人 魚 姫






第3話



 その日は朝から大忙しであった。
 ガウリイも朝早くからやれ湯浴みだ、着替えだと引っ張りまわされていた。
 そんな中、彼の頭の中にあったのはただ一つ。
 愛しい少女は、本当に来てくれるのだろうか……ただそれだけであった。


 リナは宿の部屋に閉じこもっていた。
「明日の舞踏会に来て欲しい」
 何度忘れようとしてもガウリイの言葉が頭から離れない。
 自分が地上に来たのはあくまでも海底神殿から失われたものを……“海の宝珠”を探し出し、持ち帰る事。ガウリイに再会したのは単なる偶然だし、彼と一緒に行動したのも王子であるガウリイがいればその方が何かと都合が良かったから。
 けれど。
 彼のお妃を決める舞踏会の話をした時のガウリイは、いつになく真剣な眼差しでリナを見つめたのだ。
「何を迷っているの?舞踏会に紛れて宝珠を捜せばいい事じゃない。べつに会場に行く必要は無いんだし……」
 声に出して自分に言い聞かせてみる。
 それでもリナの胸の原因不明のもやもやは一向に晴れてはくれなかった。


 夜の帳が辺りを包み。
 満月の光の中、城の大広間ではいよいよ舞踏会が始まろうとしていた。


           * * * * * * *  


 笑いさざめく招待客たち。
 軽やかな音楽が鳴り響き、贅を尽くした料理や飲み物が振舞われる。
 そんな中、今宵の主役のガウリイだけが浮かない顔をしていた。
「何を浮かない顔をしている。ガウリイ」
「いえ…何でもありません父上」
「ならいつまでもこんな所で座っていないで、踊ってきなさい。お嬢さん方がさっきからお待ちかねだ」
 気乗りのしないままガウリイは立ち上がり、広間へ出て行った。
 一斉に舞踏会に集まった令嬢たちが色めきたつ。
 彼女達にとって、今夜はまたと無い人生最大の玉の輿のチャンスなのだ。しかも相手はこの国でも1、2を争う超絶美形の王子様。
 ひそかに殺気だった眼差しで牽制を掛け合う令嬢たちに、ガウリイはこっそり溜息をついた。
「こんばんわ、シルフィール嬢」
「お久し振りですわ。ガウリイ様」
 とりあえず当たり障りの無い所でシルフィールに声をかける。
 純白の清楚なドレスに身を包んだ彼女は慎ましやかに会釈した。
「一曲お相手願えますか?」
「光栄ですわ、ガウリイ様」
 シルフィールの手を取りホールへ進むと、集まった貴族たちから感嘆の声が漏れた。
「やはりあのお二人はお似合いですなぁ」
「いやまったく」
「ではやはりガウリイ様のお相手は」
「シルフィール嬢で決まりでしょうなぁ」
 …………………
 シルフィールと踊りながら聞こえてくる貴族たちの噂話に、ガウリイは心の中でしかめっ面をした。
 踊りながら周囲に気を配るが、待ち望む気配はまだ現われない。


 その後、他の有力貴族の令嬢と一応ダンスをしたガウリイは、一度ホールを離れテラスへ一人移動した。
 遥か下では波が砕け銀の雫を散らす様子が見える。
「まだ来ないのか?お前のお姫様は」
「兄貴……」
 グラスを片手にラウディはガウリイに並んで立った。
「海か………そういえばお前昔夜に海で溺れた事があったな。びしょ濡れで浜辺で見つかって、あの時は大騒ぎになった」
「昔、な」
 ……そして彼女に、リナに出会った。
 心の中だけでそう付け加え、ガウリイは空を見上げた。
 暗い夜空にかかる銀の月。この月が真上にくる頃、ガウリイ自身が妻となる女性を決めなければならない。


 その時まで、あと少し……


           * * * * * * *  


 兄に続いてホールに戻ったガウリイを様々な視線が取り囲んだ。期待に満ちた令嬢たち。好奇心のこもった眼差しの貴族の子弟たち。
 少しでも自分の娘を印象づけようと盛んに近寄ってくる夫人たち。
 その全てにガウリイはウンザリしていた。
 早くリナに会いたい。
 あのまっすぐな瞳を見つめていたい。
 そんな思いに、夕べの戸惑ったようなリナの顔が重なる。彼女にとって、自分はどういう存在なのだろう。
 今すぐにでもこの場を抜け出しリナの所に行きたい衝動にかられ、ガウリイは小さく唇を噛んだ。


 不意にホールにざわめきがはしる。


 大広間の隅に小さな紅い人物が、姿を現わした。


 柔らかな長い栗色の髪を飾る小粒の真珠と珊瑚のティアラ。
 燃えるような真紅の瞳と同じ紅羅のドレスに身を包み、降ったばかりの白雪のような胸元で銀のペンダントがチカリと光を反射した。
 細い腕はドレスと同じ色の手袋で覆われ、手首に控えめに銀と珊瑚のブレスレットがはめられている。
 目立たないように隅に立っているものの、彼女は他を圧倒するような存在感があった。

 知らず知らずガウリイは微笑んでいた。待ち望んだ少女が今すぐそこにいる事が堪らなく嬉しい。
 ガウリイが近づくと自然に人垣が二つに別れた。
「お嬢さん、私と踊って頂けませんか?」
 少女はちらりと視線を向けると、小さく首を縦に振った。

 ゆっくりとしたテンポのワルツが流れる中、二人は滑るように踊り出した。
「………来てくれないかと思った。リナ」
「別に………これはついでよ。あたしは別に………」
 周囲に気づかれないように囁くと少女は頬を赤らめて答えた。
 踊りながらラウディと目が合う。
(うまくやれよ)
 眼差しで弟にエールを送り、ラウディは改めて少女に視線を向けた。
 線の細い華奢な少女。しかし小さく儚げな姿とは裏腹にその存在感は彼女をはっきりと他と区別していた。
 そして何よりあの瞳。
 一瞬だが、燃え盛る炎を思わせる瞳はラウディの脳裏に焼き付いていた。
 周囲の貴族たちも彼女に目を奪われている。面白くないのはここに集った令嬢たちとその母親たちだろう。
 誰の目にも、ガウリイ王子がこの少女に心を奪われているのが明らかに分かったから。
 残る問題は彼らの両親。つまりこの国の国王と王妃。
 一応ガウリイの結婚相手は内定していたわけだから、もめない訳が無い。しかしガウリイはあの少女以外の女性を自分の妻には絶対にしないだろう。
 さて、これからどうするか。
 ラウディは弟の出方を温かく見守る事にした。


 やがて曲が終わり、少女は優雅に一礼してガウリイから離れようとした。もちろん出来なかったが。
 こんな場所では『離せぇ!』と暴れて引っ叩く訳にもいかず、少女は困った顔をした、その時だった。

 カッシャァァ………ン………

 グラスが落ちて割れる音。
「ひ……め、さま………」
 グラスを落としたメイドが呆然と呟く。
「アクア!」
 紅の少女が声をあげる。と同時にそのメイドは踵を返しその場から逃げ出した。
「待ちなさいアクア!!」
「リナ!」
 駆け出そうとした彼女をガウリイが止めた。
「一体どうしたんだ!?」
「………犯人よ」
「え!?」
「彼女よ。神殿からあれを盗み出したのは」
 驚きにガウリイの手から力が抜ける。その隙にリナはガウリイの腕の中からするりと抜け出し、一連の事に呆然とする人々の間をすり抜け姿を消した。


           * * * * * * *  


 馬小屋から、一頭の駿馬が引き出される。
「間違い無いのか?アクア」
「えぇ。海の王の追手だわ。でもまさかあの姫様を差し向けるなんて…」
「とにかく城を出よう。裏から抜け出せる。…ガウリイ様の抜け道なんだけどな」
 駿馬に乗せられたのは先ほどのメイド。馬の手綱をとるのは厩番の青年だった。
 二人は暗がりを縫って、そっと城の外へ出た。


「でもこの馬はこの城の物。貴方が盗人の罪を背負う事になるわ」
「大丈夫。この馬は一人で城に戻るよう訓練されている。ある程度逃げたら放せば大丈夫だ。
 ………それより、早くここを出ないと」
城を抜け出し、浜辺を馬で波止場に向け全力で走らせる。


「ここを出て、これ以上何処へ行こうというの?」
 不意に二人にかけられた澄んだ声。


 紅の少女が、一人静かに彼らの行く手に立ち塞がっていた。


「探したわ。…アクア」 




to be continue...








おまけ。
 紅羅(こうら)…赤い薄絹です。