良くなったのは」 ぴくりとウサギが反応する。 「あれ?もしかして本当にお前さんの恩返しか?」 ウサギは黙々とレタスをかじっている。その様子にガウリイは苦笑を浮かべた。 「……んなワケない、か。んじゃ、いただきます」 ウサギは耳をゆっくりと振った。 ★ ★ ★ 次の日は夜の見まわり当番の為ガウリイは午前中にたまっていた洗濯物を片付ける事にした。 洗濯をするガウリイの傍で、ウサギはその様子をじっと見ていた。 何となく他人に見られているような気がしてガウリイは視線をウサギに向けた。ウサギの真紅の瞳が「何?」と問い掛けているように見えて思わず頭を振る。 このウサギが人に思えるなんてどうかしてる。 洗濯物を干し終え、ガウリイはウサギを抱き上げた。 今日の昼ご飯はミートパイ。例によって朝起きたら用意されていた物であるが、最近ではそれを楽しみにしているガウリイであった。 「今日は夜の仕事なんだ。お前さん一人で留守番だけど大丈夫か?」 目をくりくりさせるウサギにガウリイは微笑んだ。と、不意にウサギがそっぽを向いた。 「なんだ?お前さんひょっとして照れてるとか?」 笑いながらキスすると今まで大人しく抱かれていたウサギが不意にじたばたし始める。それが何故かおかしくてガウリイはウサギを抱きしめた。 ★ ★ ★ 翌日。ガウリイは欠伸をしながら家に帰った。 家に着いた彼を待っていたのは隅々まで綺麗に掃除された家と帰宅に合わせて用意されたらしい朝食。もちろん昼食と夕食の用意もされている。 「誰だか分からんが……よくまあここまで出来るものだ」 取りこんでそのまま放置しておいた洗濯物もきちんと畳まれている。一晩の内にここまでやれる謎の誰かにガウリイは心底感心した。 「とりあえず、飯にするか」 徹夜開けに近かったが、それに合わせるように消化の良いものが用意されている。ガウリイはそれを全てたいらげると自室のベッドに倒れこんだ。 枕もとの毛布の中で眠っているウサギを撫でて、ガウリイは眠りの淵に沈んでいった。 昼過ぎにゼルガディスがアメリアと共にやって来た。 「うわぁこの子ですね?ガウリイさん」 「あぁ」 ふわふわもこもこのウサギをアメリアはひどくお気に召したらしい。ウサギの方は少々うるさそうだったが適当にアメリアの相手をしている。 「……で、何の用なんだ?俺は今日非番のはずだぞ」 「あのウサギを拾ってからなんだな?妙な事が起きるようになったのは」 「妙って言うか……別に迷惑してる訳じゃないからなぁ」 ゼルガディスはちらりと視線をウサギに向けた。 「あのウサギ……」 アメリアと戯れる様子はただのウサギに見えた。だが。 初めてウサギの真紅の瞳を見た時に彼が感じたのは深い知性。 「とにかく、何が起きているのかを確かめた方が良いに決まっている。今夜はこれを持って寝ろ」 「これは?」 「魔除けの護符だ。お前が何も気づかずにいるのは眠りか何かの魔法でもかけられているとしか考えられないからな」 「俺は別に分からなくても良いんだけどな」 でも一方で一体誰がこれだけの事をしているのか知りたいと思う気持ちもあり、ガウリイはありがたくその護符を受け取っておく事にした。 ★ ★ ★ 真夜中。 物音にガウリイは目を覚ました。どうやらゼルガディスの持ってきた護符はちゃんと効果があったらしい。 気配を殺し、ベッドを抜け出す。 ふと足元を見たガウリイはウサギがいないのに気がついた。 「まさか、な……」 足音を立てずにそっと部屋を抜け出す。明かりが漏れているのは……台所だった。押さえてはいるが微かに足音もする。 ドアの隙間から中を覗いたガウリイの目に映ったのは、ぴょこぴょこと動くウサギの耳だった。 |