流れる水への伝言









 ガウリイ・・・・・・泣かないで。
 あたしが死んだら骨は海に還して。
 そうしてくれたら、辛い時や悲しい時、嬉しい時、伝えたいことがある時は湖や川に来ればいい。
 湖や川は、いつか必ず海に辿りつく。つまり・・・・・・必ずあたしにつながっているのだから。




 サイラーグでの三度目の大きな事件を片付けて。
 あたしとガウリイは彼が押しきるようなかたちであたしの郷里、ゼフィーリアに向かっている。
 彼は『葡萄を食べに』なんて言っていたけど、あたしには彼が本当は何を考えているのかなんてさっぱり判らない。そこそこ付き合いは長いのだが。
 『葡萄を食べる』とか言っていた割に、『特に急ぐ旅でもないんだし』とかなりゆっくりしたペースで旅をしているので中々ゼフィーリア・シティは近付かない。このペースでは本当に一年後の葡萄のシーズンに到着となるのではないだろうか。
 ・・・・・・まあ楽しいけど、さ。
 で。あたし達は今日も旅を続けて森を歩いているのだが・・・・・・もうすぐ日暮れ。しかし、次の中継地点とするつもりだったラマリア・タウンはどうもまだ近くではないようだ。つまり。
 野宿である。
「やだなぁぁぁ」
「しょうがないだろ、なっちまったもんは」
「外で寝ること自体は嫌でもないのよ。秋だけどまだそんなに寒くないし。でも携帯食料はもうヤだ。干し肉飽きた」
「わかったわかった。さっき向こうに川があったから、魚釣ってきてやるよ。火、熾しててくれ」

 彼が十匹の釣果を手に戻って来た時には、もう日がとっぷりと暮れていた。
「・・・・・・」
 ガウリイがあたしの顔の前に手を出した。
「言いたいことは判ってる」
「・・・・・・遅い」
「悪かったって」
「罰としてあたし六匹ねっ!」
「・・・・・・それってあんまりじゃあ・・・・・・」
 あたしはガウリイから魚を受け取ると、それを彼を待っている間に作っておいた木の串に刺して塩を振る。そしてそれを焚き火の周りに立てて焼く。と、彼が荷物から鉄製のカップを出して水を入れ、焚き火に置いてお湯を沸かしているのに気が付いた。
「・・・・・・何やってんの?」
「ちょっと待ってな。お、沸いた沸いた」
 熱いので取っ手は布を巻いて持つ。ガウリイはやはり荷物から取り出した、花のような小さくて黒い塊を沸き立つお湯に放り込んだ。ほわん、と湯気と共に立ち上る花の香り。
「・・・・・・何?」
「お茶だよ。ちょっと前に街で買ったんだ。ほら、リナ覗いてみな」
 カップを覗き込むと、糸か何かで縛ってあったらしい茶葉がお湯の中で開いて花が咲いたようになっていた。
「可愛い」
「飲めよ。結構美味いぜ」
「いいの?」
「ああ」
 そのお茶はかすかに花のような味がした。飲むと体の中から温まっていく気がする。久し振りに焼いた魚もやっぱり美味しくて(ちょっと足りなかったけど。勿論あたしが六匹食べた)、あたしは幸福な気持ちで横になった。

 遠くで水音がした。それで目が覚めた。
頭上には白々と輝く満月。
「・・・・・・ガウリイ?」
 彼がいない。焚き火は消えないように、でも目立たないようにちゃんと土が被せてある。黒い土の向こうにちろちろと赤い光が見えた。彼の荷物と胸甲冑は置きっぱなしだ。
 また水音。あたしは掛けてあった毛布から這い出てそちらへ歩み出す。
 森の中はとても暗い。でもここで灯りをつけたらかえってその灯りの所為で灯の届かない場所の闇が深くなる。あたしは闇に慣れ始めた眼で探るように歩いた。そしてまた、水音。
 ガウリイが、川で泳いでいた。ふと気付けば、川辺りの木の根元には彼の服と剣がまとめて置いてある。水の中で、金色の髪が空の月の仄青い光をはじいてさらさら輝いていた。ひととは思えないほど、綺麗だった。声を掛けようとして身を起こした彼を見た時、胸が詰まって声が出なかった。
 彼が口を開きかける。見ていたのに気付いたのだろうか。
「アリシア」
 えっ?おんなの・・・・・・ひと、の、名前。
「久し振りに・・・・・・弱音、吐きに来た」
 ・・・・・・どういうこと?
「ちょっと前に・・・・・・さ、オレ、今リナっていう女の子と旅をしてるんだけど」
 それからガウリイは話し始めた。洗いざらい。あたしとの出会いから、つい最近のサイラーグでの事件まで。
「一緒に戦った事も有った奴だったんだけど、そいつの望みでオレ達は戦わなければならなくなった。そして・・・・・・リナが望みを叶えてやったんだ・・・・・・」
 あたしは一歩も動けなかった。
「オレはあいつにも、リナにも、何にもしてやれなかった・・・・・・」
 そんなことない。ガウリイはあたしを支えてくれた。一緒に彼と向かってくれた。あたしに泣く場所をくれた。そして今もあたしと一緒に居てくれている。
 光の当たり方で、彼の頬を涙が伝っているのが判った。
 苦しかった。あたしは彼に頼って、痛みを吐き出して彼の胸で泣いたけど、彼はあたしの前では泣かない。目の前で洗いざらい吐き出して、弱音を吐いて、涙を見せる相手は他に居るんだ。それはあたしじゃない女の人。『アリシア』さん。
 あたしじゃ頼れないのかな。あたしじゃ駄目だったのかな。そんなことばかりぐるぐると頭を巡る。まともに頭が働かない。どうしてこんなに痛むのかも解らない。
「ちょっとすっきりした。また・・・・・・来るよ」
 ガウリイが川から上がる気配がした。やばい。
 あたしは身を翻した。
 どうしようどうしようどうしよう。
 『アリシア』さんて・・・・・・多分ガウリイの『いいひと』だ。なら、あたしが一緒に旅してるのはまずいんじゃないだろうか。ううん、こんな事を知ってしまったら、あたしがまず普通にガウリイに接する事が出来ない。ならこのまま荷物を持って一人で・・・・・・
 眼から、ぽたりと雫が落ちた。
 ・・・・・・そんなの、やだ。
 彼とはもう三年くらいの付き合いになる。彼と旅するのは楽しい。この楽しさ、賑やかさや頼もしさに慣れてしまった。今更ひとりになんてなれない。
「どうしよ・・・・・・」
「リナ!?」
 やば。ガウリイの気配。近付いてくる。それを感じるだけで泣きそうになる。あたしはこんなに弱かった?何てタイミングが悪い男だろう。
「泣いてるのか?」
「見ればわかるでしょ?泣いてなんかいないわよ」
 いつか交わしたのと同じ会話。
 ガウリイはもうすっかり服を着ていた。髪はまだ濡れていて、ぽたぽたと雫がたれている。
「嫌な夢でも見たか?」
 ぽんっ、とあたしの頭の上に何の気なしに置かれる手。まだ、冷たい。いつものように優しい手。
 そのいつも通りの感触があたしの中の何かのスイッチを入れた。
「もう・・・・・・いいよ・・・・・・」
「リナ?」
「子供のお守は終わりにしなさいよ。恋人のところに帰ればいいじゃない。あたしはひとりでも平気」
 思ってもいないくせに。全然平気じゃないくせに。言葉だけはすらすらと口をつく。
「急にどうしたんだ?」
「『いいひと』いるんでしょ?
 あたしの前では泣けなくても、『アリシア』さんの前では泣けるんでしょっ!?」
 叫ぶように言って、あたしは我に帰り口を押さえた。
「聞いてたのか・・・・・・」
 ガウリイは右手であたしの左手を軽く握った。
「話すから、全部話すから焚き火のところに戻ろう」
 あたしは黙り込んで、むっつりとガウリイに手を引かれて行った。

 ぱちん、と薪がはぜる。
 あたしはガウリイがもう一回淹れてくれた花の香りのお茶をひとくち、こくりと飲んだ。
「落ち着いたか?」
「・・・・・・うん・・・・・・」
 ガウリイは拾った枝を折って焚き火に放り込む。
「オレが話してたのは死んだばあちゃんだよ。気が付かなかったのか?あそこにはオレ以外誰も居なかっただろう」
「でもアリシアって!」
「オレのばあちゃんの名前だよ」
「普通おばあちゃんのこと名前で呼ぶ?大体前に話した時はばあちゃんって呼んでたじゃない」
「ばあちゃんって呼ぶと怒ったんだよ!それに知らない人間に話す時に普段そう言ってるからって名前で話したりしないだろう」
 ・・・・・・一応スジは通ってる。
「昔・・・・・・まあ、色々あってさ、オレ、小さい頃からばあちゃん、アリシアと旅してたんだよ。アリシアは魔道士だった。凄く強かった。誰も絶対にアリシアには敵わなかった。話し方とか、お前さんに似てたよ。でも・・・・・・強いアリシアも、病気には敵わなかったんだ」
 頭上の木からはらりと舞い落ちた枯葉が炎の中に飛び込む。踊るように、それは燃え尽きる。
「そこは港町だった。アリシアはある日突然倒れた。一週間寝込んだ。苦しいとも何とも、泣き言一つオレには聞かせなかったけど、アリシアはそのまま逝っちまった」
「・・・・・・」
「死ぬ間際にアリシアは言ったんだ。『泣くな』って。『骨は海に還して。そうして話したくなったら水辺に来て話して。水の流れる所はあたしにつながってるから』そう言ったんだ」
 彼の髪は、話し終わる頃にはすっかり乾いていた。
「で、オレは今日川見て思い出して、情けなくも海のばあちゃんに泣き言垂れてたって訳」
 あたしは黙ったまま、空っぽになったカップでガウリイの頭を小突いた。
「てっ」
「何?あたしはそんなに頼りになんない?」
「そんなこと言ってないだろ」
「あたしはあんたの前で泣いたわよ。でもあたしは頼る一方なんて嫌」
 あたしはカップを置いていつもガウリイがするようにぽんっ、とガウリイの頭に手を置いた。彼が座ってても背伸びしないと届かない。
「こっちも頼ってよね」
「・・・・・・守るって言った相手の前で泣けるかよ」
 ガウリイがぼそりと呟いた。
「いいんじゃない?」
 彼はことん、とあたしの頭に肩を凭せ掛け、声を立てずにほんのふたしずく涙を零した。

 朝になった。あたしは足元に咲いていた秋桜の花を身を屈めて手折る。
「昨日のあのお茶な、昔アリシアと一緒に飲んだのと同じやつなんだよ。久し振りに街で見掛けて買ってみたんだ」
「うん。美味しかった」
 ガウリイが少しだけ川のほうを見て何か呟いた。
 彼はあれから何も言わない。あたしの涙の意味も何も聞かない。
 ・・・・・・何となく、しない方がいい自覚をしてしまった気がする。
 聞かれないってことは、伝えたくなった時はあたしが自分から言葉にしなくちゃいけないってことなのよね・・・・・・はぁ。
 ガウリイがこっちを振り向いた。あたしは、手の中の秋桜を餞に川へ投げた。




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♪後書き♪
 始めましての方もそうでない方も、こんばんは、「めりーさん」です。
 頭の中に川で夜中水浴びするガウリイと冒頭のアリシアさんの遺言がぱっ、と頭に浮かんで一気に書き上げました。リナちゃんのことは初め頭にあんまり無かったです(笑)。
 飛鳥さん、何度もメール下さり有難う御座います。
 たかこさんメール有難う御座いました。
 では、おまけの方も読んで頂ければ幸いですっ!

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♪おまけ♪

 夜が明けた。森の中、焚き火の跡を簡単に片付けてオレとリナは身支度を整える。
 オレは川辺りに近寄る。
「オレ、もうアリシアに弱音は吐かない。頼れって怒られちまったからな。これからは嬉しい事だけ伝えに来るよ――」
 囁いて、振り向く。
 木々の隙間から洩れる暁光を受けて紅く染まったリナが、薄紅の花を一輪、流れる水に贈っていた。