魔剣士の憂鬱





















優雅な昼下がり。
魔道士協会で資料を調べる合間、一休みとばかりに窓から日の光が燦々と差し込む食堂でコーヒーを啜っていたゼルガディスの目の前に、小柄な人影が立ちはだかった。
ゆるゆるとカップを回していた手を休めて顔を上げると、目の下に隈を貼り付けたリナが満面の笑みで仁王立ちしていた。
それでも微妙に腰を押さえ、庇っている姿は微笑ましいのだが。
その目は欠片も笑ってなどいなかった。

「……お久しぶりね、ゼルちゃん」

「暫く見ないうちに、随分としおらしい雰囲気になったじゃないか」

ゼルガディスもニヒルに笑って言い返すが、如何せん、背中に流れ落ちる冷や汗は止まらない。
麗らかな午後の日差には雲がかかり、彼女の背後には荒れ狂ったおどろおどろしい何かが渦巻き、自分たちの周りだけ急激に気温が下がっていくのを硬い岩肌でヒシヒシと感じていた。

「ええ。お陰様で。ガウリイを焚き付けたのアンタなんですってね?」

あくまで温和に訊く。
ただし、これは未知の推定ではなく確認のための言葉である。


「…………覚悟は出来てるでしょうね?」

静かな声だった。
そして、凍るまでの冷たい響きを持った死刑宣告だった。



「俺は知らんぞ。旦那が勝手に暴走しただけだ」

そう言いつつも、岩肌が熱を帯び始め目は泳いでいる。
人間諦めが肝心と思いつつも、そうそう上手くいかないものである。


「あたしがどんな目に遭ったか分かる?」

「……………」

正直言って、大方想像はつく。
あの晩の声は実は筒抜けであったし、その次の朝にはガウリイとも会話を交わしている。
しかし、ここで声を出せばその時点でゼルガディスの敗北が決まる。
敗者には死、あるのみ。
リナの醸し出す雰囲気からして馬鹿正直に言えば正真正銘、物言わぬ屍が一つ転がることになるだろう。

沈黙は唯一の武器であり、墓穴を掘らないための最善の策であった。



口を開こうとしないゼルの態度に業を煮やしたのか、もともと答えなど期待していなかったのか、リナは頻りに頷いて話を進める。

「そう。ゼルちゃんは無口だものね。でも………」

リナはごそごそと懐を漁って、小さな可愛らしい金色のベルを取り出した。
意図が分からず真意を測りかねていると、リナが人差し指を突きつける。

「何もかもあんたのせい。よって、一生あたしのアイテムとして働くこと、これ決定。このベルが鳴ったら何を差し置いても飛んで来なさいよ」

「指を指すな。……なんなんだこのベルは?」

「こんなこともあろうかと買って置いたゼル専用召還ベルよ。
これと対になる魔力パターンが込められてる片方はあたしが持って、魔力探知を掛ければあたしの居場所が分かる優れもの♪いい?例え火の中水の中。あ、熱膨張には気をつけてね。脆くなって使い勝手が悪くなるから。そしてあたしがガウリイに襲われそうになったら身を挺して守るのよ!」

「冗談じゃない。そんなくだらんことで旦那の剣の錆にされてたまるか。――それに、これからはそんな迂闊な事をすれば、阻止を図ったあんただってタダでは済まんだろう?」

「うう……あの………な馬鹿くらげが何もかも悪いのよぅ……」

リナも思い当たる事があるのか、ゼルガディスには聞き取れない小声で頭を抱えて呻く。

「しかも…あんなに……だしさ。…なんであたし…んなヤツに…」

ぶつぶつ呟いていたリナが頭を振って思考を振り切ると、その反動でシャララと繊細な耳飾りが揺れ、キラキラと光を反射する。
いつも魔道具で防御を固めている彼女にしては珍しいものであるが、時折揺れるそれはリナの一部として誇らしげに燦然と輝いていた。

「と、とりあえず、あたしたちの宿代と食事代は全てあんたもち!
 これは決定!!」

今一度、びしっと指さすが、やや赤く染まった顔では迫力が欠けるのは致し方ないだろう。
追い打ちを掛けるように口元をつり上げて尋ねる。


「なんだ…。あれだけ籠もっててまだしたりないのか?」

「やかましい!疲労回復には休息が一番なのっ」

ますます赤くなる顔にどこまで赤くなるのか少し興味が湧くところではあるが、好奇心は猫を殺す……事彼女と恋人になった青年が絡むのでは。

少し冷めたコーヒーを喉の奥に流すと、気配を辺りに巧く散らしながらリナの背後に一人の人間が忍び寄ってくるが、彼女は全く気づかない。
ゼルガディスもフードで隠れた眉が微かに動いただけで、素知らぬ顔をした。

視線を受けて、背後で人差し指を口元に当てる男に肩をすくめ、リナはその様子を訝しがる―――と、歩み寄ってきた長身の彼が少し屈んで、彼女の耳元で低く囁いた。

「こらリナ。置いていくなんて酷いぞ?」

「わきゃあ!?ガ、ガウリイっ!?どっから湧いたのよ!?」

リナが飛び退くと、耳を押さえて恥ずかしそうに金髪の美丈夫を睨み付ける。
どうやら彼女は耳も弱いらしい。
そして彼がワザとやったであろう事も容易に想像がついた。


「目が覚めたらベッドにお前さんがいなかったから探しに来たんだ。……で、二人で何やってたんだ?」

口元に笑みこそ浮かべているが、やはり目は笑ってなかったりするわけで。

その様子にゼルガディスは小さく口元に笑みを浮かべた。


「リナはまだ宿泊の延期をお望みらしいぞ?」

意味深な表情で現れたガウリイに告げるが、内心ではこの危険物をさっさと外界から隔離して欲しいという切実な願いがかなり含まれてる。
ガウリイもそれを見取ってか、ただ単に好都合なだけか、にっこりと破顔してリナに向き直った。

「へ〜。そりゃまた嬉しいリクエストだな」

「ちょ、ちょっと!待ちなさいよ!!
 あたしはただゆっくり休みたいってだけで…っ!」

口を挟むが、自分に都合のいい解釈をしたガウリイや難を逃れようとするゼルガディスには聞き入れられるわけもなく。


「じゃ、戻ってゆっくり楽しむか」

ガウリイは早々にリナの肩に手を回し、連れ去ろうとする。


「ゼル〜〜〜〜〜!!!
 アンタってヤツはまた余計な事をぉぉぉぉおお!!!!!」



華奢で非力なリナがどう考えても屈強な戦士のガウリイには歯が立つはずもなく。
ゼルめぇぇぇぇぇぇ!!!!と凄絶な眼差しで睨み付けてくるリナにゼルガディスは手を振って見送る。

当分、リナ単品とは顔を合わせないようにせねば…
射殺しそうな視線を受け流しつつ、そんなことを考える。
それと共にリナの殺気とは別のちくちくと刺すような視線を感じるのだが。
それは当然、隣の男な訳で。
どうやら彼のあずかり知らぬところでリナと話していたのが気に入らなかったらしい。いつの間にか彼の不興も買っていたようだ。
これでガウリイ単品とも暫くは遠慮したい。




「ああ、リナ。言い忘れていたがそのイヤリング、似合ってるぞ」


不意打ちでその言葉を投げ掛けると、毒気を抜かれたように呆気にとられ、みるみる赤くなるリナと、くすぐったそうな表情のガウリイ。

本当にこれで今まで上手くいかなかった方がどうかしている。


「と、当然でしょ!美少女は何付けても似合うのよ!!」






しようがない二人だと嘆息して、嵐の化身が姿を消してようやく安心したのか、柔らかな日差しが戻ってくる。

槍は降ってこなくとも、随分薄情な天気だと苦笑いを浮かべ、ゼルガディスは少し冷めたコーヒーを口に含ませた。










■ これでホントに終わり ■