人魚姫 番外編 Intermission 〜遠い昔の思い出〜 後編 |
リナが出会った人間の青年、ガウリイ。 彼に対する一族の感情は……はっきり言って良くない。 けれど私は知っている。彼がリナにとってかけがえのない存在となっている事を。彼女にとって欠かすことの出来ないただ一人の人なのだという事を。 ……そう。 あの二人が、初めて出会ったあの時から…… ☆ ☆ ☆ リナが海底神殿に行くことになったのは、彼女が4歳の時だった。 あの時は大変だった。城より深い所にある神殿は“海の宝珠”を祀っているためずっと結界の威力も大きい。リナを守るためにはそこの方がふさわしいというのが大人達の意見だったが、リナは嫌がった。 あの事件以来、私とリナはほとんどいつも一緒だった。けれど、私は一緒に 神殿に行く事は出来なかった。私は次期“真珠の女王”。海を治める者として城で身につけなければならない事、学ぶべき事が沢山あったから。 リナは“珊瑚の王女”。その役目のためにも、神殿にいる方がふさわしい。 しかし…… 「いや!」 「リナ様、これはお父上が決められたこと。お聞きわけになって下さい」 「いや!!」 「リナ様!」 「いやーーーーーーーっ!!ぜったい、ぜったい、いかないのーーっ!!」 最近、リナは泳ぐのが速くなってきた。毎日私と追いかけっこしていたせいだろうか。 今もリナを掴まえようとする侍女達の腕をするりするりとすり抜けて逃げ回っている。 「リナ」 「あ、ルナ様!」 「ねえちゃ!」 リナはすぐさま私の方へ泳いできた。 「リナ、ちゃんと言うこと聞かなきゃダメでしょ?これは貴女のためなんだから」 私がそう言うと、リナは私にぎゅっとしがみついてきた。 「や!!りな、るなねえちゃといっしょいる!!しんでんなんかいきたくないの!」 ここで突き放すのは簡単だったが、私はそうしたくはなかった。だからといって、リナをここにいさせる事は出来ない。 私と同じように、リナにも学ばなければならないことは沢山ある。そしてそれを学ぶ場所はここではない。 出来ることなら私だってリナと離れたくはない。ずっと私の傍に置いておきたい。 でもそれはダメ。それはリナのためにならない。 私に出来ること。それは…… 「ねぇリナ、私みたいになりたいって言ってたわね」 「?うん」 「それならここにいてはダメ。貴女が学ぶことは私と同じではないのだから」 リナは俯いてしまった。縋り付く小さな手が震えている。私は小さなリナをそっと抱きしめた。 「でもね、約束するわ。毎日ちゃんとリナに会いに行く。絶対」 「……ぜったい?」 「うん。私が出来ない約束したことあった?」 「……ない」 「ね?だから……行きなさい。リナ。そしていっぱいいろんな事を覚えて私に教えて」 「ねえちゃに?」 びっくりしたようにリナは大きな瞳を見開いて私を見上げた。 「そう。教えてくれる?リナ」 「うん!」 「良い子ね。……リナ」 私たちのやりとりを聞いていた侍女達がそっと近づいてくる。 「さ……参りましょう」 リナはまた私にしがみついたが、やがてゆっくりと小さな手を離した。 不安そうな瞳に頷いてやると、リナはこくんと頷きそっと私から離れた。 護衛の兵士や侍女達に囲まれて城を去る小さな姿…… 私はその姿が見えなくなるまで、ずっと見つめていた。 ☆ ☆ ☆ 神殿に行ったリナ。 しかし周囲の不安をよそにリナがそこに馴染むのにたいした時間はかからなかった。 同じ年頃の子供達がいたせいもあるだろう。すぐにリナは仲の良い相手を作ったようだった。 神殿守護部隊の長の息子、ケインとその妹のキャナル。彼の従姉妹のミレニアム、通称ミリィ。ケインとミレニアムはリナより二つ上、キャナルはリナと同い年だった。 この三人はリナの一番の仲良しだった。 様子を見に行くといつもリナは彼らと一緒にいた。一緒に遊んでいる様子はまるで本当の兄弟のようで……正直言ってうらやましかった。 私だって、リナともっと一緒にいたかったのに。 リナは他の子供達と一緒に神殿で様々な術を学ぶようになった。しかしそこで思わぬ事が起きた。 どんなに正確に呪文を唱えても、術が発動することがなかったのだ。 覚えの良いリナは複雑な呪文でもすぐに覚えた。それに王の血統に連なる者は例外なく強い力を持つ。ましてリナは“珊瑚の王女”。術に対する適性は私に勝る。 それなのに、力は発動しない。ろくな力を持たない者でも使える術であっても結果は同じだった。 いくら王族といっても神殿では他の子供達と同等に扱われる。それが父の決めたことでもあり、私の望みでもあった。 力に溺れればろくな事にならない。リナに、王族としての間違ったプライドなど持たせたくなかった。 結果、リナは辛い思いをすることになった。子供というものは思いの外残酷なところがあるから。 ある日、神殿に行くとミリィが私の所へ飛んできた。 「ルナ様」 「どうしたの」 「それが……リナが、部屋に閉じこもってしまって……」 ミリィと共に神殿の奥にあるリナの部屋に向かう。閉ざされた扉の前にケインとキャナルが困ったように立っていた。 「何が原因?」 「今日の授業の後…リナをからかった奴らがいた。その後部屋に入ったっきり出てこないんだ」 「……そう」 予想はしていた。前にも教師のフィリアから打ち明けられていたから。 リナに力がないわけではない。いやむしろ稀にみる強い力の持ち主であるらしい。 なのに力は発動しない。 「おそらくリナ様のお力は封印されたと同然なのです。それがどうしてなのかは分かりませんが、目覚めさせる方法を見つけださない限りお力は使えないのだと思われます。 一体どうすれば良いのか、私たちには分からないのですが……」 どうして力が使えないのか。どうして上手く出来ないのか。リナはずっと考えていたのだろうし、からかわれることだって一度や二度ではないだろう。 堪えていたものが、限界を超えたということか…… 「リナ、私よ。ドアを開けて」 答えはなかったが、しばらくして鍵の外れる小さな音がした。 「あなた達は待ってて。私が話すから」 「じゃあ、いつもの所にいるって伝えてください。行こうキャナル、ミリィ」 三人の姿が消えるのを待って、私はドアを開けた。 部屋の奥に置かれた寝台の上…そこにリナはぽつんと座っていた。 「リナ?元気ないわよ」 「……もう、れんしゅうしない」 蚊の泣くような声でリナは言った。 「何で?」 「だって……みんなわらうんだもん。りな、ぜんぜんできないから。みんなできるのに、りなだけできないから。それに……」 「それに?」 リナは黙ってしまった。私もそのまま黙ってリナの隣りに腰を下ろす。 しばらく沈黙が続いたが、私はリナが自分で話し始めるのを待った。 「…………ちがう、から」 「何が?」 「りなだけ、あかいもん。みんなとちがう。へんだって、いわれた。りなだけへんだって。おまえなんか……なんでここにいるんだって」 私は息をのんだ。よりによって……私の大切なリナにそんな言葉を投げつけた者がいるなんて。 「だからもうしない。れんしゅうなんかしない。ここにいるのもや! ………こんないろ、きらい!!」 胸が痛んだ。私が傍にいられれば、こんな思いを味わわせずにすんだかもしれない。 けれど。 これでリナに負けて欲しくない。こんな理不尽な扱いをはね除ける強さをリナにはもって欲しい。 だから。 ぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりぐりっ 「いたいっいたいいたいいたい〜〜〜〜…」 リナは大きな瞳に涙をいっぱいためて私を見上げた。 「あうぅ…ねえちゃ、ひどひよぉ〜」 「あのね、リナ」 私はリナの瞳をのぞき込んだ。 「人は誰でも自分にしかできないことを持っているの。リナもそう。リナにもリナにしかできないことがある。いつかその日が来たとき、『出来ません』なんて言えないのよ。それじゃすまされない。 それに、誰だって最初から上手に出来る訳じゃないの。私だってそうよ」 「ねえちゃでも!?」 リナは目を丸くした。 「そう。だから頑張って、リナ。リナなら絶対出来るから。お姉ちゃんが保証する。絶対、出来るようになる。 それにね、私リナの鱗の色好きよ。とっても綺麗だし、私なんて平凡な碧だもの。私もリナと同じ紅だったら良かったのに。そうしたら私とリナお揃いだったのにね」 「すき?ねえちゃはりなのいろすきなの?」 「ええ。大好き。私だけじゃないわ。ケインもミリィもキャナルもみんな好きよ。だからリナ自身が嫌いだなんて言わないで。 そして……他の人とちょっと違うからって嫌なことを言う他の子達のようにならないで。そうなれる?リナは」 「……うん。りなほかのこにやなこといわない。んで、ねえちゃみたいにつよくなる!」 「うん。頑張れ。 ……ミリィやキャナルが心配してたよ。さ、行って遊んでおいで」 「ねえちゃは?こないの?」 「お姉ちゃんはやることがあるから。あ、そうだ。ちょっとケインを借りても良いかしら?」 「けいんを?いいよー」 リナを連れていつもの遊び場に行くと、すぐに心配そうに彼らが泳ぎ寄って来た。 「ケイン、少しだけ私につきあってくれないかしら」 私がそう言うとケインはにやりと笑った。 この様子だと、私が考えていることが分かったらしい。 「分かりましたルナ様。ミリィ、後頼む」 「OK 手加減抜きでしっかりやってきてね。ケイン」 「お願いね、ケインお兄ちゃん」 「おう。任せとけ」 おやおや。どうやら分かっているのは他の二人も同じようね。 ……これ以後、リナを色が違うことでからかう者がいなくなったことだけ明記しておこうと思う。 ☆ ☆ ☆ 事件が起きたのは、あれから一年後。リナが5歳の時だった。 夜中に突然神殿から使いが来た。リナが、いなくなった、と。 相変わらずリナは術が全く使えない。それでもめげずにちゃんと勉強はしているようだった。 だが、いくら知識があっても使えないのでは意味がない。 外は夜。何が起こるか分からない。 昼間でもリナは一人で神殿を出ることはなかった。必ずケイン達が一緒でなければダメと言った私の言葉をきちんと守っていたから。 それなのに…… あの子の身に何かあったら、私は………!! 祈るような思いで探査の術を唱える。目印はリナのペンダント。 少なくとも、あれさえ外していなければ、ペンダントにこめられている防御魔法でリナの身に危険が及ぶ事だけはないはずなのだけれど…… 「まさか、こんな!?」 術が示した場所は、遙か上方。 ……つまり、陸地だった。 波間からそっと顔を出す。 夜ということが幸いして、辺りに人間の気配はない。 ついてきたマーマン海洋警備隊に周囲を見張らせ、私はそっと目の前の入り江に近づいた。 「リナ……」 リナは一人ではなかった。 金の髪の、年の頃は12,3歳と思われる少年と寄り添って、事もあろうに熟睡していた。 安心するやら、腹が立つやら。 その時私はリナの下半身を隠すように少年の上着が掛けてあることに気がついた。彼なりに、リナのことを気遣ってくれたらしい。 それにしても、なぜリナは…… 「ごめんね」 少年を起こさないようにリナを抱き上げ、私はそっと海に戻った。 翌朝。 目を覚ましたリナを私は無言で見下ろした。 リナ自身、悪いことをしたと分かっているらしい。 「どうして、言いつけを破ったの」 「…………よく、わかんない」 「分からないことないでしょう。自分がなんで行動したのかが」 「ひとりででちゃだめなのは、しってる。けど」 「けど?」 「いかなきゃね、だめだとおもったの。ルナねえちゃがひとりでいっちゃだめっていってたのはしってる。けど、いかなくちゃっておもったの」 行かなくちゃ? 「どうして」 「わかんない」 リナ自身分からない何かがリナを呼んだということか…… って、まさか。 「ねえちゃ?」 「リナ、ちょっと明かりの術を唱えてみて」 「????」 「いいから」 首をひねりながらリナが呪文を詠唱する。すらすらと淀みなく。 「明かり(ライティング)!」 ぽう…… 「できた………ねえちゃ、ねえちゃ、できたよ。ほら、できた!!」 そういう、事か…… 私にすがって目を輝かせているリナ。 今まで封印されていたリナの力が解放された。きっかけは…間違いない。あの人間の少年だ。 リナは“珊瑚の王女”。必ず対となる存在がある。 この子の、運命の片割れ。 まさか、人間だとは思わなかったけれど…… 「良かったね、リナ。出来るようになって」 「うん!!」 「でも、言いつけを破ったことは……分かってるわね?」 「………はい………」 まぁ、リナが術が使えるようになったのはおめでたいことだし…… 特別に、私はお仕置きをちょっとだけ減らしてあげることにした。 「ねぇちゃ、あのね」 帰ろうとした私をリナが呼び止めた。 「あのね………これ、どうしよう」 リナが見せた真紅の石の指輪。しかしこれってまさか…… リナの手から指輪を取り、意識を集中させる。 ルビーの中に閉じこめられた、原始の炎。間違いない。全てを滅ぼすと同時に再生を司る聖なる炎の石。 「どうしたの、これ」 「あのね、ガウリがくれたの。あげるって」 炎の一族が魔によって壊滅させられて以来行方の知れなかった聖石。火属性のこの石がなぜ水に属するリナのもとに来たのか。それも、恐らくリナの対である少年の手を通して。 「ねえちゃ?」 「何でもない。けどこれ、リナの指には大きすぎるわね。……ちょっとその髪飾り貸して」 リナがいつも付けている珊瑚の髪飾り。私はその中央にルビーを隠した。これならすぐにばれたりしないだろう。何故これがこの子の所に来たのか分からないが、これもきっとリナを守る力になる。 「せっかく貰ったんなら、なくさないようにしないとね」 「うん!」 嬉しそうに髪飾りを押さえるリナに、私は複雑な心境になったものだった。 ………ひょとして、娘を嫁にやる父親の心境というのは、こんなものなのかもしれない……… ☆ ☆ ☆ 水に失われていた力が戻っていく。 それは……リナが宝珠を再生させたから。 そして、あの子のこれからが決まる時が迫っている。 生きるも死ぬも、あの青年次第。 「といっても、結果は目に見えてるわね……」 リナは、幸せになれる。あの子が不幸になるようなことは、彼が絶対に許さないだろう。そして……幸せにしてくれる。 あの子なら、どこへ行っても。 「さてと……大事な妹をとられる側としては、少しばかりいぢわるしたって構わないわよね」 短剣を取り出して、私は小さく笑った。 END |