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ガウリイはリナの部屋の前まで行ったが、中から慣れ親しんだ気配はなかった。 静まりかえった空間に一人放り出された迷子のように、彼の中に焦燥が生まれ、じりじりと彼の不安を煽ってゆく。 (くそ…っ リナは何処にいっちまったんだ…) 危惧するばかりに彼の足どりは次第に早くなり、大して広くもない宿屋を駆け回り、外へ飛び出した。 そこには先ほどカーラを追いつめた余裕など片鱗も持ち合わせていないかのように、ただ必死に全身全霊で彼女の存在を求めていた。 自分の瞳に一刻も早くリナの姿を映したかった。 あの華奢な体をきつく抱き締め、声を聞き、今胸に渦巻く危惧を取り去ってしまいたかった。 泊まっているのは町のはずれの古びた宿屋。 裏手には小さな人工池と、それをじっと眺める小さな姿。 こちらを背にしているために、表情は解らない。 消えてしまいそうなほど儚い気配。 リナの姿に胸をなで下ろしつつ、まだ拭い去れない不安から無言でリナに近づく。 「……来ないで」 抑揚のない声で制止をかけてくるが、今の彼は止まるわけにはいかなかった。 「リナ…」 「来ないで。他の女の香りを染み込ませた体で近寄らないで…」 「リナ、聞いてくれ…」 哀願にも似たガウリイの懇願に後ろを向いたままのリナはゆっくりと首を横に振り、自嘲的な言葉を静かに紡ぐ。 「ガウリイの行動をとやかく言うつもりはないわ。 憎らしいのはむしろ自分よ。そんな男に心と体を許した…」 「聞いてくれ!」 「……今はあなたの言葉は聞きたくないの。あたしはあんたを束縛しない。なにも言わない。なにも望まない。 だけど、……もう二度とあたしに触れないで…!」 「嫌だ」 「……っ!…これ以上、あたしを醜くしないで!!!」 悲鳴を上げて震える肩を強引に掴んでこちらを振り向かせ、彼女の唇に自分のそれを重ね合わせる。 リナは藻掻き暴れるが、自分を抱き締める力は揺るがない。 彼の剥き出しの腕に爪を走らせ、幾筋も赤い痕をつけ、彼の唇を噛み切る。 じんわりとリナの方にも伝わってくる鉄錆びた味。 それでも彼は躊躇も容赦もしなかった。 むしろ、彼女の方が躊躇ってしまう。 これ以上、どんな抵抗が出来ると言うのだろう? 呆然としつつも頑なに彼を拒絶していると、頬が濡れた。 一滴の雫。 暴れるリナの頬に不意に落ちたそれ。 はっとして、なおも唇を重ね続けるガウリイをリナが見上げる。 彼が、泣いていた… どうしようもないほど哀しい目をした蒼い瞳で。 そしてまた一粒、雫がリナの頬を濡らす。 そっと目を閉じると、自分の心の水面に彼の雫が落ちて次第に波紋を広げてゆく。 そんなイメージが自然と湧いてくる。 どんなに荒れていても、鎮め、癒されてしまう。 不意に流れ込んでくる彼は止め処なく、 堅く閉ざしていた唇をほどくと、震えた彼の舌が忍び込んでくる。 優しく迎えてやれば、すがるように彼女に絡み付く。 腕に食い込んでいた爪を背中に回すと、彼は少し屈み、今度こそ本当のリナを貪り求めた―――― 「くらげ。あんたが泣いてどうするのよ。あたしの立場がないじゃない」 「………オレにはリナしかいらないんだ。リナだけが必要なんだ。 お前さんに捨てられたらどうすればいいのかわからない……狂っちまう」 震える手でリナの細い腰を抱き締め、頭を体に埋める。 きつく…深く……折れるほどに…… 「リナ…リナ、リナ………」 くぐもった声で少女の名を連呼する。 リナはガウリイの力に悲鳴を上げることなく、優しく抱き寄せた。 子供をあやすように、凶暴な猛獣を愛おしみながら撫でる。 赦す、とさえ言わせてくれない彼。 そして口に出さない彼女。 彼の言葉を聞いて、仕草で感じて。 もう、二人に言葉は必要ない。 リナはその後暫く、彼の気を鎮め続けた。 優しく、その胸に抱きながら―――― 暗い室内―――にもかかわらず、リナは明かりも点さず中に進む。 部屋の中央まで来ると足を止め、窓際に佇む人影と対峙した。 「今日は彼の食事に薬を盛らないの? それとも、部屋を間違えたの?」 長身のシルエット。 漆黒の髪。漆黒の服。そして、黒曜石の瞳……… 全て、闇に紛れ同化していた。 月明かりが弱すぎて彼女の色彩が読めない。 影法師のようなそれは、憎悪を滲ませながら呪詛を喘ぐ。 「…………に、くい……」 「……」 「あなたが…憎い。こんな小娘よ? 私の何処がこんな小娘に劣るっていうの!?」 「……」 「彼は私を求めながら…リナ…リナリナリナリナ!リナとしか言わない!!!」 「自業自得じゃない」 「にくい…憎い憎い!!誰も手に入れられなかった彼の心を手に入れたあなたがっ!」 「…くだらない」 小さく、吐き捨てるように呟く。 「憎くて堪らない…そうよ。あなたを殺せば彼は私のものになる! あなたさえ消えれば!!」 「……」 「ねぇ、死んでよ。彼をわたしに頂戴」 「嫌よ。殺したいのなら、かかって来なさい」 「死ね……死ねぇぇぇぇぇぇぇえええ!!!!!!!!」 狂気じみた声で突進しながら、隠し持っていた短剣をリナに突き刺す……はずだった。 キィィン…っ 硬い金属音が響き、あっさりとカーラの手の中にあった短剣が弾かれ、円弧を描き天井に突き刺さる。 全て漆黒の闇の中で一瞬に起きた出来事。 「…忘れないで。あたしは魔道士にして剣士。リナ=インバースよ」 銀色の鋭利な輝きを放つ愛用の剣を構え、言い放つ。 彼女にその言葉が届いたのか――――力を失い、その場に膝をついて泣き崩れた……… 妄執に憑かれた女の、あっけない…幕切れだった。 次の日、カーラは忽然と姿を消した。 「…なんか悪い夢を見ていたみたいだな…」 リナの柔らかい髪を撫でながらガウリイはそう呟いた。 「そうね…」 二人は今、狭いベッドの上、彼と彼女は身を寄せ合い、肌を重ね合って語り合っていた。 夜の営みを終え、冷めやらぬ熱を持つ体を抱き締め合いながら。 リナも少し身を捩らせるが、ガウリイがその分以上自分の元へと引き戻し、腕の中に戻されてる。 何度か無言の攻防が行われたが、ますます逃げ場がなくなり、嬉々としてガウリイが抱き締めてくるので、ため息を吐いて諦めたようにガウリイの手に身を委ねた。 「そういえばガウリイ。あなた、どうやって幻惑を見破ったの?」 ふとした疑問。 麻薬に近い劇薬を盛られたのにもかかわらず、ガウリイは早くに醒めたのだ。 事の次第を聞かされたリナでも、そんな都合よく破れるか多々疑問だった。 「…ん、とな。怒るなよ?実はな……胸…」 「コロスわよ?」 笑顔で凄んでみせるリナに冷や汗をかきつつ、慌てて弁解を始めるガウリイ。 「わ、悪い意味じゃないぞっっ その、…いつもはこう…手のひらでこねくり回せるはずなのに、あの時は勝手が違ったから…」 丁寧に手でジェスチャーまでやって見せると、 「ほほ〜」 リナの剣呑な声で自分が墓穴を掘っていた事にようやく気づき、ガウリイはぴたりと口を噤んだ。 「あんたはそーゆー見分け方をしていたのね?」 「いや、その…っ」 「いいわよ〜別に」 「わ、悪かったって。機嫌直してくれよ〜」 完全に拗ねてしまったリナの機嫌はなかなか直りそうになかった。 それでもガウリイは本物のリナに猫撫で声で話しかけ続ける。 そっぽを向かれるたびに眉を下げ、何度も許しを請いながら。 ……どこか楽しげに、愛おしげに。 かつて一度だけリナが自分に言った『ひだまりのような温かい瞳』で…… それは、彼女だけに与えられた一つの特権。 彼からの特別の贈り物―――― THE END |