人 魚 姫









第2話



 幻のような幼い日の出会いから十年。
 紅の人魚姫と黄金の王子様は思い出の入り江で再会した。



「久し振り…って言うべきかな?リナ」
 微笑みかけるガウリイに対しリナはただ絶句するばかりだった。
「リナ?」
 かけられる声にようやく我にかえる。
「覚えてたの?あたしの事」
「忘れられる訳が無いと思うけどなぁ」
 例え忘れていたとしても一目で思い出すさ。
 心の中でそう付け加えてガウリイは改めて腕の中のリナを見た。
 まだ少し幼さの残る顔立ち。
 ぬけるような白皙の肌に桜色の唇。
 少しクセのある柔らかな栗色の髪。
 体の線は細く華奢で、このまま力を入れたら簡単に折れてしまうのではないかと思える。
 ただ一つ変わらないのはその瞳。美しく成長した今でもまっすぐに前だけを見つめるその輝きは、あの頃と同様にガウリイを捕らえて離さなかった。
「あの、さ…」
 おずおずとかけられた声に首を傾げると、リナは小さな声で続けた。
「手…離して…」
「離したらまたどっかへ行ってしまうだろ?」
「行かないわ。だから、離して」
「……わかった」
 ゆっくりと縛めを解くとリナはほっと息をついた。
 はっきり言って、至近距離で見るガウリイの顔は心臓に悪い。
「あたしの服、返してよ」
「ん?あぁこれか」
 睨みつけるリナにガウリイは意味ありげな笑みをかえした。
「そうだな……お願いきいてくれたら返しても良いけど?」
「何よそれ!!人の物盗っておいてそういう事言うわけ!?」
「うん」
 全く悪びれた所の無いガウリイにリナは腹を立てた。が、ここで服を無くす訳にはいかない。
 着替えが無いわけではないのだが、それがあるのは街の中の宿屋。
 いくら真夜中でも裸では街中を歩けない。
「〜〜〜〜〜〜〜っっ!何よそのお願いって。さっさと言いなさいよ!」
 リナの台詞にガウリイは心底嬉しそうに笑った。
「明日。俺とデートしようぜ?」
「は?」
「だから、デート」
 リナはまた目を丸くした。


          * * * * * * *


 街外れの丘の上。海が見渡せる丘の上にリナは一人で座っていた。
「あたし、何やってるんだろ……」
 夕べの約束。
 服さえ取り戻せばもう用は無い。さっさとこの地を離れてしまえばいいのに何故自分はここに居るんだろう?
「ガウリイ…」
「呼んだか?」
 不意にかけられた声に文字通り跳びあがる。
「悪い悪い。見張りがきつくってさ、城を抜け出すのに手間取っちまった」
「城?」
「そんな事より待たせて悪かった。お詫びになんか奢るよ。行こう」
 にっこり笑うガウリイに、思わずリナは見とれてしまっていた。
 太陽の光に輝く黄金の髪。
 澄みきった青空を思わせる蒼い瞳。
 リナが今まで見てきた中でも群を抜いて高い身長。それに加えて人を惹きつけずにはいられないその笑顔。
「どうした?ぼーっとしたりして」
「なっ何でも無いわよ!」
 慌てて視線を外す。頬が熱いのに気がついてなお恥ずかしさがつのる。
 初々しいリナの反応が嬉しくて、ついついガウリイも顔がほころぶ。
「そんな事より!一体あたしに何の用よ」
 恥ずかしさを誤魔化そうとわざと声を荒げるが、それでもガウリイは相変わらずにこにことリナを見つめている。
 実を言うとガウリイはリナに見とれていたのだ。
 月明かりの下で見た人魚のリナも神秘的で美しかったのだが、赤いズボンに裾がスカート状になった上着を着て太陽の光を浴びたリナはまた違う印象で。
 ……人間の姿のリナもいいなぁ。そういや見た目より胸もあったし……
 これである。
「だから、デートだって」
「〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!!」
 真っ赤になって何か怒鳴ろうとしたリナの手を引っ張ってガウリイはさっさと街に向かって歩き出した。


 通りに足を踏み入れるなり、リナはあの丘に行った事を猛烈に後悔した。
 ガウリイ本人は全く気にしていないのだが。
 ………視線に殺気、こもってるよ………
 リナに突き刺さる町娘たちの視線はかなり強烈だったのだ。
無理も無いが。
「リナ、こっちだ」
 先に立って案内してくれるのはいいのだが、彼が話しかけるたびに突き刺さる視線は痛い。おまけにガウリイはリナの手を握ったまま離そうとしなかったのである。
「おやガウリイ様、今日は可愛い娘連れてますね」
「ああ。可愛いだろこいつ(はぁと)」
 自慢げなガウリイにリナは真っ赤になって俯くしかない。
「ガウリイ様、そちらのお嬢さんと一緒にどうぞ」
「え、いいのか?売り物だろこれ」
「かまいませんって。うまいですよこれ。セリアムっていうんですけどね」
「へぇ〜そうか。ほらよ、リナ」
 露店の店主に嬉しそうに答えてガウリイは果物を受け取り一つをリナに手渡した。
「あ、ありがと。でも…いいの?ホントに」
「ん〜〜でも断わる方が悪いだろ。あ、本当にうまいぜこれ」
 服の袖で果物をこすっていきなり齧り付くガウリイをリナは呆気にとられて見た。
 ガウリイの真似をして齧り付くと甘い果汁が口いっぱいに広がった。
「本当。これすっごくおいしい」
「だろ?………あ」
「?」
 不意にガウリイは屈み込んだ。
「ここ。ついてるぞ」
 頬に柔らかな感触。
 一瞬何が起きたのか分からず硬直するリナ。
 周囲の娘たちが悲鳴を上げ、男たちやおばさん連中は目を丸くした。
 数秒後、ようやく何が起きたのか理解したリナは瞬時に真っ赤になった。
「ちょっと!!いい、いきなり何て事するのよ!!」
 声が裏返ってしまうのは仕方あるまい。一方ガウリイはどこ吹く風と平然としている。
「?……果物の欠片を取っただけだぞ?」
「なら手で取るとか口で言えばいいでしょうが!!」
 何の事は無い。
 さっきから街の若い男たちの視線がリナに注がれている事に気がついていたガウリイが牽制をかけたのだ。リナ自身は全く気がついていなかったが。
 ……この娘は俺の。
 もっともそんなガウリイの考えを知らないリナにそれが分かるわけも無く。
「〜〜〜〜っっ。ちょっとこっち来て!」
「なんだ?」
「いいから!!」
 これ以上注目の的になっては堪らないと、リナはガウリイを裏通りに引っ張り込んだ。


「あのね!どういうつもりよ!?」
「どういうつもりって?」
 やっと一息ついたリナは早口でまくしたてた。
「あたしは、ここでやらなきゃいけない大事な役目があるの!だからあんたのお遊びにつきあってるヒマはないし、不必要に目立ちたくないのよ!!」
 そうは言っていても、リナにはただ歩いているだけでも人目を惹かずにはいられない強烈な存在感と魅力があるのだが。その事に全く気がついていない様子にガウリイは小さく笑った。
「役目?」
「そう。あたしにしかできない、あたしがやらなくちゃいけない役目。その為にあたしはここに来たんだから」
「リナの役目って何なんだ?」
「それは…」
 リナは口篭もった。おいそれと簡単に他人に話して良い内容ではない。
 リナの様子からガウリイは彼女の役目というものが何かとても重要なものである事をおぼろげながら理解した。
「来いよリナ」
 黙ってしまったリナの手を引いて、ガウリイは波止場へ移動した。


 波止場では何隻もの船が繋がれていた。なのに、当然あるべき賑わいがここには無い。
「……静かね」
「ああ。……ここのところ、原因不明の嵐でなかなか海に出られないからな」
 ちらりと隣の少女に視線を向けると、彼女は黙って海を見つめていた。
「晴れていても海は静まらない。魚達もいなくなってきているし、何より海が荒れているせいで漁そのものに出られない日が多いからな」
「知ってるわ。……今は魚達も皆、王の元に集められているもの」
 二人の間に沈黙が下りた。
「……海が荒れたのは、海底神殿からあるものが盗まれたせいよ」
 沈黙を破り、ポツリとリナは言った。
「だからあたしは、それを見つけ出して元の場所に戻さなくちゃいけないの」
「それで、ここに…?」
「ええ。そう」
「ずっと探しているのか…?」
 リナは黙って頷いた。
「それの気配を追ってここまで来たわ」
「気配?」
「そう。それは海のものだから。陸にあってもそれは変わらないわ」
 リナは海の彼方に目を向けた。
「……なら、俺も手伝ってやるよ」
「え?」
「リナがそれを探すのを。一人より二人の方がいいだろう?」
「でも…」
「遠慮しなくていいさ。それに一応俺ってこの国の王子だし。もしリナが一人で入れそうに無い所でも俺がいれば何とかなるからな」
「王子って……ガウリイが!?」
「あぁ。二番目の、だけどな」
 そう言ってガウリイはリナに微笑んだ。


           * * * * * * *  


 二人が再会してから三日目の夜。
 ガウリイは思い出の入り江でリナと会う為にまたこっそり城を抜け出す準備をしていた。

 コンコン

 ノックの音に扉を開けると、滅多に部屋までは来ない兄のラウディが立っていた。
「珍しいな、兄貴が俺の部屋に来るなんてさ」
「ちょっと話があってな。邪魔するぞ」
 本当は一刻も早くリナに会いに行きたかったのだが、兄の目の前で城を抜け出せる訳が無い。仕方なくガウリイは兄を部屋に招き入れた。
「……お前、最近城の外で紅い瞳の少女と会っているそうだな」
「ああ」
 ラウディは弟の答えに溜息をついた。
「ガウリイ、明日がどういう日だかお前も知っている筈だ。いつまでも遊んでいるんじゃない」
「けどな、俺はまだ結婚なんて考えられない。それにこの国には兄貴がいる。俺が出る幕はないだろう?
 ……なのに何故今すぐ結婚しなくちゃならないんだ?」
「ガウリイ…」
 ラウディは困った奴だ…というような表情でガウリイを見た。
「今かつて無く海が荒れているのはお前も知っている筈だ。海運業で成り立っているこの国にとって、海が荒れて船が出せなくなるのは致命的だ。
 ……今は王位継承権の順位にこだわっている時じゃない。俺達で国を守っていかなきゃならないだろう?」
 兄の言っている事はガウリイも良く分かっていた。
 でも。それでも。
 どうしても、譲れないものがある。
「兄貴の言っている事は良く分かる。……それが正しいんだって事も」
「なら」
「でも、もう俺は見つけちまったんだ。何にも替える事の出来ないものを」
「………それが、あの少女か」
「ああ」
 ラウディは仕方の無い奴だと呟いて弟を見つめた。
「お前ときたら一度こうと決めたら頑固だからな。わかった。俺はこの件に関してはもう何も言わない。
 そのかわり!明日の舞踏会に彼女をちゃんと連れて来いよ。父上達にきちんと話をつけなきゃならないからな。一応、応援はしてやる」
「ありがとう……兄貴」
「いいって。
 ほら、見つからないうちに行けよ。彼女と待ち合わせなんだろ?
 ………うまくやれよ」
「ああ」
 足音を立てずに走り去る弟を見送ってラウディは苦笑した。
 ――弟の心を射止めた、紅の瞳の少女を思って。
「あの娘も、我が弟ながらとんでもない男に惚れられたものだな」


           * * * * * * * 


「あーもう!みつからないったら!!」
「なぁ、本当にこの近くなのか?」
「そのはずよ」
 リナは海から失われたものを探して連日あちこち歩き回っていた。ガウリイもお目付け役の目を盗んで城を抜け出してはリナに付き合った。
 もっとも、探すと言っても当てがあるわけでなし。ガウリイは自分の知る限りの景色の良い所や面白い物がある所へリナを連れて行った。
 人はこれをデートと言う。もちろんリナはまるで気づいていなかったが。
「街の中はほぼ全部見て回っちゃったし……あと探してない所というと……」
「俺の家、か」
 リナは海に臨む高台に立つ堅牢な城を見上げた。
「なら来いよ」
「あのねぇ…そりゃあんたはいいわよ。自分の家だもの。けどね、あーゆー所は普通そう簡単に誰でも入れてくれる場所じゃないの」
「俺がいいって言ってても?」
 リナは困ってしまった。なるべく城とか貴族の屋敷とかには近づきたくなかったからだ。
 はっきり言って、今までそういった所に近づいた場合ほぼ間違い無く厄介な事に巻き込まれてきた。
「……明日なら誰も気にしないと思うぞ」
「どういう事?」
「明日、城でちょっとした集まりがあるから。客が沢山来るし、リナが紛れ込んでも怪しまれないと思うぞ」
「ちょっとした集まりなんて言って。あんたのお妃を決める大事な舞踏会なんじゃない」
「……知ってたのか」
「街中その噂でもちきりよ。知らない人間探すほうが大変だと思うけど?
 ……お妃候補の一番は貴族のシルフィール嬢だとか、翌日には結婚式の用意がされてるとか。
 街の中でこの話が出てこないことってはっきり言ってないわよ」
 リナは軽い口調で言ったが、自分を見つめるガウリイの視線に言葉を無くした。
 ガウリイにしてみれば、リナの言葉は結構ショックだったのだ。
 リナにとって、自分は単なる協力者なだけなのだろうか。
 ガウリイははっきりと自覚していた。
 自分はこの真紅の人魚姫に恋をしている、と。愛していると。
 確かにシルフィールを自分の相手として推薦する声は多い。幼馴染で気心も知れているし自分に好意を持ってくれている事も知っている。両親も彼女を気に入っているし、もしリナと再会することが無ければ彼女が結婚相手とされたであろう事は容易に想像できたし、自分もそれを受け入れていただろう。
 ……だが、ガウリイは見つけてしまったのだ。何よりも、己の命よりも愛しく想う相手を。
「あ…あたし」
 ガウリイの視線と沈黙に耐えかねてリナは口を開いた。
「来てくれないか。明日」
「え」
「舞踏会に来て欲しい。リナに」
 そこでガウリイはふっ…といつもの笑顔を浮かべた。
「そうすればリナも探し物ができるだろ?」
「それは、まぁ…………考えとく」
 小さく呟いてリナは立ち上がった。
「それじゃ、あたしもう宿に戻るわ。おやすみなさいガウリイ」
 足早に駆け去っていくリナをガウリイは黙って見送った。


 満月の夜は明日。