特 権 |
「ガウリイ…」 「どうした? リナ、眠れないのか?」 いつものように、甘く優しく問いかける。 けれど、リナと呼ばれた黒髪の女は軽い驚愕すら感じさせ、やがてその美しい表情を憎むように歪ませた。 暗がりの中で男は不運にもその表情に気づかず、なおも言葉を重ねた。 「おいで……リナ」 促されるまま、彼が座っている寝台に近寄ると、まるでガラス細工を扱うようにそっと包み込まれる。 その太く引き締まった腕は相手をやんわりと抱きしめ、徐々に自分の元へ引き寄せた。 あくまでゆっくりと、彼女の意志でいつでも止められるように。 彼女の意志に服従するその仕草。 彼女だけを包み込む溢れんばかりの愛情。 その甘やかな扱いにさえ、リナは顔を綻ばせるどころか唇を噛みしめわなないた。 怒りを押し殺した声で尋ねる。 「ねぇ、ガウリイ。今日、カーラって言う女性に会ったでしょ?」 「ん………? ああ…」 たいして気もない返事。 実際、彼は無頓着だった。 二人の間に他人を入り込ませないことが、彼にとって自由奔放な彼女へのかすかな独占欲を満たす術だったのだから。 彼女以外の女など今はどうでもいい。 彼にはそう思わせるだけの強い気持ちがあったのだ。 「彼女はあなたの、何?」 暗闇の中で切れ長の黒い瞳が妖しく光り、試すように探る。 「お、妬いてくれるのか?」 「答えによってはね」 戯けて悪戯っぽく言うが、照れて強情を張るかと思ったリナのいつもと違う反応に戸惑ってしまう。 「どうした?今日はずいぶん素直じゃないか?」 「たまには悪くないでしょ?」 生まれた違和感をぬぐうように、ガウリイは微笑んだ。 彼女の焼き餅は恋い焦がれた彼にとっては心地よく、むしろ快感に近かった。 そんな風に自分を思ってくれる彼女を愛しく想い、優しく髪を撫でる。 しっとりとした、真っ直ぐな漆黒の髪。 「昔、ちょっとな」 「……それだけ? あなたは彼女を抱いたんでしょう?」 「…そんなくだらんこと、カーラが言ったのか?」 眉間に皺を寄せ、わずかに怒りを込めた視線で問う。 それを見て取り、女は薄く笑った。 「ええ」 「そうか…。 でも、所詮愛なんかなかったさ。リナが気にすることじゃない」 腰までとどくつややかなダークヘアを梳く手に、女の冷たい手が重なる。 「カーラは今も昔もあなたを愛しているとしても?」 「彼女はその道のプロだ。――もしそんな事があっても、オレはリナ以外を愛せないから」 彼はにべもなく答える。 それがリナと出会ってから共に歩み、時を重ね、生まれた感情の集積だった。 「そう…」 素っ気ない返事に言い知れぬ憎悪が滲んでた。 彼の首にしなやかな腕を絡め、唇が触れあんばかりの距離で囁く。 「ねぇ、ガウリイ。抱いて。 私をめちゃくちゃにして―――」 女の豊満な胸がガウリイの体に押しつけられる。 きつい麝香の香りがガウリイの鼻を刺激する。 「どうしたんだ?リナ…」 ガウリイが退いたことと、女の体重がのしかかったことが重なり、二人はベッドに倒れ込む。 「欲しいの。ガウリイが…」 彼女からの積極的な行動に軽い驚愕さえ覚えるが、優しく微笑むとガウリイは女との位置を逆転させた。 激しい口づけを交わしながら、女の衣服に手を掛ける。 「リナ…リナっ」 「ああ、ガウリイ…」 夜に似つかわしい、妖艶な声色。 ただ熱に浮かされるように、相手を求める――― 「ねぇ、ガウリイ……もう寝た?」 少女のような甲高な声とともに、鍵のかかっていなかったドアが無造作に開かれる。 「? …ガウ――――!!」 栗色の髪の少女はその場に立ちつくし、言葉を失う。 目の前で絡み合う男女。 ……金髪の青年と、黒髪の女…… 自分の相棒で…恋人の彼と、過去何らかの曰くがありそうな女がベッドで…… 震える足で一歩、二歩と後退し、きびすを返す。 黒髪の女は満足気にそれを見送ると、自分を貪るガウリイの頭を抱き寄せた。 「ガウリイ…もっと、もっと、あなたを頂戴」 ガウリイはその言葉に応えるように早急に上着を脱がせ、 直に女の胸に触れ――――――動きを止めた。 (キケン… コレ、ハ ……ジャナイ……?) 「ガウリイ、どうしたの?」 (コレは、リナじゃない!!) 女を乱暴に引き剥がし、顔を見上げる。 そこには、いつも頬を染めながら感じる少女の顔ではなく、妖艶に微笑む女の顔――― 「カーラ!?」 「あら、もう目が醒めちゃったの? もう少しだったのに…」 臆面もなく飄々と言い放つ。 笑みに形取られたその唇は、静脈の血色に塗られ、舌がぬらりとなぞっていた。 「なぜカーラがここにいる?リナは…リナは何処だ!?」 「始めからリナなんて女はいなかった。 ここにいたのは私だけよ」 含みのある、禍々しい笑み。 リナとは似ても似つかない存在。 この時初めて、ガウリイは自分が何をされていたか検討がついた。 頭に霞がかったように残るこの残滓は…… みるみるうちに渋面を作るガウリイを挑発するように扇情的な仕草と言葉で誘うカーラ。 「くす…激しいのね。昔よりずっと…。 あの薬には媚薬効果はないのよ?」 「夕食に薬を盛ったのか?」 「ご名答。正確には食後のワインに、ね。」 「幻惑の薬か?」 「そうよ。あなたほどの傭兵が気づかないなんてね」 「き、さま…っ」 恐ろしいまでの殺気がカーラに叩きつけられる。 しかし、それを平然と受け止め、なおカーラは笑みを深める。 「そう…その殺気よ。私の知っているガウリイは。 抱かれているうちに斬り殺される気になるわ。 氷の瞳に体の血液が凍る……最高よ」 「………ゲスが…」 「ああ、そうそう。言い忘れていたわ。今さっき、リナさんがここに来たのよ。けど私たちを見たら逃げしちゃったわ。子供には刺激が強すぎたかし……ぅぐ…っ」 わざとらしく語るカーラの言葉が途切れる。 息もままならないほど強く、彼女の首をガウリイが無表情で締め上げていた。 「こうるさい女だな」 酸素を求めて藻掻くカーラに酷薄な表情のままで笑いかける。 瞳を覗き込み、全てを見透かすような蒼い瞳。 「くく…なんだカーラ。おまえ、柄にもなく傷ついているのか?」 「…!ん…で…す、て…?」 カーラがなんとか声を漏らしながら顔を強張らせる。 「オレは求めたさ。リナの名を呼びながら、リナだけを。 それで…?おまえは一体誰に求められたんだ?」 「……!!」 自分の惨めさを見破られ、狼狽する彼女の首を離す。 こうなっては命を狩る価値もない。 「愚かだな…」 吐き捨てるように言い放ち、カーラの愛する冷淡な瞳でじっと見下ろす。 彼女の行為を胸中で詰り、蔑みながら。 その視線を振り払うかのように、カーらは勢いよく首を振る。 「あなたは私を抱こうとした。そうよ!求めた!その事に変わりはない!!私は…私は……っっ」 ガウリイは乱れた着衣を整えると、頭を抱え狂乱するカーラに一瞥もくれず背を向けて歩き出した。 「待って…待って、待ってよ! 行かないでガウリイ、愛していたの。ずっと…!」 聞く耳すら持たず――――ガウリイは無言で部屋を出ていった。 掛ける言葉など持ち合わせていない。 そう無下に表すかのように。 「いかないで……お願、い…」 無情にも、すがる女を残したまま。 彼はただ、自分の愛する少女だけを追い求めた。 |