Missing Eve






















「ジングルベ〜ルジングルベ〜ルvv 鈴が鳴る〜〜♪」


低い男の声では、とてもじゃないが聞きたくないハミング。
それでもどこか似合ってしまうのは何故か?

人通りも少ない住宅地の合間に浮き足立つ男が独り。
顔はパッと見、なかなかのハンサムな青年なのだが…。



このクソ寒い12月の下旬。
吐く息も白くなる夜となっては、通り行く人は皆、コートを纏って早足ですれ違っていく。
しかも、イルミネーション街の代わりは不規則に点灯する街灯。
そんなもの全く気にも掛けない背の高い男は、マフラーも手袋もせずただ黒いロングコートを羽織り、その背には長い長い金髪が本人の上機嫌さを表すように軽やかに揺れていた。



「はぁv幸せだ…」


はにゃ〜っと美しい造形が崩れつつも、本人だけは一向に気にせずひたすら歩き続けている。


クリスマスイブの夜。
男が一人。

女性から見れば、この男が独りという条件があれば殺到もののお買い得品なのだが。
それでも、今この男に声を掛けようなどという勇敢な神経の持ち主は現れなかった。


それだけ不気味なほどの上機嫌。
近寄りがたい壊れ具合。


改めて、彼の名はガウリイ=ガブリエフ。
時々本人が思い出す(ほとんどは忘却の彼方)年齢は、外見とさほど変わりなく20代半ば。
体つきは逞しく、それでいてマッチョではないすらりとした長身。
顔も彫りが深く、蒼い双眸は見る物を虜にさせるに十分な威力を持っている。かつてそれが存分に発揮された時期もあったのだが、今回は余談なので置いておく。その甘いマスクで甘い言葉でも囁けば10人に8人はひっかかるであろう造形である。しかも性格も極めて温厚で紳士的。
畢竟するに、かなりイイ男の部類に入るかと思われる。

なのに、ハミングである。
こういってはなんだが、ひじょーに似合わない。
が、欠片も不自然ではないのはこの緩みきった顔のせいか…。

では、その原因は何であるか?
ある意味、危険極まりない行為ではあるが、ここは探求心の赴くまま、ちと彼の思考を覗いてみよう…。


『ああ、やっぱり帰ったら、温かい部屋とやわらかな明かり。
 そして笑顔のあいつv』


にまにましていた顔の一部がのべーっとだらしなく伸びる。
ご想像の通り、そこは鼻の下なのであるが。
続きを見てみよう。


『恋人たちのあまぁい夜v…ふ。
 ここは一つ雰囲気にかこつけてあわよくば……』


今度はくっくっくっと不気味な怪笑を漏らす。
ここで警察の方と会えば、彼は間違いなく職務質問の対象となっていただろう。
今ここにいる人間が彼一人で、今後の予定は狂うことはなさそうである。
喜んでいいのか…はたまた……


『でもまずは雰囲気。そしてクリスマスイブの奇跡を存分に楽しんでだな、後は巡るめく愛の語らいに…』


そして果てしなく続く、彼曰く『愛ノ語ライ』とやら。
その比重がどう見ても1:9くらいなのは、どうとるべきか。

そして、彼の頭をちらっとでも除いてみると次から次へと溢れてくる女性。
今では妄想の餌食となっている彼女だが。

彼女の名はリナ=インバース。
まだあどけない顔立ちの少女である…………が……………


『ここはひとつオレのピーーをリナがピーーピーしてもピーーピーーピーーーーーーーーさせて最後には……』


あー。こほん。…失礼。
あまりにも過激な情景描写…もとい妄想が放送禁止用語と共に絶え間なく造られているゆえ、やむなく検閲させて頂きます。ご了承下さい。

可愛い少女になに不埒な妄想しているんぢゃワレっ!!
と突っ込まれそうになるのだが…。
この国は図らずも憲法でそれを保証しているのだから、なんとも恵まれた状況である。

傍目にも分かるその浮かれよう。
彼自身でも感情の調節ネジが飛んでるような気がしなくもないのだが、やはり、ふやけた……いや、崩れきってとろけた顔は戻らない。

はっきり言って宗教心はそっちの方に置いておくにしても。
この国で独自に作られつつある恋人たちの特別な日を、常人では理解しがたいほど溺愛して溺れきっている恋人と過ごせるとなれば、男の顔を緩ませるには十分なのだ。

しかも、今日は彼と彼女がめでたく恋人となった始めてのクリスマスイブ。
期待せずにはいられないのが男の悲しいサガ。





見えてきた一軒の家。

それは展示場のような生活感のない家だったが、諸事情の為その説明は省かせて頂く。
ともかく、そこは紛れもなく彼女の家だった。

「♪」

何故だろう。
とてつもない違和感のある家。
それでも、イカレた…もとい浮かれた彼の目には入らなかったのだろう。
彼女がドアを開けた瞬間、襲いかかりそうなその顔。
インターホンを押し、暫し待つ。


応答無し。


もう一度押す。



……再度応答無し。



ここでやっと男が訝しげに首を傾げた。

「…リナの気配がしない…」

どうして現代の人間に人の気配?と首を傾げる所ではあるが、
彼の特殊性として本能と勘は人間を軽く超えていた。
が、ここでもやはりその話しは抜きにして。

きょろきょろと辺りを見回すと、後ろは暗い夜道、そして見上げると明かり一つ灯っていない窓。

そう、この家は今現在、無人なのである。
少なくともそこで彼の夢はあらかた崩れた。


「リ、リナ!?」


慌てて携帯を取り出すと、アドレス帳を探すのもまどろっこしいのか、直にぴぴぴっと目にもとまらぬ早業で入力していった。
彼を知る人間がこれを見ていたならば、彼の記憶力の復活をたいそう驚いたことだろうが、なんのことはない。
彼は一部のことに関しては、誰よりもずば抜けた記憶力を誇っていた。


いらいらいら。

繋がる間ももどかしい。


彼の脳裡には、彼女が不慮の事故にでも?と気が気ではない。
が、これまた彼女を知る人間がいれば、杞憂に過ぎないと一笑するところでもあった。

「くぅ…何故だ……」

とうとう留守番電話サービスに繋がってたしまい、仕方なしに電話を切る。
そして、彼はまたもや気付く。
いつの間にか携帯にメールが一通入っている事を。



   『新着メール一通』


メールの相手は、今の今まで思い描いて色々と…その濃密なひとときを妄想していた彼女からだった。
大急ぎで開けてみると……


『やっほーガウリイ〜。凍死してない〜?
って、あんたの場合そんなわけないっかー(笑)あのね〜。今日ミリーナのバイトしてる喫茶店で8時以降にケーキ半額なるんだって〜。
うう。ケーキ!ここで食べなきゃクリスマスは語れない!と、言うことであたしは一足先にケーキ制覇に向かうから、
あんたも来るなら早く来ないと全部食べちゃうわよ〜〜〜♪ ふろむ。リナ』


「んなぁにぃーーーーっっ!!!!」

メールの画面を凝視しながら血の涙を流すガウリイ。

別にケーキ云々はどうでもいい。
そもそも彼は甘いものはさほど好きではないからだ。

それよりも、この対応!!
せっかくの二人だけのクリスマス。
甘いひととき。
愛の語らい…云々。

全て、ケーキ半額の前に敗れ去ってしまったのだ。
ガックリと膝をつき、彼は力尽きた。



が、しばし灰になっていたが、それでものろのろと起きあがり、

「はぁ…」

深いため息を一つついた所で、彼はとぼとぼと歩き出した。
先ほどまでの陽気さは何処へやら。
はっきり言って見ている方が辛気くさくなる、そんな雰囲気である。


それでも彼は歩き、なんとか駅に着いた。
電車を乗り継ぐこと、15分。降りて再び歩き出す。
駅からさほど遠くない喫茶店には明かりが灯っており、少しだけ、彼の打ち拉がれた心に元気を与えた。

ドアを開けると、おなじみの音。
カランカラン、と鐘がなる。

「いらっしゃいませ」
「おー。なんだ?ガウリイじゃねぇか〜」

涼やかな女性の声と挑発的な男性の声。
その二人ともに、少し驚きが混じっていた。
そして望んでいた温かい暖房の効いた室内に、やわらかな光。
それでも、肝心の彼女が見あたらない。


「あれ…?リナは? 来てるんじゃ……?」

二人っきりという、彼の一番の楽しみ…というか、重要ポイントを外され、少なからずふてくされていたものの、やはり彼女と一緒に過ごしたいのには変わりがなかったようで来たはいいが、その彼女がいない。

「クリスマスイブにすれ違い?そんな切ないお話はなしだぜぇ〜〜」

すぐに勘づいたカウンターに座る男が軽口を叩くと、ガウリイの鋭い視線が指し貫く。
「ルーク、あまり洒落にならんこというと………」
「へいへい」
大して気にした様子も見せず、肩を竦める。
「それで、ミリーナ…リナは……」

ルークの隣。
未だ山積みされた皿とケーキ外枠を包んでいた包装紙の山。
その半端無い量はおそらく彼女が居たであろう証拠なのだが…。

「リナさん、店のケーキを全て制覇して先程帰りましたよ?」
「ラースクリスマスアイゲビューまいはーと〜〜」

「ル、ルーク…?」

明後日の方向を見ながら、とある歌の歌詞を口ずさんだルーク。
ミリーナは彼を静かに見る金髪蒼眼の男の視線に注意を促すが…
先を告げさせず、彼は一言死刑を宣告した。


「…コロス…」

「いっつあべり〜って 寒っ!?
 なんだ、この喫茶店の空調壊れてんのか?背筋が………って、…へ?」

「ガウリイさん、今日はイブの夜なので手加減して下さい…」


その現場を直視しないようにため息を吐くと、ミリーナはケーキのホール紙やら皿を手早く片づけ始めた。

彼女の仕事の終了ととほぼ同時に、ガウリイの憂さ晴らしも終わったようで、後はもはや物言わぬ屍が一つ、無惨に床に転がっていた。


「あ、またメールが来てたか…」

嘆息するガウリイが開けると、


『がうり〜!遅ーーーい!!
 もうケーキ制覇しちゃったじゃない〜。ぶーー!いいもーん。
 一人で帰るもーん。
 もしこの寒空の中、リナちゃんを帰らせた事に罪悪感があるのなら、
 お土産になんか買って来てね〜。あー温かいもんがいいなvv』

「ったく仕方ねぇなぁ……。少しは大人しくしててくれよ〜〜」

頭を抱えてぼやいてみるが、それがリナ=インバースと言う女なのであって。
ガウリイ自身も理解はしているつもりだが。
こんな夜にほいほい出歩いた上に、振り回さないで欲しいと思うのも察して頂きたい。
…というか、ケーキを制覇したのにまだ喰うのか?
というまっとうなご意見もあると思うのだが、その辺は彼らの常識からは外れているらしい。

疲労度が3割り増しになっても、体は自然に立ち上がって彼女のもとへ行こうとする。


「こうなりゃ意地でも会ってやる」
「リナさん、大通りのイルミネーション街を通って行くと言ってましたよ」

ミリーナは静かに微笑みながら教えてくれた。
この時ばかりは、彼女が聖母様のように見えたものである。

「サンキュ!じゃ、いいクリスマスを」

去り際に、ムギュッと床に転がる物体を踏んだような気がする彼であったが、特に気にすることなく出て行った。

「く、くそ…なんで俺がこんな目に……」
「自業自得です」

さほど珍しくもないその光景。
何しろ常連客は見向きもせずに楽しく団欒を続けているのだから、些細な出来事だ。
…いや、この喫茶店にとって、黒髪の男が金髪の男に制裁されるのは、それこそ日常茶飯事の出来事だったのである。


「ルーク、邪魔ですから起きあがって下さい」

冷たく言い放つミリーナであったが、何とか起きあがった彼の席の前に湯気の立つ温かな珈琲が煎れてあった。
砂漠でオアシスを見つけたようなキラキラとした瞳でそれを見つめ、口に運ぶ。
「うう、美味いっ美味いぞーーっっ!!!!」

それだけで幸せなクリスマスイブ。

「ですから、店内ではお静かに…」

そっぽを向く彼女の横顔。
どこか不器用な仕草。

「クリスマスイブも捨てたもんじゃないなぁ♪♪」

しみじみと言う彼は、幸せそうに笑って見せた。









<後編に続く>