凸凹恋愛事情 背水の陣 ― 後編 ― 〈彼ノ誘惑、彼女ノ奮闘〉 |
「なぁ、入れてくれよ」 なんて質の悪いヤツ。 昨日まではこんな甘えて強請るような問答はなかった。 なし崩しにあたしの許可を取り付けて部屋に押し入ろうとしていたはずだった。 あの手この手で籠絡を企む男。 あ゛ーもうっ! 誰かあたしにこの男の扱い方を教えてよ!! 「とにかく駄目ったらだーめ!」 いい加減、この芸のないセリフにも飽きてきた。 もっとも、この男が毎夜毎夜懲りもせずに誘ってくる方が悪い。 「とっとと…諦め、て、寝ちゃ…なさい、よ」 ちうちうと頬に瞼に額に、唇に。 口づけが絶え間なく落とされ、言葉が途切れ途切れになる。 顔にかかる長い前髪がくすぐったい。 身をよじろうにも、抵抗できない程度に強い抱擁がそれを許さない。 「リナと離れたくない」 口づけの合間に零れる声。 火傷するほど熱が籠もった声音。 その気になり掛かってる、男の声。 「まだ…もう少し…」 待って――― 言葉は、強引な口づけに掻き消された。 「ん…まぁ……っあ…んん……っ」 コイツ、あたしに最後まで言わせない気!? 何度しても慣れないキス。 満足に息継ぎも出来ず、苦しくなってガウリイの身体を押し返すと、ほんのわずか、唇から離れた。 2.3度呼吸をするとまた食らい付かれ、思わず鼻に掛かった声が漏れる。 もう一度離そうと試みるも、ガウリイに軽くいなされ、包まれてしまった。 終え方を知らない口づけに巧みに攻められ、頭がぼんやりと霞がかってくる。 ずる、い…。 ぎゅっと、彼の服を握り締める。 たっぷりとキスを味わった後、ほんの少しの満足と今まで以上の飢えを滾らせ、ガウリイはキスの余韻から抜けられないあたしをひたと見据える。 「リナ…」 言え、と。言って楽になってしまえと。 そして自分を受け入れろと、彼の眼差しがあたしを急き立てる。 「…わ、解ったわよ…」 「いいんだな?」 間一髪入れず確認してくるガウリイ。 ふん、甘いのよ! 「ただし、あんたに手を出さない覚悟があれば、の話だけどね」 どうよ?ぐぅの音も出ないでしょ? 男の欲望がどれほどのものかは女のあたしには解らないけれど、この男を見ている限りでは生易しくはないはず。 あたしの意思を尊重する、大事にすると言った言葉通り、辛抱強く我慢する彼を知っている。 弱みに付け込みたくはないけど、こうなったら、形振り構わず手段を選ばず! 彼の沈黙に勝利を確信したあたしは、胸をなで下ろそうとした―――のだが。 ガウリイがにやりと形容するのがピッタリな妖しい笑みを浮かべ、あたしの背筋と笑顔を凍らせた。 「ああ、いいぜ」 引きつって硬直するあたしを攫い、自分の腕に乗せて持ち上げると、ガウリイからの避難場所だった部屋にいとも容易く入ってくる。 ちょ……待て待て待てぇぇい!! 「ガウリイ、あんたわかってんの?」 手を出さないということが、どういうことなのか…… あたしにだって解ること。 この男は一晩中、あたしの傍で自分を押さえ込まなければならない。 男女の仕組みだって、少ないながらも最低限は知ってるつもりだ。 それなのに… 「ああ、解ってる」 力強い答え。 気圧されるかのごとく、あたしの方が言葉に詰まる。 「オレは、今日、その覚悟をしてきたから」 ンなものすな!! 何だってこうも自分の発言が裏目に出るのやら………思惑が外れ過ぎて泣きたくなる。 閉められ、鍵を掛けられ――二人っきりの密室。 その状況にあたしの心臓が早鐘のように鳴り出した。 もし、ガウリイが自分を押さえきれなくなったなら、あたしの逃げ場は…ない。 「な…何もしないのに、この部屋に入ってどうするの?」 「ん?そろそろ独り寝も寂しくなってきたなぁと」 ま…まさか… 「まさか、添い寝するなんてタワケタ事、言わないわよね?」 引きつった笑みを向けると、 「珍しく聡いじゃないか」 喜色満面で返すガウリイ。 いやぁぁぁああっっ!!!!! 「冗談じゃないわよ! あんたみたいな大男と…ひ、ひとつのベッドで…う、…うにゅ………」 「くっついて寝れば大丈夫だろ」 そういう問題じゃなぁい! 花も恥じらう乙女と羊の皮(最近化けの皮が剥がれつつあるけど)を被った狼が一緒に眠れるかぁ!? 「えっと…えーっと…っ」 凄まじい勢いで頭を回転させ、この状況を打破すべく打開案を練る。 まず呪文は却下。 口づけのキッカケにしかならないのは経験済みである。 接近戦は仕掛けるだけ体力の無駄………あうあう… あと残されたのは…口舌三寸丸め込み…? 「そだ…っ ガウリイ、あんた、剣――斬妖剣はどうしたのよ!」 「ん?そりゃ部屋に置いてあるぞ?」 「ば、ばか!アンタ仮にも剣士でしょ!? 獲物がなきゃ、いざって時に困るでしょーが!」 「んー…でも剣持ってたらリナに思う存分両手で触れないし。 寝間着に剣帯つけて持ち歩くのも…」 「やかましい! いつ何が起こるか分からないんだから、肌身離さずそばに置いておきなさい。 アレだって一応、伝説の剣なんだし。それにもし、部屋に置きっぱなしにして 賊に盗まれちゃいました、なんてことになったら生かしておかないわよ? ってことで、今すぐ取りに行かなきゃ。一刻も早く。即座に!」 「…………」 「な、なによ、その目つきは…」 「……そんなこと言って、オレを部屋から追い出したいだけじゃないのか?」 わざとらしく捲し立てるあたしに、流石のくらげ男も心底不審そうな眼差しで問いかけてくる。 「そんなことあるわけないでしょ! あ、…あたしはあくまで剣士の心得ってヤツを言ったまでよ」 ガウリイの瞳でじっと見つめられると、何故だか上手く口が回らなくなる。 おまけに心拍数も上がって心臓に悪い。 何もかも、このやたらと綺麗な蒼穹の瞳のせいだ。 やたらと心臓に負担を掛ける今夜はまだ明ける兆しを見せず、夜はますます深くなるばかり。 もう今日は勘弁して。追いつめないで。 じゃないと、耐えきれなくて爆発しそう。 ガウリイを見ていられず、ぎゅっと固く目を瞑る。 「…………分かった」 珍しく聞き分けの良いガウリイはぼそっとそれだけ言うと、寝台の傍まで来ていた身体をくるりと反転させ、まとめてあるあたしの荷物を鷲掴みするやいなや、早足で出口へと向かう。 あたしを、抱きかかえたまま…? 「えっと…いや、あの、あたしはここで……」 「オレの剣があればいいんだろ? だったらリナ、お前さんがオレの部屋に来いよ」 「いや…せっかく2部屋取ったんだし、お互いゆっくりと…」 「リナの私物は持った。もうこの部屋に用はない」 いや、あたしはあるし。 部屋代は前払いしてるわけだし、勿体ないじゃない! なんてあたしの抗議には耳も貸さず、さっさと部屋を出ると鍵を掛け、微かに開いたままの闇色に満たされた隣の部屋へ入る。 漆黒が口を開けてあたしとガウリイを歓迎する。 『おかえり』――― 『ようこそ』―――― 『待っていたよ』――――― …っ!…駄目。やっぱり駄目!!! その闇の深さに、昏さに、全身を粟立て竦み上がるあたしに、ガウリイは容赦なく光りを閉ざして鍵を掛ける。 窓があるであろう部屋の奥からは月明かりも星々の瞬きも入っては来ない。 今夜は生憎の曇り空。 夜目の利かないあたしにとってはとことん不利な状況だった。 精一杯の悪足掻きをすべく、あたしはじっと堪える。 勿論大人しく引き下がる訳じゃない。 ただ、大人しくして彼の注意を引かないように。 雑音に紛れるように、出来うる限りの小声で短い詠唱呪文。 「…眠…っ」 発動する寸前、何かが床に落ちる音とほぼ同時に、抗い難い力で俯いていたあたしの顎を掬い上げ、柔らかいものに塞がれると、力ある言葉が途切れた。 「ゃ…ぅ…ん……っ」 やや強引に、あたしの反抗心を屈服させるかのごとく執拗に。 抱え込まれて拒むことも息継ぎすることもままならず、激しすぎるキスの嵐が収まるまでしばし。 翻弄されて貪られる。 キスを続けながら寝台に降ろされ、あたしの抵抗を許さぬように組み敷いてのしかかるような体勢で挑んでくる。 や、…この、ままじゃ……っ 抗おうとしても、全て押さえつけられ、封じ込められて、奪い取られていく。 やっとのことで解放された唇。 ぐったりと、彼が眠るはずだった寝台に身を沈める。 暗がりの中では表情はまったく分からないけれど、明らかに愉悦を含んだ声が聞こえる。 「…リナのキスの強請り方は変わってるよなぁ」 こ、この節操なしクラゲ… 勝手に都合の良い解釈してんじゃないわよっ! 満足に口も聞けず空気を貪るあたしは、心の中だけで猛然と抗議する。 意識もぼんやりとして身体にも力が入らない。 「そう怖がらなくてもいい。言っただろ? 今日の所は……添い寝だけだ」 「信じ…、られ…ない」 そんな埋め火のような瞳をして言ったって信用できるわけがない。 涼しい蒼穹の色に烈火のような激しさを灯して、視線の先にいるあたしをつねに焼いている。 暗闇で見えなくても分かる。 あたしを食い入るように、ただ真っ直ぐあたしだけを見つめて――― 「まだ、大丈夫だ…」 ほんの少し滲む自嘲。 それは自分の限界を近くに感じたから? 「……あんた…自虐的なことするの、好きなの?」 「まさか。ただ、辛くてもそれ以上に得るモノが大きいだけさ」 器用に自分とあたしをシーツでくるみ、幼子がお気に入りのぬいぐるみを抱き締めるのと同じようにあたしを抱きかかえる。 「……強引」 衣服越しの体温がじんわりと交わる。 「でも、リナは許してくれるんだろ?」 う…。 痛いところを突かれて、あたしは閉口する。 旅に出て初めて、誰かと一つのベッドで熱を分け合う。 それは思っていた以上に心地良くて、癖になりそうなほど温かく、安らげて… 顔から火が出るほど恥ずかしいのには変わりないんだけど。 悪くはない。 むしろ、冬なんかは歓迎しそうで怖い。 「お前さん、小さいのに温かいなぁ。しかも柔らかくて抱き心地も妙〜にイイ」 大きな手が肩を包み込み、もう片方が腰に絡みつき、足を絡めてますます密着する。 「へ、へんなトコ触ったら、許さないんだからっ」 「分かってるって。 オレだってそこまで忍耐強くないから触りたくても触れないし」 オレ、忍耐強さには自信があったのになぁ…リナが可愛すぎるのが悪いんだぞー、とまた好き勝手なことをぬかすガウリイ。 その拗ねた様子がなんだか無性に可愛くて、あたしは思わず失笑してしまった。 そう。 何より厄介なのは、この男が強引に迫ってくるのをほとほと困りつつも、結局はそれを許してしまうあたしの甘さ。 それは時によって様々だけれど、どうにも仕様がない。 この男が―――愛しい。 彼の目に、自分が欲望の対象として映るのが心地良い。 未だ、交じり合うことへの恐怖心が断然勝っているけれど、生まれたばかりの愉悦を含む感情が、絶えずあたしの中で鬩ぎ合っている。 その心は、彼の強固で綻びのない自制心を、他の誰でもないあたしが踏みにじって力を与えて、内側から食い破らせるように彼を狂わせて、歓喜している。 何より彼が自分で満たされている悦びに酔う。 その胸の内から湧き上がる想いは決して枯れることはなく、触れる度に、見つめられるたびに嵩を増していく。 それはきっと、あたしの中の「女」が、彼に揺り起こされたからだ。 それは常にガウリイが与えるものを欲している。 彼と同等かそれ以上に、貪欲に――― あたしともあろう者が、こんな深みに嵌るなんて思ってもみなかった。 ただ一つだけ不満なのは……… 目覚めて初めて捕まった男ってのがこれはないんじゃない、コレは!? 毒が強すぎるのよ!! しかもなんか日に日に凶悪になってくし! おまけに優しいかと思ったら意地悪だし、余裕ぶってオトナかと思えばあたしよかよっぽど子どもっぽい所もあって、もの凄まじく対処に困るし! あーもう、なんでこんな男に捕まるかなぁ? いや、好きなんだけどね! むしろ嫌いになれないから困ってるわけで……。 嬉し恥ずかしの甘酸っぱい初恋――のはずが、胃がもたれるような濃厚さで珍味と言えば珍味?な偏愛だか溺愛だかを垂れ流され続けて戸惑う毎日。 あたしにどうしろってのよ、もう… こちらの葛藤を余所に、元傭兵という職業柄か、寝付きのいい彼はもう安らかな寝息を立てている。 相変わらずあたしを離そうとはしないけれど、逃げようと思えば逃げられる。 そうやってまた、あたしの暴走を受け流し、躱してゆく。 あーもー…今日も惨敗だわ。 好きにしろってことなんでしょ? 逃げるか、留まるか、あるいは誘うか―――… 覚えてなさいよ、ガウリイ? いつかぎゃふんと言わせてやるんだから。 陳腐な台詞を胸に、あたしは彼の胸に顔を埋めながら、もぞもぞと寝心地のいい体勢を探し始めた。 大丈夫よ。あたしは逃げないから。 ちゃんと、あんたを受け止めるから―――…だから。 「まだ…。もう少しだけ、待ってよね?」 乙女は何かと覚悟が必要。 当分は、初心者仕様でお手柔らかに、ね? 終わり |