禁 断 の 果 実
















 
一度だけのつもりだった。


 口にした禁断の果実は甘く、極上で。
 やがて麻薬のようにオレの体を虜にさせ、理性をドロドロに溶かし、それを味わずにはいられない身体に作り替えられた。


 じっくりと獲物を待つ。

 肉食獣のような瞳であいつを見つめ、彼女の意識がなくなるのを看取ってからオレは狩る。

 はちん…っ
 薪がはぜ、赤い火の粉が散る。

 野宿の夜。
 いつもなけなしの理性が戦いを仕掛けてくるが、どうしようもない飢餓感にそれはあっさりと白旗を揚げる。
 背徳がないわけじゃない。
 罪の意識が彼女の眠りと共に深く沈んだだけで。

 立ち上がり、ゆっくりと歩み寄る。
 安らかな寝息とは裏腹に、無邪気で無防備…それは小憎たらしい小悪魔の寝顔。
 いつもオレを騙す。
 いつもオレを堕としてゆく。

 顎を掴み、伏せ目がちに顔を近づける。
 禁断の果実を口にするため。

 「…ぅ……ん……」

 彼女の漏らした声にピタっと動きが止まるが、自分を叱責し、
 悔い改め、この行為を止める為じゃない。

 むしろそれとは正反対で。
 もっと上手く。もっと狡猾に。
 唇を重ねれば、じんわりと伝わってくる熱と甘さ。
 紅の甘い甘い果実。
 一度口にすれば、忘れることなどできない。
 彼女の寝息を確かめながら、何度も……何度も。
 抵抗のない舌を服従させ、口内を隅々まで這い回る。
 舌で唇をなぞれば、リナの柔らかい唇をオレの唾液で汚してゆく。

 ふとした偶然で触れてしまったのが始まり。
 たった一度だけのモノで、それでお終いのはずだった。

 ――――…はずだったのに。

 忘れたくなくて。
 忘れられなくて。
 
 もう一度だけ触れてみた。これでやめようと…誓いながら。

 しかし、味わえば、もうそれの虜になっていた。
 数週間に一度だけ。
 やがて、それだけでは物足りなくなり、野宿の度に。週に何度か…
 それは着実にエスカレートしていった。
 夜ごと貪るようになるまで、そう時間は掛からなかった。

 そしてついには、彼女り意識がなくなるのを看取る度に。
 それと共に、味わう回数も増えていった。


 監視しながらもう何度口づけたのか。
 心ゆくまで味わい、そしてようやく身を起こす。

 日を追うごとに貪欲になる。
 彼女が信頼してくれる分だけ、オレがそれを打ち壊してゆく。

 荷物の紐をほどき、直ぐ手に届く所にあるものを取り出す。
 瓶に詰められた白い粉末の粉。


 昔、オレがただの殺人鬼だった頃。
 眠れない夜をいくつ数えたのか…
 女を抱くのにも飽き、ただ酒を浴びるように飲んでいた。
 そんな時、見かねたように傭兵仲間に渡された睡眠薬。
 その男は血に飢えたオレが血に怯え、
 罪悪感で眠れないとでも思ったのだろうか。
 それとも、敵方に頼まれオレの寝首でも掻くつもりだったのか。
 そんなことはとうの昔に忘れた。
 この薬の存在すらも忘れていた。
 荷物の底に捨て忘れていたこれの存在を思い出したのは、彼女に背徳行為をし始めた頃。


 焚き火に照らし出されるその魔法の粉は、キラキラと美しく。
 一粒一粒がオレを誘惑しているようだ。

 これを使え、と。
 この薬は強力な作用をもたらす。
 量を間違えれば、死さえ招くという。
 それだけに効力は絶大で。
 量によって決められる偽りの眠りは決して覚めることはない。
 毒しか見分けられない彼女になら、この薬を盛った食事を食べさせることも可能だろう。
 必ず眠りに落ちる。
 そうすれば、どんな風に扱っても目覚める事はない。

 そう。
 例えば、一晩中彼女の唇を味わったとしても。
 彼女の衣服を剥き、
 その白く、柔らかな肌に舌を這わせたとしても。
 彼女の性感を刺激し、汚れない処女を奪ったとしても……

 小刻みに手を持つ手が、全身が震え出す。
 それは歓喜故か、沈んだはずの理性が起き出したのか。

 オレは彼女に出会ってから、変わったと思っていた。
 しかし、根本は何も変わってはいなかった。
 寧ろ以前より、自分の存在が卑劣に汚れてゆくとさえ感じる。

 彼女が想いに気づいてくれれば、こんなものなど使わずに済む…
 いや、彼女が想いに応えてくれれば………



「気づかない…お前が悪いんだよ」



チガウ……チガウ!!


「分かってるさ…」


………………





 そろそろ見張りを交替する時間になる。
 起こさなければ、彼女が自然と目を覚ました時に、呪文で吹っ飛ばされるだろう。
 彼女が無意識に寝返りをうち、無垢な寝顔をこちらに向ける。
 どんなにオレが汚しても、汚されざるもの。

「意地っ張りめ」

 自嘲的な笑みを浮かべ、それでも彼女を起こそうとはしない。

 あと少しだけ、安らかな眠りを。
 また夜になればお前を貪欲に貪ってしまうから。

 今なら。
 背徳を抱えた満足感に満たされている今なら、お前の安らかな眠りを温かく見守ることができるから。












それでも、この手の内にある愚者のカードを捨てられないのは、
所詮、偽善者でしかない証…







 夜になれば、また乾き始める。


「リナ、これ美味いぜ。食ってみろよ」
















愚かな罪が露見する………取り返しのつかない、永劫の罪。
そして、オレは楽園から…追放される。
自ら踏みにじった、最後の楽園から…………




「そんなことはないさ」


くっくくく…
喉の奥から漏れる笑いには、狂喜――


「なぁ、リナ」


シーツに縫い止めた彼女の瞳に映るのは――――


オレただ一人――…










END