囚われの姫君 〜 前編 〜 |
―――リナが、オレの前で光を背に受けながらいつものように笑っている。 オレも一歩下がった定位置で彼女を見守りながら笑っている。 そんな、何気ないやりとりと日常、何物にも代え難い幸せ……永遠に続くはずだった、至福の夢――― それが一転し、リナの周りだけが闇に包まれる。 顔色を変えて辺りを見回し、オレの元へ来ようとするリナの後ろから闇の触手が伸び、彼女の手を絡め取る。 オレが剣を抜く間に触手は数を増やし、リナを覆い尽くすほどで蠢いていた。 何かを訴えようとするリナの口を触手が塞ぎ、くぐもった悲鳴のみが虚しく空気を震わせる。 斬りつけようとする剣が、蠢く闇の手前で止まる。 見ればオレの手にまで絡みついている触手。 振り切ろうと足掻く間にリナだけが闇の中心に引きずられていく。 「リナ!」 オレはなんとか逃れた片手だけをリナの方へと伸ばす。 が、わずかに届かない。 藻掻くオレを嘲笑うかのようにゆっくりと闇に引き込まれるリナ。 その瞳は不安げに揺れていたが、助けを拒むように何度も首を横に振る。 「リナ、リナぁぁぁぁぁああ!!!」 「…ごめん、ガウリイ……」 飲み込まれる寸前、口を塞がれているはずのリナの声が聞こえたのを最後に、オレの意識も闇に沈んでいった―――― 「リナああぁ!!!」 動く身体を勢いに任せて飛び起きると、息が詰まるほどの痛みが全身を貫く。 「っっつ!!」 痛みの波が引くまで奥歯が砕けそうになるほどきつく歯をかみ締め、息を止めてひたすら耐える。 痛みの奔流に流されそうになる意識を叱咤し、辺りに目を走らせる。 ―――それはなんの変哲もない部屋だった。 そして、オレの体には包帯が巻き付けられ、服を着ていないのにもかかわらず、肌を晒している所が少ないほど白い布で覆われていた。 鼻につく、何かの薬草の臭い。 けだるげな頭を振ると、途端に目眩に襲われる。 熱?…おまけに貧血? このオレが? 自慢じゃないが、相棒に体力だけはオーガ並だの体力バカだのと言われるオレは確かに頑丈だったはずだ。 それがここまで消耗するとは………何が、あった…? 記憶を辿ろうとすると、思い出させまいとするかのようにズキン、と鈍い痛みが邪魔をする。 額に手を当てれば、そこにも包帯が巻かれていた。 本格的に満身創痍だな、こりゃ。 他人ごとのようにそう思うと、不意に、物足りなさがこみ上げてくる。 それの正体が分かる前に、身体が勝手に何かを探し始める。 そうだ………あいつが…いない。 あいつは――――リナは何処だ? どうしてオレがここにいるのに、あいつがいない? 半身をもぎ取られたような痛みは身体のそれではなく、冷たいナイフが心臓を嬲っているような感覚に悪寒を覚える。 リナを探そうと、痛みむ身体に鞭打って出入り口に向かおうとするオレの前に、外からの訪問者にドアが開かれ、姿を現したのは一人の老人だった。 オレも驚いたが、その老人も驚いたようだ。 誰だコイツは・・・? 敵意を持たぬ老人にすら自然と警戒する自分。 まるで、傭兵時代に誰も心を許さなかった頃のように。 「気がつきなさったか。」 「ここは?」 「ここは山の麓の小さな村じゃよ。あんたが山中で倒れているのを猟師が見つけてここに運び込まれたんじゃ。発見されるのがもう少し遅れていれば、手遅れになってたかもしれんな。」 「あいつは?………リナは?」 オレのことなんかどうでもいい。リナはどうしたんだ? 「・・・・・・。」 「リナは・・・いるはずだ。いないはずがない。 オレの隣にリナはいるはずなんだ…………彼女は何処にいる!?」 掴みかからんばかりのオレに、老人はいたって冷静な面持ちで口を開いた。 「残念じゃが、お前さんは一人じゃった。周りにも誰もいなかったそうじゃ。」 「じゃあリナは何処に行ったっていうんだ!?」 助けてくれた恩人に言う言葉ではないと頭で分かっていても、冷静になれない部分が魂の叫び声を上げる。 なんで、リナが居ないのに、オレがここに居る!? オレだけ、が……………生き、残…った……の、か…? オレが痛みの制止を振り切って記憶を辿ると、過去がフラッシュバックしてくる。 リナの泣き顔が――悲痛な叫びが――鮮明に蘇ってくる。 『もう・・もう止めて!! ガウリイを殺さないで! あたしはあんたのモノになるから何でも言う通りにするから。 ・・・だから もう止めて!!』 『初めからそうおっしゃってくだされば、僕としてもこのような手荒いやり方をしなくても済んだんですがねぇ。』 オレを見下ろす目には狂気の色 残酷な笑み 人ならざる力 ――――そうだ。あいつが、オレからリナを奪った。 『…ごめん、ガウリイ……』 泣きそうな瞳だった。 声だって震えていた。 それなのに、オレはリナを守れなかった――― ちくしょう!!! ぐっと拳を握りしめて、目を開いたオレを見た老人が途端に顔色を変え、オレの前に立ち塞がった。 鼻につく、香り……… これは薬草などではなく………………忘…れ、草…… 「思い出しなすったな。……今行ってはならぬ。 今度こそ、殺されますぞ?」 「どけ」 死など、かまわない。 許せないのは、オレ以外があいつの隣に居ること。 あいつが、オレのために犠牲になったこと。 老人を押しのけて歩き出そうとした途端、腕に微かな痛みと猛烈な脱力感に襲われる。 視界が霞み、再び闇がオレを捕らえる。 「すまぬ……これ以上……アレに罪を着せたくはないんじゃ…―――」 腕を刺した針には…おそらく即効性の麻酔薬―― だめ、だ… オレはこんなことで床に寝ている暇は・・・・・・・・・・・な・・・い・・・・・・・ あたしはその存在を全身で拒絶するように横を向く。 「リナさん。何か食べてください。折角あなたを手に入れたというのに、死なれてしまってはもともこもないじゃないですか」 粘着質の声色が耳にまとわりつく。 …………気持ち悪い。 「あたしはあたしのしたいようにする。あんたの言いなりにはならない。」 ありったけの憎しみを込めてそいつを睨めつけながら、押し殺した声で言う。 「いけませんねぇ・・・貴女は僕の物になると自分から言ったのだから。 約束は契約として履行してもらわないと。」 あたしは悔しくて唇を噛み締める。 「ふん……笑わせないで。 あんなの質の悪い脅迫だわ。何処の法律だって無効って言うわよ。 あんたはあたしがそう言わなければガウリイを殺したでしょう?」 「ええ 勿論そのつもりでしたよ。僕のリナと図々しくも一緒にいて・・・ 保護者だって?ふざけるのもいい加減にしてくださいよ。」 「ふざけてんのはあんたの方よ! ……それより、ガウリイは・・・・・・彼はちゃんと生きてるんでしょうね?」 あたしの脳裏に切り刻まれて血だらけになったガウリイの姿が過ぎる。 あんなに出血していた。 致命傷が無かったとはいえ、出血死する可能性だって…… 高等な白魔法を使えない自分では、ガウリイを救うために彼が必死で守ろうとしてくれたあたしを差し出すことでしか彼を助ける術がなかった。 自分の力不足に心底嫌気がさす。 ……ここを生きて出られたら白魔術をマスターしてやろうかしら。 おまけに現状に甘んじなきゃなんないこのはらわた煮えくりかえりそうな怒りと、虫ずが走りそうなほど嫌なヤツに支配されて胃がとろけそうなストレスも発散させたい。 当分自然破壊と盗賊いぢめを黙認してもらうわよ、ガウリイ!! その元凶たるや、余裕の笑みでにたにたと笑っている。 あたしの憎悪でさえも笑顔を持って応え、暗い瞳が鈍く光る。 「さぁて。彼がどうなったかなど知りませんよ。あの後、すぐ山に捨ててきましたから。・・・ゴミのようにね。」 「……な!? 約束が違うわ!!」 あたしはもともと、あいつが復活するまでという期限付きでここにいるようなものだ。 …今のあたしに魔法が使えたら、こんなヤツに決して遅れは取らないのにっっ 悔しい。悔しすぎる!! 「あれはあなたを手に入れる為だけのエサだったんですから、用が済めば捨てるのは当然でしょう?」 そいつはいっそ清々しいほど凶悪で嬉しそうな笑みを浮かべながら言う。 ………こ、殺す。 コイツ、今に必ず消滅させてやる!!! 固く誓うあたしは憤怒の表情のまま口を開く。 「ガウリイはゴミでもエサでもないわ。あたしを盾にしてガウリイを傷つけて… あたしにしてみれば、あんたの方がよっぽどクズだわ。クズの真骨頂よ。 そんなことをしたってあたしはあんたなんかに服従しない。どうしてもそうしたいなら、あたしを殺して死体にでも抱いてなさい」 「僕はあなたの死体なんかに用はありませんよ。僕が欲しいのはあなたのその生命の輝き。僕はたたの貴女に魅せられた闇。闇は光に呼び寄せられ、その光に焼かれながらも闇は光を求める。そういえば、あいつも僕と同じ匂いがする。あいつもまたあなたという光に呼び寄せられた闇―――気に入らないな」 奴は訳の分からないことをほざきながら吐き捨てる。 「あたしは光なんかじゃない!あたしはあたしよ。それにガウリイは闇じゃない!あんたなんかと一緒にしないで!」 「闇は姿を隠す。とても上手にね。」 そう言うと、そいつはあたしの手首を掴んでくる。 振りほどこうと腕を振っても腕を掴む力は緩むことはない。 それどころか、さらに力を込めてくる。 思わず『痛い!』と叫びそうになる。 けれどそれは相手に自分が屈する、負けるということを意味する。 あたしは唇を噛み締めて痛みに耐える。 「なかなか我慢強いですねぇ。」 そいつはまだ十分余裕がある声で言うと、今度はあたしをベットに押し倒す。 掴まれている手が痺れて動きそうもない。 あたしは、無事な両足と片手を思いっきりばたつかせる。 「あいつも闇を表せば貴女に襲いかかりますよ。こんな風にね。」 「ガウリイをあんたなんかと一緒にしないでっていってるでしょ!」 あたしの上に覆い被さっている顔が凄みを増す。 「これ以後 僕の前であのゴミの名前を出すことを禁じます。」 「五月蠅い!ガウリイはゴミなんかじゃ……っ」 あたしが彼の名前を口にした途端 そいつは自分の唇をあたしに押しつける。 「いや!」 あたしは思いっきり顔を背ける。 自然と目から涙が溢れてくる。 こんな奴に…… こんな奴にキスされたっ!!! あいつと…いつか、出来たらいいなぁ、なんて柄にもなく乙女チックに思っていたあたしのファーストキスを・・・っ! 前言撤回。 呪文なんか使えなくても、どうにかして殺してやろうしから!? 視界が赤く染まるほど怒りがこみ上げてくるが、ガウリイの安否に思いとどまる。 せめて、あいつが無事に戻ってくるまでは。 ……せめて、あたしがどうにかして呪文を使えるようになるまでは。 まだ、我慢しなきゃ。 どんなに抵抗しても、そいつはあたしの顎を手で固定して再び唇を押しつける。 愛も想いやりもない口づけ。 そこにあるのは、ただ独占欲と支配欲だけ。 「……っ!」 そいつが慌ててあたしから唇を離す。 そいつの唇からはヒトの名残であろう紅い血。 そう。あたしが思いっきり噛んでやった。 「本当に山猫みたいに元気がいいですねぇ・・・。まぁ今日の所はこの辺にしておきましょう。」 そう言いながら、そいつはあたしの額に触れる。 そこにはいつもの黒いバンダナではなく銀のサークレットがはめられていた。 「このサークレットがある限り、あなたのお得意の魔法は使えませんよ。しかし、念には念を入れて貴女の腕に鎖をつけて措きまょうか。」 痣になるほど強く捕まれ、手首から先が血が止まり紫色に変色しているその場所に黒い鎖を嵌められる。 やっぱりガウリイとこいつは違う。 ガウリイは決してあたしを束縛することはしない。 こんな鎖なんかで………っ それを辿ればベットの太い天蓋にくくりつけられている。 ホント、念入りなことね。 嘲笑うかのように胸中で呟く。 これを解くのは容易ではないだろう。 こんな時、ガウリイがいてくれたら、剣で断ち切ってくれるのに・・・。 「貴女はここから、僕から逃げられることは出来ません。 でも、その分 僕が生涯愛して、可愛がってあげますよ。」 そう言うと、あっさりとあたしの上から退いて、部屋を出ていった。 ドアが閉まるやいなや、あたしの意思とは裏腹に勝手に震えだす身体をきつく抱きしめる。 「ガウリイ…」 いつも隣にいてくれた男(ヒト)。でも今はいないヒト。 「ガウリイ、早く来ないと、お仕置きしてやるんだからね。 ガウリイの口にピーマンをめいっぱいに詰め込んじゃうわよ? だから………ガウリイ………早く、…あんたに、…逢い、たい…よ……っ!」 「がうりい・・・」 あたしは、あいつに無理矢理奪われた唇を鎖のついていない左手で赤くなるまで擦りながら彼の名を呼び続けた。 あたしの想いが、彼に届くことを願って――――… 「………リ、……ナ…?」 リナがオレを呼んでいるような気がして、覚醒する。 が、やはり 目を開いた先で望んだ姿を見つけることは出来なかった。 記憶は誤魔化されていないようだ。 ちゃんと治療もされているらしく、解熱剤のおかげで熱もない。 痛みはひどいが、その分意識もしっかりしている。 これなら………多少は戦える。 「リナ…………待ってろ。すぐに行くから」 まだふらつく体で立ち上がり、装備を調えると、側に掛けてある斬妖剣を剣帯につけ、部屋の窓から拭け出す。 リナが、オレを呼んでいる―――― 続く。 |