保護者の憂鬱 |
「よお、旦那。リナとの喧嘩は見物だったな」 「………」 からかいを含んだ言葉に殺気混じりの視線が突き刺さる。 「俺に八つ当たりするなよ」 「部屋に戻っていた途端、その言葉を聞かされなければ、な」 入ってきた金髪蒼眼の青年が明らかに不機嫌そうな声で言った。 体からは僅かな酒の香り。 存在自体で不機嫌さを表し、腕組みしながら閉めたドアを背にもたれ掛かる。 それは普段の彼からは想像も出来ないほど男臭い仕草だった。 まだ賑わっている宿屋の酒場からは、2階の部屋にも僅かながら喧噪が届いてくる。 つい数時間ほど前、そこで金髪の青年と栗髪の少女が口論を繰り広げたのだった。 そこには、今日偶然町のマジックショップで出会ったゼルガディスもいたのだが… 目立つ事を極端に嫌う彼の前で繰り広げられる二人の口論は、はっきり言って拷問に等しかった。 周りの注目と馬鹿馬鹿しさに耐えきれず、ゼルガディスが席を立つとほぼ同時に、激怒したリナまでもが酒場を飛び出していった。 しかし、その相手であるガウリイは、普段のいざこざとは違って追いかける真似はせず、注いだ酒を一気に飲み干していた。 ゼルガディスは嘆息すると、そのまま(リナに押し切られ同じ宿屋しかもガウリイと同室の)部屋に引き上げていった。 それからすぐに酒場の喧噪は戻ったのだが…… ガウリイは酒を飲み続け、リナは出ていったきり。 ゼルガディスが剣の手入れをし終わった頃にようやくガウリイが部屋に戻ってきた。 「旦那がリナと衝突するとは珍しいな」 確かに彼の言うとおり、ガウリイはリナと本気で喧嘩するとは珍しい。 いや、ゼルガディスにとっては初めての光景だった。その原因もまた、然り。 「お前からフッかけるなんてな」 「…………ああ」 ガウリイはしばし閉口するが、やがて憮然とした表情で頷いた。 「リナは子供じゃなかったのか?大人気ないぞ」 もっとも、ゼルガディスはガウリイの瞳が保護者のそれなどとはつゆにも思わないのだが。 この男をからかうと面白いのだ。 自分にこんな悪趣味な干渉癖があるとは思えないが、この男を狼狽させることが出来るのはリナの事だけであるのを知っているだけに。 ついつい下世話な言葉を口に出してしまう。 久々に再開したガウリイとリナは、あくまで保護者と庇護者のままであった。 保護者は放っておけない子供と言い、庇護者は自分のヒモもどきだと言う。 そのわりには互いの性を意識しすぎている二人。 以前とは明らかに違うぎこちなさが、絶えず二人の間に渦巻いていた。 ガウリイに関して言えば、リナの特定の行動・異性に干渉しすぎているのだ。 ゼルガディスからしてみれば、どこの誰が保護者だと口走りたくなる時すらあった。 大通りを歩くリナ、彼女から一歩下がった後ろを歩くガウリイは、どう見ても男除けの番犬と化していた。 自分も女の視線を集めているのだが、それは全て無視され、リナに向けられる異性の視線は容赦なく排除していた。 ………虫が付かない代わりに、リナが女としての自覚を持てないという弊害も出ているのだから、やりすぎだろうとは思ったのだが。 ゼルガディスは気付いてしまった。 つまり、 タチが悪いことに、ガウリイは無意識のうちにそれをしている節がある、と。 もしかしたら冗談抜きにガウリイは自覚がないのかもしれない。 出会った時のリナの幼さ、二人の年齢差による先入観も多少あるだろう。 加えて、なまじ傭兵稼業などをしていては、気持ちも腐り、麻痺していく。 自分の中の変化に、鈍った感情がついていけない時もあるかもしれない。 普段穏やかな瞳で少女を見つめるその蒼穹の瞳に、爆発寸前の激情がくすぶり、暗く虚ろな劣情があるのに気づいてはいないのだろうか? それともただ言い出せないだけか? どちらにせよ、ここまで不器用な二人は彼の探求心をくすぐるのは確かだ。 ただ、それだけのこと。 単に、おもしろ半分ではない……たぶん。 「旦那ほどの男が骨抜きにされるとはな」 「何一人で納得してるんだ」 ムッとしたように、金髪蒼眼の保護者が非難の声を上げる。 「あいつはまだガキだ」 「『まだ』ねぇ…」 「何か言ったか?」 「いや。 しかし、そんなに大人の女がいいなら、夜伽にはべらせたらどうだ? この頃魔族騒動も一段落しているのだろう?」 ゼルガディスの発言はもっともだった。 ガウリイもここ数年を出来る限りを振り返りながら頷く。 確かに、自分はここ最近女など抱いていない。 抱いている暇もない。 いつもやっかいごとが向こうから大手を振ってやってくるのだ。 それでなくとも、リナの趣味は盗賊狩りだ。 放っておいたら、それこそ好き放題される。 こっちが心配しているにもかかわらず、だ。 夜中は大抵彼女の気配を伺いながら過ごさねばならない。 欲求がないわけではないのだが、どうも気が進まない。 そんなところをリナに見られてはまずい。 …?? リナに見られて何が悪いんだろう…? 教育上不適切だからか? …オレがそんな風に女を扱って蔑視されるのはゴメンだ。 …?? …嫌…? ガウリイが黙考している間に、ゼルガディスは窓の外に面白い光景を見つける。 我ながら人の悪い笑みを口の端に浮かべ、ガウリイに振り返る。 「リナはもうお前が押しつけているような子供じゃない。 先入観だけに捕らわれていると痛い目を見るぞ」 「あいつはまだまだ子供だ」 堂々巡りの論題にゼルが含みのある笑みを浮かべる。 「そうでもないぞ」 言うと、ガウリイが露骨な顔でこちらに歩いてくる。 『お前にリナの何が解る』とでも言いたげな表情だ。 本当にこの男はリナの事となると途端に表現が豊かになる。 もう少し揺さぶってみるか。 「では、あーゆーのはどうする?」 そういって、親指で窓の外を指す。ガウリイは訝しげにこちらに来ると、すぐさまそれを見つけた。 「あいつ…っ」 歯の間から軋み出すような声。 窓越しに映るのは、少女…リナの姿だった。 もう宿屋まで戻ってきたらしいが、その傍らには見知らぬ男の人影。 街灯が届くギリギリのベンチに座り楽しそうに笑っていた。 「おい、何処へ行く?」 身を翻して無言で出ていこうとするガウリイをゼルガディスが呼び止める。 「あいつを連れ戻してくる…」 「どうしてだ?」 「あいつは酔ってる」 「酔ってなどないさ」 「じゃ…どうしてあいつの隣に男が…」 理解不能とばかりに言葉の端を濁す。 その戸惑った様子に、ゼルガディスは呆れたように嘆息しながらこめかみに手を当てた。 「別に、おかしくはないだろう?あいつだって年頃だ。気に入った男がいたなら…あいつがそれでいいと思ったのなら、当然だろう?」 「……しかし…」 いつもなら、呪文で吹っ飛ばしたり金を巻き上げたり… 鼻にも掛けない連中がどうしてこんな夜に限ってあいつの傍にいる? ――自分がいるべき場所に。 …無性にムカムカする。 ゼルの言う通りだとは思うが、納得がいかない。 「…納得がいかないようだな?」 ゼルガディスの冷静な声にガウリイが頷く。 時間が惜しい。そうしている合間にもリナがあの男と……。 だから、なぜこんな思いをしなきゃならなきゃいけないんだ? 「…旦那がリナ以外の女を抱くように、あいつも他の男とどうしようが自由だろ? 保護者にかこつけて割って入るなんて、無粋な真似はするなよ?」 もう一度、窓越しにリナを捉える。 ほんのり顔を赤らめ、楽しそうな談笑がこちらにも伝わってくる。 酒ではなく、雰囲気に酔っている、といったところか。 「……っ!?」 何かの拍子に見せたリナの無意識の表情に、ガウリイが凍りつく。 彼女が見せた笑み。 いつも敵に見せる不適な笑みでも、ふつうにガウリイに向けられる笑みでもなく。 ……鮮やかに、艶やかに微笑んでみせたのだ。 あのリナが。 大抵の男ならまず間違いなく落ちる微笑みだ。 「あいつはこれから変わる。ますます女らしくなる」 ゼルがリナを見ながらそう評価するが、ガウリイにその言葉が届いているとは思えない。 リナの表情に衝撃を受けたのか、食い入るようにリナとその男を見つめていた。 「………」 きびすを返し、ドアへと向かう。 「まさかそれでもリナのところへ行くのか?」 ドアのノブに手を掛けたまま、ガウリイは少し止まり、 「そうだ」 短く答えると、そのまま出ていった。 どうやら、答えは出たらしい。 まったく… ゼルガディスは苦笑して自分の頭をがしがしと掻く。 何をやっているのだ。自分は。 程なくして外に出たガウリイとリナは何か言い争っていたようだった。 リナは立ち上がって文句を言っているようだったが、ガウリイは気にもとめず、 男に何かを言う。 途端、リナの顔が真っ赤に茹で上がり、絶句していた。 そして見納めとばかりにリナを抱き寄せ、強引に口づけをする。 「お、おいおい…」 傍観していたゼルガディスもガウリイの行き過ぎのような行動に思わず声を上げる。 そのままリナが力を失い崩れ落ちるまで執拗に口づけした後、リナを抱き上げ宿屋に戻っていく。 男の存在など、もはやどうでもいいような素振りのガウリイであったが、リナを抱き上げた後、一度だけ一瞥し、……気の毒なその男は、引きつったまましばらくそこに立ち竦む羽目になった。 ガウリイほどの腕のある男が本気で殺気を飛ばせば、一瞬だけとはいえ、絶大な力があった。 焚きつけたとはいえ、ここまで一気に進展するとは思わなかった…。 ゼルガディスも先ほどのガウリイの視線に戦慄しながら冷や汗をかく。 本当に、アイツだけは敵に回したくない男だ。 ゼルガディスはさっさと寝台に横になり、耳栓をする。 でなければ、眠れそうにないほど甘い台詞が隣の部屋から漏れてくるのだ。 うつらうつらとし始めた意識の中で、二人の喧嘩を思い出していた。 『リナ、さっさと部屋に戻るんだ』 『もうちょっといいじゃない。あたしの自由でしょ』 『子供に飲ませる酒もなければ、お前の居場所もない』 『なんですって……』 男が見ていた……リナを。 なめるように――… ガウリイは露骨に嫌な顔をする。 『あたしだって……もうっ…18に……』 『へぇ〜 胸も背も食い意地もがめつさも進歩してなかったから全然解らなかったな』 いつもなら、呪文か鉄拳がとんでいたはずなのに、 リナは唇をかみ締め、何かに耐えるような目つきでガウリイを睨み付けた。 『ガウリイなんて大嫌い。あんたみたいに無神経な奴とはぜったい結婚しない』 『なんでそっちにまで話が飛ぶんだ? そもそもこっちだって願い下げだ!』 『結婚式にだって呼んでやらないんだから!!』 『ほう…それはそれは。……ま、そーゆー相手を見つけてから言えよ。お嬢ちゃん』 カチンときたガウリイも売り言葉で買い言葉。 リナを見下した言い方をする。 『…っサイテー…』 傷ついたように顔を顰め、リナは立ち上がった。 『もう…いいわよ……せっかく…………………たのに』 震える小さな声。 向かい側に座るガウリイに聞こえたかどうかは分からなかったが、少なくとも隣にいたゼルガディスには、しっかりと聞こえた。 (せっかく、今日は誕生日だったに) ゼフィーリアでは、女は18から結婚と飲酒が許されるらしい。 ――――今更、どうでもいいことだがな。 そして、夜は更けていった。 その晩、結局ガウリイはゼルガディスの部屋に戻ってこなかった。 次に見かけたのは、翌日の昼近く。 心底幸せそうな顔で部屋に食事を持って行くガウリイの姿だった。 情報収集に出かけるゼルガディスは一言。 初心者には手加減してやれよと言い、ガウリイは苦笑して頷いた。 リナを見かけたのは、またその一日後。 すっきり爽やかなガウリイとは対照的に、疲労のたまった顔で腰を押さえていた。 しかも、その耳には魔法のかかっていない一対のイヤリング。 白銀の繊細な細工に蒼い宝石がついた精巧な作り。 控えめで涼やかな銀糸の宝飾は、一夜にして花開き艶を帯びた彼女によく似合っていた。 ガウリイがリナの誕生日を忘れる訳がない。 ゼルガディスはリナを見つける以前、別行動しているガウリイに出会った。 彼はあれこれと物色し、偶然であったゼルガディスにまで意見を求めたのだ。 『このイヤリングで紅い宝石のと蒼い宝石の、どっちがあいつに似合うと思う?』 『知るか…』 それでもなお頻りに尋ねてくるガウリイに彼は適当な答えを返した。 『リナはいつも紅系統を身につけているからな。たまには違うのも良いんじゃないか?』 『…そうだな。あいついつだか青色は嫌いじゃないって言ってたしな』 『鈍いな…旦那も相当……』 『????』 収まるべきところに収まった、というわけか。 魔道士協会に行く道すがら、ゼルガディスは自分もお節介になったものだと、柔らかな表情で晴天の空を見上げた。 視界いっぱいに広がる大空は、彼が似合わない事をしても、槍は降ってきそうにないほどの蒼天だった。 END |