残酷な天使が微笑む刻 蒼い瞳 闇色の翼 |
日が沈みきる瞬間の朱と黄昏色がせめぎ合う中で。 小高い丘に蟠る歪な人影が少しずつ、長さを増してゆく。 そしてやがては闇に溶け込むのが運命(さだめ)。 この翼と、自分を包む漆黒の服のように。 やがて訪れる夜の闇に飲み込まれるように。 全て溶けてゆく。 闇色に…。 「ねぇあんた、なんでンなシケたツラしてんの?」 近付きがたい雰囲気を持つその背に無遠慮に声が掛けられる。 「……誰だ…」 「あによ。ドス効かせておどかそうったって、そ〜はいかないんだから! そもそも、あたちみたいなびしょーぢょになのらせるまえに、 じぶんがなのるってぇのがれいぎじゃない?」 「…俺は、ガウリイ=ガブリエル。堕天されし背徳者だ」 「うみゅ〜?」 声をかけてきた少女は首を愛らしく傾げた。 そう、至極簡潔な答えなのだが、小さな栗色の髪をした少女には難しすぎる説明だろう。 理由は彼女を見れば一目瞭然だった。 おそらく…5.6歳だろう。 栗色の髪が所々跳ね、真紅のくりくりの瞳が好奇心で爛々と輝く可愛い顔をした少女だ。 しかし…それ以上の何かに惹き付けられる。 幼い容姿には不釣り合いなほどの圧倒的な存在感に。 力溢れる、瞳の輝きに。 無垢な魂の強烈な輝きに――― 振り向いてまじまじと見遣るが、少女はいやに大人びた表情で考え込んでいた。 そもそも年端もいかない少女に難しい答えを返すのは、嫌味以外の何者でもない。 もちろん。意図的にやっているのだが… 早々に追い返そうとしていた目論見があっさりと裏切られ、引き下がるどころか、不意に何かに思い当たったらしい少女がぱぁっと顔を輝かせて破顔した。 「つまり、おちこぼれてグレたのね。あたちはりな。りな=いんばーす」 喧嘩を売られているのだろうか…。 一瞬、頭にそうよぎるが相手はたかがガキ。 ムキになることもない。 「あんたねー。だいのおとこがいぢけてんじゃないわよ。 あたちのねーちゃんに見つかったらしゅんさつされるわよ?」 「俺が人間などに殺されるものか」 「なーんだ。けっこう元気あるじゃん。うんうん。そーこなくっちゃ!」 …もしかして、自分はこんな年端もない少女に慰められているのだろうか…。 「あのなぁ、俺は人間じゃないんだぞ? お前さんより、何千倍も長く生きてる、そこんとこ、分かってるか?」 諭すように、言うと、リナと呼ばれた少女は、その口調に露骨に顔をしかめた。 「ふんっコドモあつかいしないでよ!そんくらいわかるもん!! うさんくさ〜いしんわでよんだことあるもん。 お空の上にいる羽の生えたしゅぞくがいるって!……うそだとおもってたけど…。 け、けど!せなかにドスぐろいつばさくっつけて『ぼくはいっぱんじんv』 な〜んてほざいてたら、そくざにケリいれてせけんのぢょうしきってヤツを体でおぼえさせてやるわ」 「……」 それもそうか。 この翼は天界の証。 地上人には奇異と映るのも当然だ。 あっさりと納得させられ、肩をすくめる。 「で、なんで俺なんかに寄ってきたんだ?大道芸人でもなきゃ、御利益もないぞ」 「うきゅ?」 また愛らしく首を傾げる。今度は、先程とは逆に。 「だって、あんた、すっごくさびしそうだったから。 こーーんないいてんきなのに、さむそうにちぢこまっるんだもの。 見てるこっちがふけいきになるじゃない。それにねー!」 「まだ続くのか?よく喋るガキだなー…」 「うっさいよ、あんたにひとつちゅうこくしてあげる。『おれなんか』なんて、じふんを見下すんじゃないわよ。あんたにしかできないことだってあるんじゃないの?」 「ああ。あるさ。神族に刃向かう者を一人残らず消す。 そして用がなくなれば、堕天される。適当な言い訳を付けられてな」 「…あんた、洋なしなの?」 「…今、違う言葉で使っただろ。おちょくってやがるな? 食い物じゃねぇ、お払い箱って意味だ」 「てへ♪バレた?」 小さな唇を出して、リナはイタズラが見つかった子供のように、年相応で笑う。 「おう。そーしてりゃ、可愛いガキに見えなくもないぞ」 くしゃくしゃと頭を撫でて、微笑む。 「あ…っ」 「あ?なんだ?」 「あんた、いますっっごくキレーな笑いかたしたよ。なーんだ。そんなかおもできるんじゃない。うん。あんたもそっちのほうがいいよ!」 顔を輝かせて喜ぶ少女に、どう扱っていいものか、正直戸惑う。 「お前さん、変わってるな…」 「うん。るいはともをよぶっていうでしょ?」 ……やっばり喧嘩を売られている。 しかも、先程は分からなかったが、この少女の瞳にはからかうような色がギラギラと輝いている。 どうやら、始めから故意にやっているらしい。 「負けだよ。お前さん…いや、リナ」 「わかればいいのよ。 ね、がうり…がぶりえる…だっけ?あんたはどーしてこんなところにいるの?」 「…さぁな」 曖昧に笑う。 自分でも、その答えが分からないのだから。 もしかしたら、どこかでその答えを探し続けてきたのかもしれない。 ――――そして… 考え疲れてしまった。 何時の頃からか、自分の中を空虚にしてただ静止画の中に描かれるように空の中に溶け込んでいた。 この少女の声を掛けられるまでは…… 「はやくお空にかえれるといいね」 ふんわりと笑う少女の眩しさに、ガブリエルは返事も上の空に見とれる。 年端もいかない、ガキの微笑に。 ………一瞬、自分はロリコンだろうかと真剣に考えたが、 「ずっとずっとお空をみてたのしってる。 つばさがあるのに、はばたこうとしないのは、たいまんよ」 目を見開いて少女をもう一度凝視すると、彼女は年に似つかわしくない真剣な瞳で彼を射抜いた。 しばし、絶句していると、リナは再び顔を綻ばせる。 「ふふん。りなちゃんかっこいいvあたちにホレるなよ」 「…くっ…くははははっっ最高だ。嬢ちゃん!」 「りなだってばっっ」 勝てない、ガブリエルは不思議と納得する。 「おお、そうそう。リナだ、な。 よーし。リナ。一つ大天使の俺様と契約しねぇか?」 「あくまぢゃん」 「せめて堕天使って言ってくれ…」 ガックリと肩を落として言う。 「う〜みゅ。ちっちゃいことにこだわるとモテないよ〜」 「ほっとけ。 な、リナ。俺は絶対天界に戻ってやる。だから俺のことに嫁に来ないか?」 「むぅ…」 暫く考えていたリナが、ぽむっとてちっちゃな手を打つ。 「あたちはねぇちゃんに『大きくなったらセカイを見てこい』っていわれてるの。 だから、あんたがお空に戻れて、あたちを見つけだして、 そんでもってあたちをその気にさせたらけっこんしてあげるっ!」 「はいはい…将来豊かなお子様だ。んじゃ、リナにオレからの……」 その後の言葉が、翼の羽ばたきで掻き消される。 二人で見上げた空に、純白の翼を持つ天使がこちらを静かに見下ろしていた。 「…ミカエル……」 「迎えに来たぞ、ガブリエル。我らが主はお前の処分を取り消す決断を下した。 よって直ちに天界への帰参を命ずる」 「……やはり…」 低い、低い、呟き。 虚しいまでの空虚な言葉の覇気にリナが思わず彼を見上げる。 「がうり?」 「お前らは…俺から全てを奪い尽くすんだな……」 嘆息よりも重い吐息を漏らすガブリエルに対し、天使はその理知的な瞳に不思議な光を浮かべる。 「そうか?」 皮肉下に笑うガブリエルに、ミカエルと呼ばれた俗称天使の軍団の最高指揮官が口の端を上げ、尋ね返す。 「時が満ちるまでお役所仕事も悪くはあるまい? それに…天界に戻れば契約の課題が一つクリアー出来るぞ?」 はっと顔を上げて天使長の彼を見る。 金色の瞳の奥に、含みのある色。 『そーゆー趣味だったとはな』 「ほっとけぇ!」 笑いを含んで、しみじみと聞こえてきた声に思わずガブリエルが突っ込む。 「????がうり??」 突然、独り言を言ったガブリエルとミカエルとに交互に視線を配り、リナがキョトンとする。 「……なんでもない」 心の中から聞こえてきた、声。 …とどつまりテレパスなのであるが。 人間のリナには伝わっているはずもなく(伝わって欲しくもない)のでガブリエルは 誤魔化すようにリナの柔らかい髪をくしゃっと撫でた。 「……分かった。お前の言うとおりにしよう」 「がうり?」 立ち上がるガブリエルに、リナがその黒衣を握り締める。 「リナ、俺との約束を忘れるなよ。俺は空に還って見てるからな」 不安気な顔が、やがて彼の言葉を理解すると満面の笑みにとって変わり、 力強く頷いて元気よく飛び跳ねる。 「あんたこそ、あたちに見惚れてばっかりいて、またさせんされないよーに じょうしにこびへつらってがんばってね! ちなみに、あたしそーゆーヤツはタイプぢゃないわ」 「…ほぅ。随分変わった子供だな。じゃ、遠慮なく扱き使ってやるぞ、ガブリエル」 上司であるミカエルがあきれ返るように、しかし嬉々とした表情で言う。 「あーあ…ったく。リナ、俺お前のような可愛くねぇガキにでも、 最後に出会えて良かったよーな気がしなくもない」 「素直に『救ってくれてありがとう』とは言えんのか…」 『破壊以外の何かを見つける』試練を超えさせてくれた少女に。 ポツリと呟くが、幸いなことに二人の耳には届く事はなかった。 代わりに違う言葉を投げかけた。 今度はしっかりと聞こえるように。 「……しかし…おまえがロリコ…」 「それ以上言うなぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!!!!」 ガブリエルが思わず頭を抱えて絶叫したのも無理はなかったが、彼のそんな生き生きした行動にミカエルが笑みを洩らした。 彼がどう変わったのか、この目で確かめておきたかった。 …という彼の言い分だが、どうみてもおちょくられているようであった。 「じゃ、な」 「ばいばい!またね!!」 「ああ。いつか、きっと…」 ミカエルが複雑な印を結び、ガブリエルと共に飛び立つ。 リナは風圧にたぢろぎ、数歩後ずさりながらも踏みとどまり、目を開く。 そこには、黄昏をそのまま映し出すような汚れ無き翼。 「あんた、黒のほうがにあってたかもね〜〜〜」 . . 手を振りながら、純白の翼を羽ばたかせ、茜色の空を舞う天使にヤジを投げる。 確かに、、、、彼の美しい翼は漆黒の方が似合っていた。 当の本人ですら、違和感を感じているらしい。 「ここ数百年ずぅ〜と黒だったしなぁ…ハト羽ってのも…似合うか?」 「うむ。これっぽっちも似合わん。 おまえの場合、清爽感漂う聖者よりも邪悪の権化がハマリ役だ。 どうだ、もう一度堕天でもするか?」 「…お前が言うなよ。シャレになんねぇから」 ミカエルの無情な発言に苦虫を噛み潰した表情で答え、地上を見下ろす。 沈みかけた太陽の残映を見るかのような、赤い瞳。 彼の瞳に映る、たったひとりの小さな人影。 「リナ…」 「以前からの謎が一つ解けたぞ。ガブリエル」 「謎?」 コクリと真顔で頷き、続ける。 「お前、顔の造作は女神に持て囃されるほどだが、いっこうに靡く気配がなかったな。 それどころか冷たくあしらっていたが、その理由がよくわかった。 趣味がアレならば納得がい…」 「だーーーーかーーーらっっ!!断じて違う!!! 俺だってもっとメリハリがある絶世の美女に越したこたねーんだ!! ……しゃーねーだろ。あの魂に魅せられちまったんだから…」 もごもごと口の中で言い訳を並べる。 「まぁ、お前が照れるなんて生まれてこの方初めて見たからな。 これからも退屈はしなくて済みそうだ」 「俺はお前らの玩具じゃねーぞ」 剣呑な目つきで吹き出すミカエルを睨み、振り切るように速度を上げ、やがて漫才をする天使たちがが消えると同時に、太陽が地上から消える。 大地に一人残ったリナは、黄昏の空の果てを見通すように目を凝らした。 「それにしても、やっぱセカイはひろいわ」 しみじみと呟くリナに、遠くから姉の声。 恐怖に駆られ、慌てて全力疾走をするリナが一度だけ、振り返る。 「ぜったい、おっきくなってみかえしてやるんだから!」 そして、十数年の月日が流れた……… <続く> |