処方箋〜患者達の攻防 |
かつて、姉ちゃんが言っていた。 『恋の病ってのはね、簡単には治らないのよ。 治すには2つだけ。 諦めるか、手に入れるか』 あたしはそれを、一笑した。 そんなの、ただの言い伝えだと。 何の根拠もない、夢見る乙女だけが信じてる、くだらない迷信だと。 でも、今なら。 わかる気がする。 「………よし、行くか」 ――セイルーン首都セイルーン・シティの付近に位置する、名もない小さな村。 月明かりに照らされた宿屋の一室で、あたしは小声で呟いた。 備えつけのテーブルには、小さくたたんだメモ用紙。 中には――あたしの病気の、処方箋が書かれている。 そう。 これは賭け。 失敗は許されない、たった1回だけの、最初で最後の賭け。 ……結構、悩んだりもしたのだ。この賭けに出るには。 だけど、もうこれ以上、この病気を放置しておくわけにはいかなかった。 あたしはそっと、右側の壁を――その向こうで眠る、世界で1番大切な相棒を見つめる。 ガウリイ。 頭はくらげのくせに剣の腕だけは一流中の一流でしかも顔なんかめちゃめちゃ良いしなんだか意外にもしっかりしてるところもあるし。 ……何時の間にか。 単なる『旅の連れ』だったはずが、『なくてはならない相棒』となっていき、そして ――『大切な男の人』になっていた。 これって……好き、ってことなのかな……やっぱ……? ………い、いや、そんなこたぁ今はどーでもいいのよ。うん。 とにかく今は、ちょっと卑怯かもしんないけど、彼の気持ちを確かめることが先決っ! 「……って……誰に言い訳してんだか……」 思わず力ない笑みを浮かべるあたし。 そう。 本当はわかってる。 あたしは、この居心地の良い、曖昧な関係のままでいたいんだ。 たとえ、明日崩れてしまうかもしれない、不安定な関係だとしても。 本当は、あたしは、一線を超えるのが怖いんだ。 ……今のあたしを、姉ちゃんが見たらどう思うかなぁ? きっと、笑い飛ばされるんだろうな。 『何やってんだか』って。 それを想像すると、少し懐かしい気持ちになってくる。 この件に決着がついたら、故郷に戻るのもいいかもしれないな。 …………………………… …………………………… …………………………… ……言わないで……わかってるから。 こんな取り止めのない事をこの場に留まって考えているのは、ここから離れたくない からだ…って。 そう。 あたしは我が侭なんだ。 ガウリイを、賭けだの何だのと称して、実質試そうとしておきながら。 あたしは、この場所から、1歩も動きたくないんだ。 ガウリイがあたしの異変に気が付いて、この部屋に来て、あたしがここから離れられ ないようにしてくれるのを待ってるんだ。 ………ダメだなぁ……あたし。 ちっとも思いきりがつかないや。 ここまで来て……本当に往生際が悪い。 「…………行かなきゃ、ね」 ぽつりと呟く。 荷造りも済んだ。 整理整頓も済んだ。 だから、行こうと思えば、いつだって行ける。 でも行かないのは、仕掛人であるはずのあたしが、あたしの心のどこかが、行きたく ないと叫んでるから。 「……行かなきゃ……」 ――行かなきゃ―― 「……行か……なきゃ……っ」 ――行かなきゃっ! 涙が瞳から溢れ出す、その直前。 あたしは『レイ・ウィング』で、窓から夜空へと飛び出した。 ――目が覚めたのは、朝日の到来よりも早かった。 まだ暗さを残す空を寝惚け眼で見ながら、俺はベッドの上で身を起こす。 「………?」 ぼりぼりと頭を掻きながら、胸のうちにわだかまる何かに違和感を感じ取る。 何か――形容するのなら、そう、嫌な予感、とでも言うか……。 「………なんだろうなぁ………?」 こんな気分は久しぶりだ。 傭兵時代、一時のパートナーとしていろんな傭兵と手を組んでやっていた時があったが、 そのパートナーの1人を亡くした時もこんな気分だった気がする。 ………………… ……パートナー? 「――――リナ!」 俺は着替えもせずに、左隣の部屋――リナがいるはずの部屋へと向かった。 「ふぁぁぁぁ……眠ぅ……」 両側に木々が連なる街道を歩きながら、あたしは背伸びを1つした。 何しろあれから、夜通し飛び続けていたのだ。眠くなって当たり前である。 こしこしと目をこすり、ぼーっとする頭を2,3度小突くと、しっかりしろ、と言い聞かせた。 これからは、1人――独り、なんだから。 ……一時的である事を祈るけど。 と、その時。 「…………あの……リナ=インバース、さん?」 と、声をかけられた。 「へ?」 振り向けば、そこには戦士風の少女が1人。 「あ、あの、インバースさんですよね」 「………そうだけど………?」 事態がよく掴めぬまま、とりあえず答えるあたし。 そりゃああたしの名前は有名だろうけど……サインを求められるほど友好的な名高さではないし、それになにより、あたしは彼女に見覚えがない。 「あの……あなたは?」 「あ、申し遅れました。私、宮廷専属戦士の、メイア=ロックハートです」 そう言って、ぺこりと頭を下げる彼女――メイア。 「……って……宮廷?」 「あ、はい。セイルーン王室です」 ってことは…… 「アメリアの…?」 「時々隊長に命ぜられて護衛をさせて頂くくらいなんですが、いつもアメリア王女の話の中には、インバースさんが出てきてましたよ」 「そう……それであたしの名前知ってたんだ」 なるほどね。アメリアとは、かつて旅路を共にした仲間。あれだけ騒動起こしたあたしだ、 彼女の話のネタになるには充分だろう。 「……ところで、あの、あたしに何か?」 「あ……はい。あの、実に言いにくいんですが……」 と、メイアはそこで、懐から巻かれた紙を取り出す。 それを広げ、あたしに見せ―― 「……あの……上下逆」 「えっ!? あ、ほんとだ……えっと、あの……」 メイアは恥ずかしさを紛らわすかのように咳払いをしてから、上下をひっくりかえして、 改めてあたしにそれを見せつけた。 「…………………へ?」 そしてあたしは、あんぐりと口を開けた。 何故なら、その紙は――あたしの、手配書だったからだ。 「って何これぇぇぇぇぇっ!?」 「アメリア王女が直々に出された、あなたの指名手配書です」 「アメリア直々!?」 普通こういうものは、役所とかが出すものだ。それが1国の王女直々のお触れ!? 「それと同時に、私達宮廷専属戦士や魔道士達にも、命令が来たんです。 『リナ=インバースの身柄を確保せよ』と」 メイアが言い終えたその途端。 ざわりっ…と、気配が生まれ出た。 前に。後ろに。左に。右に。 ――いつの間にか、囲まれていたのだろう。あたしの周囲には、メイアを筆頭として、 戦士達がうじゃうじゃと並んでいた。 メイアはあたしに向かって、はっきりと告げた。 「――大人しくついてきて頂けますか? セイルーン・シティ王宮まで」 通された部屋は、来賓の客を通すような部屋だった。 少なくとも、指名手配犯を通すための部屋ではない。 ………にしても……アメリア、何考えてんだろ………? 今この部屋には誰もいない。とゆーことは、見張る必要がないということ。 ……まさか、ただ単にあたしと世間話がしたくて、指名手配したんじゃないでしょうね……? 「んなきゃないか……」 あたしはため息を吐くと、背もたれに身体を預け―― ふと……ある事に思い当たる。 ――何で――あたしだけなんだ? あたしは昨日、ガウリイから離れたばかりだ。アメリアもそれは知らないはずである。 なのに、一緒に旅を続けていると思われてるガウリイの名前は無く、あたしの事だけ が手配された――? ……いや、でも……まさか、ねぇ? でも、偶然にしては出来過ぎてる。 ――まさか―― かちゃっ。 ……ドアが開いた。 顔を向けたあたしの目に映ったのは―― 「リナぁ! お久しぶりですぅ!」 ……アメリアだった。 思わず安堵のため息を吐くあたし。 ガウリイが絡んでるんじゃないかと思った自分が、滑稽に思えてきた。 ……何で、自分の都合の良い方に考えるんだか……あたしのバカ…… 「……久しぶり、アメリア。 それで? 何であたしを指名手配なんかしたのよ?」 「実は……」 アメリアはあたしと向かい合わせの位置に座ると、あたしを睨みつけながら、 「ある人に頼まれたんです! リナ、良いですか? ガウリイさんの前から黙って姿を消すなんて、正義じゃあり ませんっ!」 「………えっ!?」 な、何でアメリアがそのこと、知って……!? と、驚くあたしに、さらに驚くべき事態が発生した。 ――かちゃっ…… 先程と同じ、ドアの開く音。 あたしはある予感を胸に抱きながら、恐る恐る、そちらの方を向いて―― 「…………予感…的中…………」 怒りのオーラをにじませたガウリイを目にして、あたしは思わず呟いた。 部屋の中では、気まずい沈黙が影を落としていた。 アメリアは『時間はいくらかかっても構いませんから、ちゃんと決着つけて下さいっ!』と言い残して、護衛の人達共々、この部屋を去っている。 つまり――この部屋には、あたしとガウリイだけ。 あたしは俯いたまま押し黙っているので、彼がどんな表情をしているのかはわからないが、 きっと怒っているのだろう。 ……ホラ……なんかひしひしと、コワいオーラがこっち来てるし…… 「…………………リナ」 ガウリイの声に、あたしはぴくりと肩を震わせた。 「リナ。こっち、向いて……」 有無を言わせない響き。 だけど……今、合わせる顔なんかない…… ガウリイを試した事への罪悪感もあるけれど、それよりも……あれだけ手の凝った置き手紙して、離れるのに相当悩んで。それで半日も経たないうちに捕まったんじゃあ……なんか……間抜けよねぇ…… あたしがそのままの姿勢でいると、ガウリイの動く気配がした。 ぽん、と、あたしの頭に何かが乗せられる。 「………ごめんな、リナ」 ガウリイはそのままあたしの頭を撫でながら、ぽつりと呟いた。 ……え? 「……何で……ガウリイが、謝んの……?」 顔を上げて、あたしはガウリイに問うた。 あたしてっきり、怒られるかと思ったのに。 ガウリイはにっこりと微笑むと、 「……手紙、読んだんだ。 ごめんな、俺………ちっとも気付かないで………」 「………へっ………?」 「リナが、病気だって事……俺、いつも一緒にいたのに、ちっとも気付かなかった……。 自分で自分が、許せなかったよ。俺自身に怒りを感じた。 もちろん、それで充分なわけじゃない……俺はお前を苦しめてたんだろ? だから、ムシのいい話かもしれないけど……俺は、お前さんを、俺の手で治してやりたい。 ……お前さんと離れたくないんだ…… ……手紙に書いてくれたろ? 『大好き』って」 「う゛……いや……その………うん」 真っ赤になって答えるあたし。ンな事、改めて言うんじゃないっ! 「……それ見て……俺、何て思ったと思う? 『嬉しい』としか思えなかったんだぜ? リナが病気だって事知った後でも、そうとしか思えなかった。 ……だから……離れる、なんて言うなよ……! お前さんの病気がどんなモノかなんて知らない。聞いても多分、それがどんな病気で、 俺から離れる以外どうすれば治るのかなんて、きっとわからない。 だけど―― 俺はお前の傍にいたいんだ。 俺の、完璧な我が侭だけど……お前さんにとっちゃ、いい迷惑なだけだけど……頼む ……俺から離れないでくれ」 「………………」 ……ひょっとしてガウリイ……あたしが手紙に書いた病気の事を、不治の病だとでも思っちゃってるんじゃ……? あれ、一応、その……『恋の病』っつーコンセプトで書いたんだけど…… ……………でも…… なんか…すごく…嬉しい、な。 あたしの事、真剣に心配してくれてるんだ……。 ………これって、賭けに勝った、って事だよね。 じゃあ――もう…終わりにしても、良いよね……? 「………ごめんね、ガウリイ」 「え?」 「あたしね、病気なの。 あんたから離れる以外に、この病気を治す方法はない。 ――だけど―― あんたがあたしのものになってくれるなら……あたしがあんたのものになっても良いのなら……この病気は、治るんだよ」 「え――それって……?」 面食らったかのような表情のガウリイに、あたしはぺろりと舌を出して言った。 「『恋の病』って、知ってる?」 「『恋の病』って、知ってる?」 ―――ああ。知ってるさ……。 お前はもともと、そのつもりであの手紙を書いたんだろう? 「……鯉の山井……?」 「違うわぁぁっ!」 ―――俺が気付かないとでも思ったのか? あの夜、俺はお前が泣きながら夜空に舞う姿を、『綺麗だなー』って思いながら見てたんだからな。 「だいたいねぇ、あんたには情緒ってもんがないのよ! 少しは何か芸術にでも触れて、『綺麗だなー』とか思う、そーゆー感受性育てたらどう!?」 「いやぁ、俺ってそーゆーの向いてないし」 「朗らかにゆーなぁぁぁぁ〜っ!」 ―――ああ、でも、あれは気付かなかったな。 お前が俺を好きでいてくれてたって事……あれには驚かされた。 「いいじゃんか。そのぶんリナが、俺をフォローしてくれるだろ?」 「………しっ……仕方ないわねっ。 フォローしてあげるわよ!感謝なさい!」 「謝謝♪」 ―――お前は……気付いてないのか?――― 「あ、そうだ……アメリアに、報告してこなきゃ。きっと待ち構えてると思うから……。 ガウリイ、ちょっとここで待っててね。あたし行ってくる」 「おう。気をつけてな」 ―――たとえ1秒だって……俺がお前から目を離してる時なんて、無いって事……――― <おわり> |