吸 血 指 南 …?




















美女の生き血を啜り、闇に魅入られし者たち。
彼らは強大な力を持ち、人は為す術もなくただその存在を恐れた。

しかし、長き時を生きるはずの彼らはやがて時の流れに埋もれ、人は伝説やお伽噺でしか語らなくなってしまった。
彼らの足跡が途絶えて長い月日が流れ…………


これは遙かむかしむかしの物語……ではなく、この世は21世紀。
バンパイアやら吸血鬼とは縁もゆかりもないような土地に、とある一家が居た。
彼らは、吸血鬼の子孫としてこの世をそれなりに謳歌していた。
これはほんの小さなエピソード……







ほかほか風呂上がりの火照った身体で濡れた髪を拭きながら、渇いた喉を潤そうと冷蔵庫っているのは栗色の髪の女性。
まだ少女と呼んでも差し支えない彼女の幼さを残した容姿が愛らしく、未だに町を歩けば高校生と間違えられてナンパされるほどであるが、実はこれでも立派な人妻だったりする。

ミネラルウォーターを取り出して飲みながら時計を見ると、8時半。
すでに夕食を終え、後は夫の帰りを待つだけである。

食事も風呂も、夫が帰ってくるまで待っていても良いのだが……
彼女はもはや新婚時代で懲りていた。
傍にいれば片時も離れようとしないのは当たり前、風呂も一緒引きずられて入れられ、いつもいつもいっっっっつも寝不足にされたのでは、さしものリナも体力が持たないと抗議したのだが………。
悲しいかな、お預けは数時間と持たなかったことだけを記しておく。

そんなわけで、リナは彼が帰ってくる前までに、後は寝るだけの状況を作り出しておくことに専念するようになった。
もはや悟りの境地である。

喉も潤ったことで一息吐き、まだ明かりのついたリビングに向かおうと―――


「おかーさぁぁぁぁぁぁぁんんっっ」

と、突然飛び出してきた小さな金色の塊がリナに体当たりをかましてきた。


「うにゃ!?」

脚にしがみついてきたのは金髪を持つまごうことなき美少年。
ちなみに、齢(よわい)5歳。まだ可愛い盛り、やんちゃ盛りである。
何を隠そうリナと相方――ガウリイとの一粒種だったりする。
顔立ちはガウリイにそっくりで彼と同じ淡いブロンドに瞳は、父のスカイブルーの瞳をベースにリナの瞳も受け継いた息子の瞳は黄昏とはまた違う、なんとも美しい夜明け色の瞳。

「ふぇぇ……」

何がなんだか分からないものの、脅えて泣く我が子を抱き抱え、あやしながらリビングに行くと………



『ぎぃやぁぁぁあああああ!!!!!!』


プラズマテレビから、ハイクオリティなショッキング映像と、辺りから緊迫感のある5.1チャンネルサラウンドの絶叫がこだました。

「ふぇ…ぇぇっヤダヤダヤダあぁぁーーー!!!」

ぎゅぅぅっと硬く目を瞑り、リナのパジャマを握りしめている愛らしさといったらもう。リナも思わずきゅっと抱き締めて顔を綻ばせてしまう。
よく夫が自分にしてくれるようにぽむぽむと息子の背中を撫でながら、子供の恐怖心を煽るには十分な映像をしばし観察する。

「……テレビの映画にはまだ早いし…。DVDよね?」

冷静に判断してホームシアターセットを停止すると、メニュー画面が表示される。

「ウチにこんなのあったっけ?」

首を捻っていると、視界の隅に見覚えのないDVDのパッケージ。
タイトルはズバリ『闇の血脈 ―死と十字架とバンパイア―』
“次々と迫り来る恐怖!美しくも残酷な吸血鬼は処女の生き血を啜り、また次の獲物を求め続ける。次の標的は……そう、あなたかもしれません”

……正直、あんまり子供が見たいようなものでもないだろうに。
リナは眉を顰めながら、その怪しいDVDを戻した。

「どうしたの、これ?」

「…っく…あの、ね。ヒクッ…ゼロスおじちゃんがおってきてくれたの」

「……あんのすっとこ吸血鬼め……」

出てきた名前に思わず小声でそう漏らすと、薄紫色の瞳が哀しそうに揺れる。

「ひく…っ……ぼくも、ああなっちゃうの?」

泣き腫らした瞳は真っ赤になって、涙で濡れた顔はクシャクシャ。
それでも愛らしいと思えてしまうのだから不思議なものだ。
髪を拭いていたタオルで顔をきれいにすると、夜明け色の瞳は必死にリナを見つめていた。

「ぼくのおとうさん、きゅうけつきのしそんなんでしょ?
 …………ぼくもあんなふうになっちゃうの?」

感情が溢れてしまったのか、大きな瞳からぽろぽろと涙をこぼして後はもう言葉にならない。

「大丈夫よ。心配しないの」

「だって…だってぇぇ……っっ」

「ガウリイ…あなたのお父さんは、あんなじゃないでしょ?」

「でも、ぼく。ぼく……っ」

「吸血鬼だったのって、ずぅーっと前の事なのよ?
 もう日光を浴びても灰にならないし、ニンニクも銀も十字架だって平気でしょ?
 それにあなたは母さんの血だって引いているんだから。絶対大丈夫」

「うん。ぼく、ぴーまん以外ならなんでも食べられるよ!」

「…………そんなところはガウリイにそっくりなのよね……」

「…ふぇぇ?ダメなの?ぼく、あんなふうになっちゃうの?」

リナのつぶやきに一気に不安になったのかおろおろする息子。
その一喜一憂に苦笑しながら、失言を訂正する。

「ならないならない。ぴーまん嫌いはただの好き嫌いよ。
 …まぁ、大きくなったら好みも変わることを切に期待してるわ」

ガウリイは今でもピーマン嫌いが直っていなかったりするが。
子供の前では顔を痙攣させて涙を浮かべながら口に入れようとする努力を讃え、リナも極力ピーマンを使用しないようにしている。
リナとしても作ったモノは美味く食べて欲しい。
ガウリイの夜の説得に説き伏せられたからではない………たぶん。

「ホント?ぼく、へいきなの?」

「本当よ。あの干涸らびた性悪吸血鬼の話を真に受けちゃダメ。
 そもそもあの映画は作り物なの。ほら、ゼロスだってあんなのじゃないでしょ?」

「うん。そっか…うん!」

すっかり立ち直ったのか、満面の笑みを浮かべる。
ガウリイに顔立ちがよく似た息子は、その笑顔もそっくりでお日様のようにキラキラしていた。
この笑顔が曇ることなく、育って欲しい。そしてここら辺が重要なのだが、顔はどれほどガウリイに似ていても一向に構わないが、出来れば頭脳はリナに似て欲しい。
………複雑な親心である。

「じゃあ、ぼくがちをすっても、こわいおねえちゃんになったりしない?」

「もちろんよ。血を吸うって言ったって、ほんの少しだけ。
 死なないし痛くないわ。献血みたいなものよ」

「かあさんも、ちをすわれたの?」

「んー…」

母親が食われたかどうかを、幼い息子に真実を述べて良いものか、迷うところではある。もう少し大きくなってから……いやでも、死なない証拠はリナ自身なのだから…と、返答に窮してリナが考えあぐねていた時、後ろからスーツに包まれたぶっとい腕が伸びてきて、リナと息子共々一緒くたに抱き締められる。

「……っ!?」

「ただいま♪」

「あ、おとうさんだー♪おかえりなさい〜!」

気配すらさせず忍び寄ってきたガウリイはにぱっと微笑む。

「ガウリイ!?……もー!ビックリしたじゃない。心臓に悪いわよ〜」

振り向きざまにおかえりのキスをかすめ取られ、真っ赤になるリナ。
ちなみに、この万年新婚夫婦のスキンシップを子供は微笑ましく見ている。

毎日見せられていたので、それが普通と思っている節もあるし、
仲が悪いよりは良い方が子供にとっても嬉しいのである。

「もう……馬鹿…」

小さく呟いていても、それは勿論怒っているわけではないのを親子共々熟知している。

「かあさん、あいわらずテレやさんだね」

「そうだなぁ。毎朝毎晩毎夜してるのにな」

「うっさいわよ。二人とも……」

こういう所でこの父子はやたら意気投合するのである。

「で、どうしたんだ。こんな所に座り込んで……」

「ああ。ゼロスの馬鹿がまた余計なモノを送りつけて来たのよ…」


「ん?どれどれ……」

パッケージをガウリイに渡すと、彼は片手でリナたちを離さないまま、それに目を通す。
「へ〜懐かしいな。オレの時はビデオだったのに。DVDにリニューアルしたのか?」

「何、あんた、コレ見たことあるの!?」

「ああ。まー…ほら、学校で教育ビデオなんか見て教えるだろ?
 ソレのオレたちバージョンみたいなもので……」

「………なんでよりによってこんなスプラッダホラーなんか………」

「さぁ?親父の頃は白黒だったらしいぜ〜」

「あんたが覚えてるなんて珍しいこともあるもんね〜」

心底感心して、やっぱり子供の頃の方が記憶力が良かったんじゃないの?と尋ねるリナにガウリイが複雑に表情で苦笑する。

「子供ながらにコレはインパクトあるんだぜ?」
「なんだってコレなのよ…もっと他にイイ映画あるでしょうが」

「これ、映画じゃないぜ?」

「「え?」」

あっさり言い切る言葉に、戸惑う声が二つ。
ガウリイは気にせずそのまま続ける。

「聞いた話じゃ、これはかつての事実をそのまま……」
「ちょ、たんま!!いいから映画ってことにしといて…!!」

途端に泣き顔になってしまった息子を見て、慌ててガウリイの言葉を遮るリナ。

「大丈夫だぞ。コレって大昔の事だし。今時、真夜中に深窓の令嬢宅に押し入らなくたって、イイ獲物なんてそこら辺にいくらでも……」

「やめろと言うとろーがこのお馬鹿吸血鬼ーーー!!!!!」


すぱぺんっ!

身体をひねって、ガウリイの顔面にスリッパを炸裂させて押し黙らせると、今度は反対側で小さく嗚咽が聞こえてきた。

「あああ…っあんたが余計な事ばっかり言うから…っ!」

「ん?どうした?なんで泣いてるんだ?」

「こんの無神経くらげめーーーっっ!!!!!!」


すぱこん すぱぺんっ


連続技を繰り出して怒るリナにガウリイは彼女の手を掴み、とりあえず落ち着かせる。

「どうどう、リナ」

「あたしは馬か!あんたねぇっ 親が子ともを脅えさせてどうすんのよ!」

「そっか。オレの血が怖いのか…」

急に神妙な顔つきになるガウリイにリナは何かを感じとり、口を閉ざす。
代わりに、しゃくり上げながら蚊の泣くような声弱々しく問いかける。

「ぼくも、ち、すうの?」

「……たぶんな」


「かあさんとは、ちがうの?」

「そうだなぁ…。リナたちを含め大勢の人間は血を吸わないな」


「ぼく、ばけものなの?」

「…………」

ガウリイは答えられなかった。
その言葉を否定するだけの確証が彼にもなかったのだ。





「少なくともあたしにとっては化け物なんかじゃないわ」

「かあさん…?」
「リナ?」

同時に聞こえてくる声。リナはもう一度、キッパリと言い切った。

「たかがちょろっと血吸うだけじゃない。あんたたちは血に飢えた化け物じゃない違う。このあたしが保証してあげるわよ」

金髪に挟まれたリナは毅然とした態度で不安を一蹴すると、小さな塊と大きな塊が揃って抱きついてきた。

「そうだな。リナがそういうなら、間違いない」
「うん。ぼくもしんじる!」

一頻り満足するまで二人に抱き締められると、おもむろに息子が口を開いた。

「そういえば、さっきの。かあさんもとうさんにちをすわれたの?」

「そ、それは……」

「ん?オレはリナの血をいつも貰ってるぞ?」

無邪気な笑顔であっさりとそう答える。

「こ、こらガウリイ!この子にはまだ……」

「いいじゃないか。ホントのことだし」

「ちをすっても、かあさん、おかしくならない?」

「そんなに不安ならオレがリナの血を吸って見せてやろうか?」

「ちょっ、待ちなさいよガウリ…っ!!」

「そしたらもう不安なんてないよー♪」

「うん!」

「あ、あんたたち……」

「まぁまぁ、イイじゃないかリナ。いつもしてることだし。こいつも実際見たら安心するって言ってるし」

「うん。うん!」

前を向いても後ろを向いても嬉々とした表情の顔つきで逃げ場なし。
四面楚歌とはこうも心許ないものか…。

「…………………覚えてなさいよ、ガウリイ〜」

恨めしげなリナの声音を聞いているのかいないのか。
ガウリイは早速リナのパジャマのボタンを2つ外して、肩まで剥き出しにする。
その様子を固唾を呑んで見守る息子。

「うう…。4日前に飲ませてあげたのに…」

恨みがましく呟いてみても、すでにその気になった彼が止まるはずもなく「まぁまぁ」と宥められ、後ろから首筋に口づけられる。

「よーく見ておくんだぞ。まず、こうやって舌で血の流れを探ってな」

「もう…くすぐったい…」

「あ、リナ。風呂上がりだろ〜。石鹸のイイにおいがする。
 待っててくれれば一緒に入ったのに…最近のリナってば冷たいのな〜」

「ば、馬鹿言ってんじゃな……っ…!」

軽口を叩いていた刹那、ずぶりと歯が入っていくと流石にリナも息を詰める。

「いたい?ねぇ、かあさん、いたい?」

息子が不安気に問いかけてくる。

「平気よ。痛くないわ」

目を細めて柔らかく微笑む。

事実、大した痛みは伴わない。
恍惚とするような、意識が沈んでゆくような、曖昧で朧気な感覚がするだけ。
着実に少しずつ吸い出されていく血液と共に、じぃーっと自分たちを見つめる夜明け色の瞳を感じると、今更ながら恥ずかしくなってきた。

こくん、こくん、とゆっくり喉を鳴らすガウリイはお構いなしに吸血している。

「イイにおいがする……」

誘われるように子供がくんくん、と鼻で微かな甘い匂いを嗅ぎ分けようとする。

「かあさんのにおい?」

「そうだ。これがリナ血の香りだ」

リナには解らない嗅覚でもあるのか、ガウリイはそう答えて吸血を終え、傷つけた肌を労るように舌を這わすと、その唾液に含まれる成分のおかげで瞬く間に血が止まる。
彼ら吸血鬼の子孫はかつてから高い治癒力を誇っていたが、これもその名残の一つである。

恍惚とした満足感から解放されると、リナは力無くガウリイにもたれ掛かる。

「ってなことでこれが吸血なんだぞ」

「かあさん、へいき?いたくない?」

「んー。平気ー」

よっと、軽く力を入れて身を起こすと、余裕の笑みで笑ってみせる。

「ちょっと食いしん坊の蚊に血を吸われたモンよ」

「じゃ、かゆかゆになるまえにおくすりつけないとね」

「そうね〜。ガウリイ菌って質悪いヤツが入ってるといけないモノね〜」

「をい…お前ら……」

ガウリイが力無く抗議するが、当然無視されてしまう。

「でもなぁ、これだけは覚えておくんだぞ?簡単に人の血を吸っちゃダメなんだ。吸うなら、リナみたいに知っている人間か、それとも、吸った人間の記憶を操作して忘れさせるか……。ただ渇きを癒すために簡単に血を吸えるわけじゃないんだ」

「ふーん…。たいへんなんだね。とおさんはどうなの?」

「オレはリナが好きで好きでどーーしようもなくて、リナの血だけが欲しいんだ。だからリナの血しか飲まないし、誰も襲わない。これは滅多にないケースらしいけどな」

「ぼくもすきなひとのちがいいなー♪」

「だろー♪しかも、リナってば処女じゃなくなっても最高に美味いんだぜー♪」

「うん。おいしそうなにおいがした!」

「おお、お前もなかなか美食家だな〜」


「あ、あんたたち………」


ぷるぷると震えたリナがスリッパを握りしめ、息子の分もガウリイが制裁を受けた事だけを記しておこう。
何はともあれ、インバース・ガブリエフ一家は今日も元気そうであった。





えんど。