紅の歌姫 碧の舞姫








 荷物を山盛りに積んだ荷車を引いて二頭の驢馬が行く。買い物篭を腕に提げて小走りに駆ける少女。馬車が行き交い、土煙が上がる。道には露店が立ち並ぶ。
「結構賑わってるなー」
「小さい町なのにね」
 あたしとガウリイが来ているのはラマリア・タウン。小さい町なのだが、今は活気に溢れている。
 それというのももうすぐ、この町で豊穣を寿ぐお祭りがあるから。その祭りで毎年行われる儀式は中々美しく見応えが有る――とはガウリイの弁。
 ガウリイの記憶では怪しいものだと思っていたが、この様子なら本当だろう。
 ここ最近はガウリイが立ち寄る町を決めている。つい最近のサイラーグでの事件の後で、余程あたしが沈んでいるように見えたのだろう。彼は、一人で旅をしていた時に訪れた町の記憶を頼りに近頃あたしを引っ張り回している。収穫期ということもあり、祭りを催す土地は多い。今はもっぱら祭り巡りである。誰かの後を付いて行く、というのも新鮮だし、祭りを見て回るのも結構面白い。
「祭りは確か四日後だから、それまでのんびりするか」
「そうね。ま、前にミルガズィアさんのくれた報酬も有るから当分は仕事しなくても大丈夫だし」
「まずは宿を取るか」
「で、宿のひとにこの辺の美味しいお店聞いて食事にしましょ」
 人込みに押されて横に居た女性にぶつかる。
「あ、すみません・・・・・・え、ラスリア!?」
 反射的に謝り、相手を見てあたしは驚きの声を上げた。
「リナ!えええっ、何年振り!?」
「・・・・・・リナ。知り合いか?」
 きょとん、とした顔でこちらを見るガウリイにあたしは頷く。
「まあね。ねえラスリア、ここじゃ混んでるし立ち話も何だからどっかに入って話さない?」
 ラスリアも頷いた。
「うん。あたしが泊まってる宿がすぐそこだから、そこの食堂に」
「あ、じゃあそこに泊まるか」

その宿は値段の割にこざっぱりとして清潔感が有った。
 食堂の丸テーブルの一つにあたし達は席を取る。座ると同時にあたしに微笑みかける彼女は、その丸い緑の眼も、黒いショートヘアも、背の高さや心の在り様さえ最後に会った時から変わっていないように見えた。
「ガウリイ、彼女はラスリア。あたしの幼馴染みよ。
 ラス、こっちはガウリイ。ここ二年ほど彼と一緒に旅をしてるの」
「知ってるわ」
 彼女――ラスはウェイトレスが持って来た水をこくり、と一口飲み、少しかすれた声で言った。
「あのリナ=インバースが凄腕の剣士と旅をしてる。しかも金髪の美青年――てね。
 もう随分前から有名よ。」
 あたしは飲みかけた水にむせてしまった。
「あああああの?ラス?それってゼフィーリアの方にも・・・・・・」
「伝わってるわよ」
 うっだぁぁぁぁっ!
 これでどの面下げて帰ればいーのか。姉ちゃんの耳に入ったら・・・・・・いや入ってるだろう。確実に。姉ちゃんの情報網はあなどれない。
 ガウリイはあたしに構わずいつものようにぽやーん、と言った。
「オレはガウリイ=ガブリエフだ」
「はじめまして。ラス、でいいわ。
 リナって昔っから無茶だし・・・・・・一緒に旅してるとトラブルが絶えないでしょ?」
 ガウリイは深々と頷いた。
「そりゃあもう首突っ込む突っ込む」
「ちょっと待てぃっ!
 ここ最近の立て続けのトラブルはあたしっから首突っ込んだんじゃないでしょーがっ!」
「リナ・・・・・・自分で言って悲しくならんか?」
 う゛・・・・・・確かに・・・・・・今のあたしの台詞はトラブルの方から勝手にあたしの方に寄って来るって認めることになる訳で・・・・・・おし、ここはもう誤魔化そう。
「おねーちゃんっ!ポテトグラタンと地鶏のトマト煮込み、それからチコリのサラダちょーだいっ!」
「ずるいぞリナっ!ならオレも、地鶏の香草焼きにスズキの塩釜焼きとポトフっ!」
 おし。誤魔化し成功っ!
「・・・・・・リナ・・・・・・相変わらずよく食べるわねー。
 おねーさん、あたしはラザニアにミネストローネ、うーんと、あとポテトフライに魚介のカナッペでしょ、それからフルーツサラダね」
 ・・・・・・ラスリアだってひとのことは言えんと思うが。
 食後にガウリイはココア、あたしは香茶、ラスリアはコーヒーを飲む。
「頼んだ量を見た時は流石リナの幼馴染み、と思ったもんだが・・・・・・訂正する」
 ガウリイはこくり、とココアを一口。
「食べ方がリナの数百倍大人しい」
 ほっとけ。
「そうでしょ?」
 ラスリアも同調してるし。
「じゃ、オレは」
 ガウリイが銀貨を二枚と銅貨を数枚、テーブルの上に置いた。
「これはオレの分の勘定な。積もる話もあるだろうし、オレはちょっとその辺ぶらぶらしてくるよ」
 かららん、とドアが音を立て、ガウリイが出ていってしばし。
「・・・・・・で?あのガウリイさんはあんたの旦那?」
 ぷう。
 あたしは香茶を吹き出した。
「な・・・・・・な・・・・・・な・・・・・・何言ってんのよっ!大体あたしもあんたと同じでまだ十八よっ!」
「別に結婚しててもおかしい歳じゃないでしょ?あたしだってもう結婚してるわよ」
 今度はむせてしまった。ごほごほと咳き込む。
「えっ!?」
「いやー、式にはあんたにも来て欲しかったんだけどね。あんたもう旅に出てたからどこにいるかもわかんなかったしさ。
 だからあたし、もうラスリア=ラウカフィリアじゃないのよ。ラスリア=トリエステになったの」
「トリエステって・・・・・・武器屋んとこのディント=トリエステっ!?あの泣き虫の」
 ラスリアは少しむっとした顔になる。コーヒーで喉を潤し言った。
「泣き虫だったのはすごい昔でしょ。今は二人で、リナと同じく何でも屋みたいなことやってるんだけど、流石武器屋の息子だけあって剣の腕は中々のもんよ。
 で、二人で町を出て旅をしようってことになった時にね、うちの親父さんがこう来たわけよ。『妙齢の娘が男との二人旅に出るのを許す訳にはいかん』てね。そうなったらあたしの方も売り言葉に買い言葉よ。『それが夫婦なら何の問題も無いでしょ!』・・・・・・で、そのままディントの家に突っ込んでって『結婚しよう!』って言っちゃったわけ」
 ・・・・・・まあ、鉄砲玉のラスリアらしい行動ではある。
「で、まああんたの方も性格からして好きでもない男とそんなに長い間旅するわけもなし、できてんのかなー、とね」
「あいつは『自称』保護者よ。そんな関係じゃないわ。まして夫婦なんて」
「そ・れ・に」
 ラスリアはあたしの言葉を無視して言葉を継いだ。
「まるで長年連れ添った夫婦みたいな空気が流れてるんだもの」
あたしは水揚げされた金魚みたいに口をぱくぱくさせた。・・・・・・顔色も、きっと金魚みたいだったことだろう。
「あ、そうそう。あたし、リナに頼みがあるのよ」
 話が反れたことに安堵し、あたしは問う。
「何?」
「実はさ、今度ここの街で祭があるのは知ってる?」
「知ってる。収穫祭でしょ」
「まあそんなもんね。豊穣を神に感謝する祭よ。で、この祭ではある儀式が行われるの」
「それもガウリイから聞いたわ。綺麗な儀式なんだってね」
「うん。楽器の演奏をバックに、決められた歌と舞がこの町の北の舞台で捧げられるの。華やかで、結構沢山の人が来るわ。それの、一番メインの姫巫女役をあたしが頼まれたのよ」
「待って」
 あたしはラスリアの話を留める。
「その儀式って一応神事でしょ?何でそれを流れの何でも屋なんかに頼むの?」
「この小さな町ではこの豊穣の祭は言わば一年で最も大きい行事であり、その美しさから近隣の国々からも観光客が来るような祭。つまり、客を沢山集めて稼ぐ事が出来る唯一の機会なのよ。その為には、毎年毎年完成度の高い舞台を人に見せ、印象付けてその名を落とさないようにしなくてはならない。
 ところが、よ。この町の神殿の人間――皆、揃いも揃って音痴だったのよ。物凄い、ね」
「・・・・・・・・・・・・」
「で、神官職にない者だ、ということは伏せてよそ者に出演を依頼してるって訳」
「・・・・・・成る程ね」
「なんだけど、あたし、姫巫女役頼まれといて体調崩しちゃってさ。聞いての通りのガラガラ声で、本番に歌なんて歌えそうにないんだわ。でさ、リナは昔っから歌上手かったじゃない。代わりに出て、歌ってくれない?」
「やーよ。そんな大勢の前でなんて歌えるわけないじゃない」
「結構報酬良いわよ」
 ぴく。
「・・・・・・どれくらい?」
「口止め料含めて金貨三十枚」
「やる」
 ・・・・・・と、言う訳で、あたしは姫巫女役を務めることになったのだった。

『ごめんっ!祭行けなくなったっ!』
 ――言ったのは二人同時だった。
「あれ?あんたも?」
「なんだぁ、リナもか」
 それは夕食の席でのこと。淡い小麦色の髪の、呑気な顔した軽戦士と合流して四人で夕食を取っていた時であった。その軽戦士とは言わずもがな、ラスリアの夫でありあたしの幼馴染み、ディント=トリエステその人である。
「あーでも良かった。一緒に行くって言ってたからさ、気にしてたんだよな」
 あたしもほっとした。約束の事も無い訳ではなかったが、ガウリイも用事が有って祭に来れないということは、儀式で歌うあたしを見られる恐れが無くなるからだ。無論、姫巫女代理の話はラスリアには厳重に口止めしてある。
 そんなあたしとガウリイをディントがラスリアと同じ緑の目を細めて見て、そして言った。
「じゃ、そろそろ部屋に戻ろうか」
 立ち上がって勘定を済ませ、あたし達は廊下を歩く。
「じゃ、おやすみ」
「また明日ね、リナ」
 ――ラスリアとディントは当然のように同じ部屋に入っていった。
 ガウリイと目が合った。蒼い視線とあたしの目が一瞬ぶつかってあたしは目を逸らし、ガウリイから部屋の鍵を引っ手繰ると逃げるように部屋に駆け込んだ。木のドアを閉める直前、ガウリイの「おやすみ」という優しい声が背中に当たるのが判った。

 次の日から猛特訓が始まった。幸い、ガウリイも何か用事が有ったらしい。あたしより先に宿を出て出掛けて行った。あたしはラスリアに連れられ神殿に出掛けた。
 白い祭服に身を包んだ女性があたし達を出迎えた。
「貴女がラスリアさんの代理の方?わたくしはヴィルヘルミーネ=コラールと申します。この地竜王を奉る神殿で祭司長を務めております」
「あなたが祭司長を?」
「女に祭司長は相応しくないとお考えですか?」
 ヴィルヘルミーネさんは見たところ三十代後半といったところか。彼女はあたしが今まで出会った聖職者の誰よりも澄んだ眼と悟ったような雰囲気、落ち着いた物腰を持っていた。
「いいえ。あなたほど相応しい人はそういないと思います」
「有難う御座います。でも、それは過ぎた言葉ですわ」
「あたしの名はリナ=インバースと申します」
「まあ、あの」
 彼女は瞬間、紫水晶に似た瞳を見開いた。その視線があたしを射貫く。ややあって、彼女はふっ、と物柔らかな微笑みを浮かべた。
「わかりました。お願いしましょう。こちらの小部屋でこの服に着替えて下さい。その魔道士の装いでは目立つし、信者の方々を驚かせてしまいますから」
 手渡されたものは簡素な白い綿の貫頭衣だった。
 あたしとラスリアが着替え終わるとヴィルヘルミーネさんが一人の幼げな巫女を手招きして呼んだ。
「何か御用ですか、シスター=ヴィラ」
「大聖堂を少しの間使います。誰も入らないように皆に告げておいて下さい」
 黒髪の少女は元気良く頷き、駆け出した。ヴィラさんに注意されて早歩きに変わる。――遠い、セイルーンの友人を思い出した。
 大聖堂に入ると、その最奥にパイプオルガンが聳え立っていた。
 ヴィラさんは幾つかのレバーを引く。そしてキーを押すと深みの有る音が漏れた。
「声を出してみてくださるかしら」
「あー――――」
 彼女はにっこりと微笑んだ。
「綺麗な声ですわね。よろしくお願いします。今年は素敵な祭典になりそうですわ。踊り手も見つかったようですし・・・・・・」
「見つかったんですか?」
 ラスリアが尋ねる。
「ええ。お綺麗な方のようです。もう、練習に入られるそうですよ」
「それは良かった」
 ヴィラさんはあたしに何枚かの楽譜を手渡した。
「これがその歌です。簡単な曲ですけど歌詞の言葉が古い言語なのかよくわからない上に、いくらか簡単ではありますが振りを必要としますよ。その振り付けはラスリアさん、貴女が教えて下さい」
「はい」
「わかりました」
「パイプオルガンは音取りなどに使って下さい。わたくしは御勤めが有りますので、昼食時にはこちらに伺います。何かおありのときは祭司長室の方にいらして下さいね」
 あたしは軽く声出しをしてから楽譜を見た。驚いた。歌詞は読めた。こういう節で始まる。
 『聖なるかな 聖なるかな 聖なるかな
  大地の父なるものよ 豊けき賜物与えるものよ』
 確かに一般の人間は知らない言語かもしれない。この歌詞は「混沌の言語(カオス・ワーズ)」だった。しかし、どうして?
「リナ、音の方は平気?振り付けを教えるからこっちを見てくれる?簡単だから、きっとすぐに覚えられるわ」

「・・・・・・で、最後の小節で踊り手と手を打ち合わせるの。覚えた?」
「ん。だいじょぶ。思ったより簡単だったし」
 その時、ヴィラさんが礼拝堂の扉を押し開いて入って来た。
「あら、一区切りつかれました?簡素なものですが、食事を用意致しましたのでご一緒に召し上がりませんか?」
 ゔ。食費が浮くのは有り難いのだが、こういった神殿、寺院で出る食べ物はマヅいと相場が決まっている。あたしはちょっと躊躇した。
「いいじゃん、貰おうよ。ここの料理結構美味しいよ?」
 ラスリアも結構食にはうるさい。彼女がそう言うならまず間違いは無かろう。
「じゃあ、頂きます」
 礼拝堂近くの小部屋に通される。テーブルの上からはふくふくとしたかほり。動いて沢山声を出した後の体には嬉しい。メニューは、不殺生を旨とする神殿のものだけあって肉、魚類はおろか卵も無し。でも、美味しいのだ。ふっくらと茹でた豆と人参、ブロッコリーなどをトマトで煮込んでハーブや塩胡椒で味付けしたカチャトーラ、ビネガーにオリーブオイル、バジルで作ったドレッシングで和えた旬の野菜のサラダ。神殿で飼っている牛のミルクから作ったチーズ。今朝焼いたばかりだという玄米パンにはたっぷりの蜂蜜とバターを塗って食べた。極めつけは林檎のシロップ煮。カルヴァドス(林檎の蒸留酒)で香り付けをしたとかで、かすかに漂うお酒の香りが堪らない。
 ・・・・・・美味しいものを食べると、ついガウリイを思い出しちゃうなぁ。あいつったら、本当に美味しそうに食べるんだもの。あの顔を見ているだけで二倍三倍は美味しく思えるわね。・・・・・・ちょっと、ほんのちょっとだけ、一緒に食べたかったかな。
「舞台の設営はもう始まっていますわ。御覧になります?」
「ええ。興味も有りますし」
 食後に、ヴィラさんに連れられてあたしとラスリアは町の北はずれに行く。そこは木々に囲まれた美しい場所だった。石舞台は既に磨き上げられているらしくぴかぴかで、何人かの神官が手に手に筆を持ってそこに紅く魔法陣を描いている。
「あの魔法陣は?」
「神殿に伝わる文献で、儀式の作法は細かく定められているんです。リナさん達の歌や踊りもそうですが、あの魔法陣についても決まりがあるんですよ。リファニアの花の汁にルビーの粉を混ぜたもので描くんです」
 げっ。リファニアの花というのは一輪で金貨一枚はする高価な花である。この舞台一杯に魔法陣を描くほどの花がどれほど必要なことか。それにルビーを混ぜるなどとは。
「リファニアの花はそれ程入手は困難ではないんですよ。神殿で昔から育てているんです。もっとも、毎年この儀式に大量に必要とするので、残りはささやかな財源にしかならないんですけど」
 リファニアは別名を紅妃草(こうひそう)とも言う。絹のように柔らかな花弁が幾重にも重なって花芯を覆い隠す優美な花だ。
「本当は、お金がかかって仕方ないんで例年はこんなにしっかり決まりに従わないんですけど・・・・・・最近は何かと物騒でしょう?厄払いの意味も込めて今年はちゃんとやることにしたんです」
 魔法陣の上では、きらきら光るものが幾つかゆらゆら浮かんで揺れている。
「あれは?」
 ラスリアが聞いた。
「あれは氷ですよ。山の洞窟から切り出した氷を丹念に丸く磨き上げ、更にそれに『明り』と『浮遊』を掛けたんです。綺麗でしょう?」

 あたしはドアをノックした。
「開いてるよ」
 開けなくても誰かは分かってるって声だ。あたしはドアを開ける。
 ガウリイは倒れこむようにしてベッドにうつ伏せになっていた。
「何よ、だらしないわね服のまんまで」
「別にこのまま寝たりしないさ」
 随分疲れているみたいだった。声に力が無い。
「また随分とグロッキーね。どんな仕事受けたのよ」
 あたしは体を起こしもしないガウリイの腰や背中を揉んでやった。かなりこっているみたいだった。
「お〜、気持ち良い。うまいなーリナ」
「郷里に居た頃はよく父ちゃんにやってあげてたからね」
 あたしは揉み終えるとベッド横のテーブルに小さな瓶を置いた。
「お土産。食べなさいよ。甘いものは疲れに良いって言うしさ」
 今日、神殿で出た林檎のシロップ煮だった。あんまり美味しかったので、分けてもらってきたのだ。
「ありがとな。
 な〜、リナ」
「ん?」
「祭り、一緒に行けなくてごめんな。約束したのに」
「何言ってんのよ。お互い様でしょ。
 明日も早いんで、寝るわ。おやすみ」
 ドアを閉める直前、「・・・・・・なんだ、約束が潰れて残念がってたのはオレだけか」という呟きが聞こえて、あたしはまた赤くなった――ら、そこにラスリアが立っていた。
「何、一緒に寝ないの?」
 心底楽しそうな、昔と変わらぬ笑みを浮かべて。
「そういう関係じゃないって言ってるでしょ」
「ホントに?本当に、そう思ってるの?」
「何が言いたいの?」
「べぇつに。おやすみ。また明日ね」

 で。もう今日は祭りの当日だったりする。
 あたしは神殿の巫女さんたちに儀式の為の着付けをしてもらっていた。またこれが幾重にも衣を重ねて着る面倒なもので。でもまあ、そろそろ肌寒くなる頃だし、これぐらいで丁度良いかもしれない。
「リナぁ?準備終わった?」
 ラスリアがドアを開けて入ってきた。彼女も楽器を奏するとかできちんと、あたしより地味なものではあるが祭服を身に纏っている。白を基調とした清楚なボレロである。良く見ると裾に細かく銀糸で神聖文字の刺繍が施されている。――結構高そうだ。
「おー、似合う似合う。鏡見なさいよ」
 鏡の中のあたしは薄紅色をした薄絹のくるぶしまであるドレスの上に紗のドレスを羽織っている。その紗は裾が真紅で、上に来るに従って色が徐々に薄くなるグラデーションに染められていた。どちらの裾にも金糸で細かく刺繍が為されている。腰にはやはり紅の絹の帯。胸元には鱗状にルビーを連ねたネックレスを架け、額にも雫型のルビーが幾つかついた黄金のサークレットを嵌めた。足には絹の柔らかな真紅の靴。
 顔にも薄く白粉をつけられ、口唇には淡い紅が塗られた。
「ほら、仕上げにこれよ」
 ラスリアがあたしの頭に淡い鴇色のヴェールを被せた。外には見えないようにピンで固定する。
「ん。喋らなきゃ女神様みたいに綺麗に見えるわよ。
 残念ねー、ガウリイさんに見て貰えなくて」
「っなっ・・・・・・」
 ・・・・・・ちょっとそうかも。
「さ、時間よ。これ持って」
 手渡されたのは真鍮の錫杖。芯のところは木でできている。でなければ重すぎてあたしには持てないだろう。先端にはルビーの魔法の護符。その下に大きな輪があり、それに幾つかの輪が付いている。その小さな輪には一つずつ小さな真鍮の鈴。
「あたしは先に行って楽器弾いてるから。前奏が終わったら出て来るのよ」
「分かってる。何弾くの?」
「リュートよ」
 神殿を出て、あたしは石舞台の後ろに控えつつ舞台を窺った。
 げ。あたしは心の中で呻き声を上げた。
 観客が予想以上に多い。ちらりと見ただけだが、見渡す限り人だった。更にその上・・・・・・聞ーてないぞ、あたしは。楽士があんなにいるなんてっ!リュートだけでも八人。ハープが五人。フルートが十人いてピアノが一人、パーカッションが三人。
 女の意地に懸けて絶っ対失敗は出来ない。
 あたしの心中をよそに、儀式は始まった。
 ラスリアのリュートの独奏で曲が始まる。石舞台の周囲に白い祭服を着た八人の舞手が広がり、踊り始める。そして、それとは別に舞台上に一人が進み出る。
 その舞手はあたしと対になるような服装をしていた。柔らかくふわりとした薄氷色のズボン。その上から淡い空色の長い貫頭衣を着、更にその上にあたしと同じ様な、ただしこちらは蒼の、グラデーションの長衣(トーガ)。結構背は高いようだが、服である程度体型が隠れている為性別がよく判らない。頭には淡い蒼のヴェール。意外だったのは――その両手に一振りずつある装飾的な三日月刀。どうやら剣舞であるらしい。
 そして舞手は踊り始めた。動きにくそうな衣装であるにも拘わらずしなやかな動き。思わず目が釘付けになる。剣舞といっても武術の型みたいな動きが多かったが、この舞手は武術のたしなみでもあるのか様になっており、堂々としたものだ。神事でありながらどこか艶めいたものすら感じさせる踊り。
 フルートの高らかに澄んだ調べ。――あたしの出番だ。
 あたしは舞台中央から進み出る。その時、舞手が跳んだ。
 明らかに装飾目的のその剣で、鮮やかに、ほんの一振りで舞台上を輝く氷のオーブを粉微塵に砕いてゆく。きらきらとした破片が陽光を照り返して降り注ぎ、観衆から溜め息が漏れた。
 これほどの剣技を有する人間をあたしは一人しか知らない。
 ヴェールから長く美しい金の髪が零れた。更に深い溜め息が観客席から聞こえた。
 しゃららん、と錫杖の鈴を鳴らす。
 あたしは歌い始める。あたしの想像か正しければ――もしかしたら、この歌は。

 ――聖なるかな 聖なるかな 聖なるかな
   大地の父なるものよ 豊けき賜物与えるものよ
   美しき謳と舞もて 我等汝を誉め奉る
   地の深みは君の手に 山の頂きもまた貴方に
   巡り巡る空 廻る星 水に歪む月
   巡り巡る土 踊る風 水に眠る華
   空の理 地の理において
   聖なるかな 聖なるかな 聖なるかな
   暫し 時の針を遊びて
   乳飲み児には眠りを
   疲れし母には安らぎを
   土の抱きし黒い種には恵みを
   祈れる存在らに祝福を
   この世の全ての命達よ
   幸せに 幸せに 幸せに――――

 そして、あたしは舞手と手を打ち合わせる。
 蒼い視線と目が合った。お互いにもう、判っていた。
 柔らかな笑みを浮かべていた。

 風が、吹いた。
 石舞台の紅の魔法陣がゆらめくように浮かび上がり、風に溶けて紅い風となる。
 そして。
 奇跡が、起きた。

「おい・・・・・・木が、何かおかしいぞ」
 観衆が声を上げた。石舞台の周囲の木々が、異常な成長を始めたのだ。
 散ってしまったばかりの金木犀が時間を巻き戻すように橙色の花をつけ、紅葉していた桜の木々がはらはらと落葉して堅い蕾をつけ、やがて花を満開に咲かせた。金木犀の濃密な甘い香りが空気に満ち、薄紅色の風に、少し散った桜の花弁や金木犀の花が舞う。
「甘い・・・・・・匂いがする・・・・・・」
 ラスリアの声が聞こえた。
 あたし達のやる事はまだ残っていた。あたしは左手で錫杖を抱くようにし、右手を延べる。
 蒼の舞手は踊ることを止め、剣を組み合わせ額づいた。

 ――人の子達の営みは続く
   巡り巡る命 廻る輪 水に沈む雪
   巡り巡る時 廻る空 水に祈る者
   厳しい冬が 来ようとも
   眠れぬ夜を 明かすとも
   運命の輪は巡る 命の糸は紡がれる
   もう迷うことは無い 涙に溺れることも無い
   聖なるかな 聖なるかな 聖なるかな
   貴方は其処に居る 我等と共に在る
   ひと時の眠りは祝福
   初めのように 今も 世々に限りなく――

「あ・・・・・・花が散ってゆく」
 金木犀は元通りに花を散らせ、桜はその薄桃色の花弁で一瞬、空気を桜色に染め――やがて、新緑が萌え、それが紅葉した。
 何も起こらなかったのようだった。けれど、地面に満ちた二種類の花が夢ではなかったことを物語っていた。
「――祝福と恵み、豊穣が絶えることの無きように」
 あたしが最後の祈りを告げると、薄紅色の光が一瞬辺り一面に降り注いだ。
 最後の、ハープの独奏が止んだ。
 ――終わった。
 あたしは息をついた。
 観衆は静まりかえり、暫くしてわっ、と歓声を上げた。

「ご苦労様でした」
 ヴィルヘルミーネさんはあたしとガウリイに静かに微笑みかけ、言った。
「どうしてあんなことが起こったのか――お知りになりたいですか?」
 あたしが尋ねると、彼女はゆっくりと首を横に振った。
「結構です。リナさんが歌ったから起こった奇跡――それでいいと思います。奇跡の種明かしはしてはつまらないでしょう?」
 あたしも笑った。
「そう言えば、ラスリアさんからお礼はお受け取りになっていらっしゃいますか?」
「ええ、もう。確かに金貨三十枚」
「あら?」
 ヴィラさんは怪訝な顔をした。
「わたくしは確かに彼女に貴女の分を含めて二百枚、お渡ししたのですけれど」

「ラ〜ス〜っ!」
 あたしはガウリイを引きずるように走って来て、勢いよく宿のドアを開いた。
 宿の主人が目を丸くしてあたし達を出迎えた。
「あんた方のお友達のご夫婦ならついさっき出発されたよ。頼まれてね、あんた達に出してやってくれっていう食事はもう準備してあるよ。あっちのテーブルだ。それとこの手紙を預かってた」
 主人はあたしに手紙を手渡した。
『リナへ
  お疲れ様。儲けさせてもらってありがとねん♪
  ま、食事はささやかながら感謝の気持ちよ。
   また会える日を楽しみにしてるわ。
 追伸 式を挙げることになったら絶対にあたし達の事探し出して呼ぶのよ。
    ガウリイさんがどれだけ、どんな風にリナのこと見てるか、ちょっとは自覚しなさいよね!』
 あいつはぁぁぁっ!
 変わらん。ぜんっぜん変わっとらん。
 ガウリイはもう、既に席についていた。
「おーい、食わんなら先食っちまうぞ」
「食べるわよっ!」
 メニューは小エビのフライにポークソテー、シーザーサラダにヌードルスープ、そして旬のニギタケの焼いたのやニギタケのお刺身。それとレシスジュース。
「いただきますっと。でもまー、流石に幼馴染みだな。リナの好きなもんばっかりじゃないか」
 あたしはぴたっ、とフォークを止めた。
「あたし、あんたに自分の好物話したことあったっけ?」
「見てりゃ判るさ。目ん中の幸せの量が違うし」
 ガウリイはニギタケをぱくつきながら言った。
 ラスリアの手紙の追伸が頭に蘇る。あたしは頭を振った。
「にしても・・・・・・あんた、随分加減して剣振るってたわね」
「判るか」
「判るわよ。あんたが本気で剣振ったらあたしにだって見えないもの。
 成る程ねー。そういう加減なんかもしなきゃいけなかったからあれだけ疲れてたって訳か」
 言って小エビのフライをぱくり。
「いつそんなの受けたのよ?」
「あれはラスの旦那さん・・・・・・ディントっていただろ?あいつが受けた仕事だったんだってさ。
 でもあいつは怪我して出来なくなったってんで、頼まれたのさ。
 なあ・・・・・・聞いて良いか?何だってあんな・・・・・・いきなり花が咲いたりしたんだ?」
「ああ、あれ?魔法よ。あたしの推論が当たっていれば、だけどね」
 あたしの謳った歌の歌詞は「混沌の言語」だった。それも構成から考えて、あれは恐らく神聖魔法。今まで考えたこと無かったけど、あたしが冥王フィブリゾを倒したことによって魔王の四人の腹心が張った結界は解けている。もうあれから神の力を借りた魔法が使えるようになっていたのだろう。
 お金が懸かる為長らく無視されていた決まりごとを守ったことなどが重なり、今まであの現象は起こっていなかったのだろう。それに、発動させて感じたのは膨大な魔力容量の必要。あたしでさえぎりぎりのようだった。術者にあたしと同等の魔力容量が無ければやはり発動は不可能だろう。
 そういったことをかいつまんで話した。
「成る程なー。オレにはあの時、リナが女神みたいに見えたけど」
 ・・・・・・こいつは時々こういう発言を恥ずかしげも無くしてくれる。
 と、ガウリイがあたしに1輪の花をよこした。
「あの神殿で貰ったんだ。やるよ」
 リファニアの花だった。ガウリイは微笑む。
「その花、何かお前さんに似てるだろ?」
『ガウリイさんがどれだけ、どんな風にリナのこと見てるかちょっとは自覚しなさいよね!』

 数日後。あたし達はラマリア・タウンを出発したが、近隣の村もあの神事の噂で持ちきりだった。
 何処から漏れたのか、あたしの名も出ていた。
 『あのリナ=インバースが奇跡を起こしたらしい』とか言われている。
 一番多かったのは『紅の歌姫と碧の舞姫が奇跡を起こした』という噂。
 これのおかげで、最近あたしの連れは機嫌が悪い・・・・・・