想 散 華
後 編




















「どうした?眠れないのか?」

月が高く昇る時間帯の酒場―――彼女には、出来れば居て欲しくない場所。



「んー…まぁ、そんなとこ」

オレの気持ちなんてこれっぽっちも気づいていない様子で、リナはつまみと甘口の白ワインを手に向かい側の席に座る。


「お前、こんな時間にこんな場所、一人で来るもんじゃないぞ?」

「あ〜… はいはい。保護者様は大変ねぇ」

茶化すリナに眉間の皺を寄せて、少し語気を強めて名を呼ぶ。

「リナ」

「いいじゃない。あたしはもう子供じゃないわ」

ひらひらと手を振って琥珀色のワインを口に含むリナ。
以前のように際限なく飲みたがるということはなくなり、酒の嗜みも覚えてきた彼女は、慣れた手つきでゆっくりとグラスを回した。


「一杯だけだぞ?それ飲み干したら宿に戻れ」

「ほ〜んと過保護ねぇ。別に席に移った方がいいかしら?」

「オレはお前さんを心配してるだけだ」

「………ものには限度があるわ」

もともと他人に干渉されることが嫌いなリナにはオレの過剰な言葉が気に入らないのだろう。
視線をきつくして機嫌が急降下していくのが手に取るように分かる。
オレも言い過ぎている自覚はあるが、だからといって黙っていられるわけがない。

「なんで一人でこんなトコに来た?」

「んー?」

「ここは末場に近い酒場だぞ?お前さんも子供じゃないと思うならもう少し自覚を持って―――」

くどくどと説教がましく言葉を並べ立てていると、彼女は無言でグラスとつまみを持って席を立った。

「リナ?」
「……悪いけど、あたしもお酒を楽しみたいの。あんたの傍じゃ酒が不味くなる一方よ」

さっとマントを翻し、彼女はここから一番遠いであろう隅のカウンターまで遠ざかって腰掛けた。
向けられた彼女の後ろ姿に「保護者お断り」の札が貼ってあるような気がする。

オレだって、自分が悪いてことくらい分かってるさ。
どうにもならない想いの矛先をリナに向けて八つ当たりをしてるだけだ。

それでも、溜めに溜め込んだ言葉と気持ちは押さえられそうにもなく、吐き出してもまた無尽蔵に湧いてくる。

どうにもならないんだ。
お前さんが…リナが、愛しすぎて。


数えるのも馬鹿らしい4度目の溜息をついて、彼女の後を追うためゆっくりと立ち上がった。

会話をしてくれなくてもいい。
それでも傍に居るだけで彼女の番犬くらいにはなるだろうと、また性懲りもなくくだらない悪知恵を働かせるオレの前を男がかすめ、リナに辿り着く前に彼女に声をかけ、言葉を交わすと隣の席に腰を下ろした。


…………これだから、放っておけないんだ。
苛々が募ってそのうち偏頭痛を引き起こしそうなこめかみを押さえ、歩み寄る。
オレがすぐ後ろまで来ていることに気づいているであろうリナは、それでも振り向こうとはせず、男とのおしゃべりに興じている。


「あたしの好み?そうねぇ〜……情熱的な人、好きよ」

「あ、俺そう」

酒場ではさして珍しくもない光景。
彼らが求める容姿、性格、内心、対価その他オプションはそれこそ人それぞれだろうが、求めるモノは一つだけ。

それなりに世間を知っているリナも男の軽口を適当に受け流して、どこか遠い目をして続けた。


「愛したら相手にも愛して欲しい。相手が相手に溺れるほど…
 これってけっこう難しいことなんだけどね」

即興なものは要らないと言葉に含め相手を牽制しているのか、ただの理想を口にしているのかは分からなかったが、今のオレの気持ちを代弁するような言葉に、思わず声をかけそびれてしまう。
彼女も後ろを振り向こうとはしない。


「相愛ねぇ。そーゆー燃え上がる恋は冷めるのも早いぜ?」

「それでもいいわ。そうやっていろんな人と経験を重ねていくのも悪くない」

「じゃ、俺とそうなってみるか?」

男の見え透いた挑発に、リナは唇の端をつり上げてゆっくりと答えた。


「――…それも、悪くないかもね」











―――なぁ、リナ。
 お前はこのオレがそんなことを黙って見ていると思っているのか?

いろんな男を経験する?
いろんな男を愛す?

リナ、オレをあまり見くびるもんじゃない。
お前がその気なら、オレも遠慮はいないぜ?



「リナ、帰るぞ」

強引に男との間に割って入ると、細い腕を取り退席を促す。

「まだ杯は塞がってるわ」

オレの目の前で少なくなった琥珀を揺らして見せた。

「…そうか―――」

彼女の手から杯を奪うと、一気に飲み干し、わずかに口に残して彼女の顎を掴み、唇を寄せる。

「――!? ……んん…っ!」

合わせた口からこぼれ落ちた液体がリナの口を伝うのもお構いなしに、全てを移し終えると、腕を引いて強引にを立たせる。

「満足しただろ?―――行くぞ」

隣で呆気にとられている男に構うことなく、オレは彼女の分も含めて多めの代金を置いてリナを酒場から連れ出した。



















「――――随分過激な保護者サマねぇ」



しばらく無言で歩いていたリナが、ぽつりと零した。
思っていたより怒りはないみたいだったが、オレは前を向いたまま、感情を極限まで殺した声音で問う。

「お前、そんなに尻軽女だったのか?」

「失礼ねぇ。あたしだって恋愛を存分に楽しみたいもの。気の抜けた恋もいいけど…今は火傷するほど熱い恋がいいだけの話よ」

「不特定多数の男を取っ替え引っ替えで?」

「あたしのお眼鏡に適うような男で、夢中になれるくらいのとびきりイイ相手なら、あたしはただ一人とだけ付き合うわよ。深い意味はないわ」

「………変わったな、お前」


あの時の少女のままなら、決してそんな発想は思い浮かばなかっただろうに。


「経験は人生を豊かにしてくれるものよ」

「………それはオレに対する嫌味か?」

「ご想像にお任せするわ」

さぞや彼女の思い通りの顰めっ面をしているだろうオレを、満足気に微笑んでみせるリナ。


それっきり口を閉ざしたオレたちは、明かりで照らされた道を黙々と歩いていった。



今夜泊まる宿が暗がりに見え始めた頃、リナが控えめに口を開いた。

「そろそろ腕、放してくれてもいいんじゃない?」

言われた言葉に少し躊躇して、オレは逆に彼女の細い腕を自分の方に引き寄せる。それでも怒らない彼女と抵抗しない体にほんの少し力を込めて、赤茶の瞳を見据えた。

少しだけ、期待してもいいか?
勝手だと、お前は呆れないか?

オレを…………嫌いにならないか?







「なぁ…」

「何よ?」

「お前さん、自分が認めるヤツなら誰とでも付き合うって行ったよな?」

「ええ。その通りよ」



もう、黙ってみているのは限界だ。



「―――…なら、過去に振られた男、なんてのはどうだ?」






「…………意味が分からないわ」



「オレは、対象外か?」


「あなた、自称なりともあたしの保護者でしょう?」

「所詮、他人でただの男だろ?」


「……臆面もなくよくも言えたものだわ」

「オレもそう思う。なぁ、どうだ?」

「あなた、あたしに惚れたの?」

「ああ」

「………以前のこと、覚えてる?」

「ああ」

「……それでも、そんな言葉が言えるの?」



「ああ、そうだ」


体裁もないオレには何の枷もなく、彼女に少しの逡巡も許さず、解き放たれた想いが早口で捲し立てる。


「なぁ、考えてくれよ。オレはお前が好きだ。ずっと傍にいたいし、抱きたい。」

オレのストレートすぎる発言に彼女は微かに眉根を寄せ、赤らむ顔を隠すようにそっぽを向いてみせる。


「情緒がないわ」

「あればいいのか?」


交差する瞳は逸らされることはなく、張り詰めた空気の中、不意にリナの瞳が緩んだ。


「……そうね。考えて、あげても良いわ。
 ただし、今度は以前のように簡単に手に入るなんて思わない事ね。」


挑戦的に微笑みながら、オレの中であの時の彼女が重なる。
オレをひたむきに想ってくれた彼女のまっすぐな瞳。
今その中には砂糖菓子のような甘さや焦がれるほどの切なさは無いけれど。


「あたしはあんたに縛られることなく楽しませて貰うわ。せいぜい気合い入れて惚れさせてみなさい」



……ありがとう。
ありがとうな、リナ。
ああ、本当にお前さんはいい女になったな。


彼女の言葉だけで天にも昇る気持ちになりながら、オレは彼女の髪を何度も何度もしつこく、鬱陶しがられてリナにどつかれるまで撫で続けた。





彼女が教えてくれた。
華に手が届かないなら、木によじ登ればいい。
目の前で華が散ってしまう前に、枝を折って包んでしまえばいい。




まだ、間に合うのなら――――







「お前さんも、覚悟しとけよ?」












■  おわり  ■






あう………なんだかとっても不完全燃焼…