妖精の輪









「お兄さん、ガウリイって名前じゃないかい?」
 その声にあたしと連れは振り向く。確かにそれはあたしの連れの名前だ。
 そこには恰幅の良い、人の良さそうなおばちゃんが立っていた。
「ああ、それはオレの名前だけど?」
 そのガウリイの返事におばちゃんは頷く。
「ああ、やっぱりあの時の子かい。大きくなったもんだ。
 覚えてないだろうねぇ。昔、アリシアさんに世話になったんだよ」
あたしとガウリイは顔を見合わせた。アリシアさん、というのはガウリイの亡くなったおばあちゃんの名前である。
「あんた、昔アリシアさんとここに来てたの?」
「う〜ん・・・・・・覚えてないなぁ」
「やっぱり覚えてないかねぇ。ガウリイちゃんはそりゃあ美味しそうにあたしのつくったレモンパイを食べてくれてたもんだけど」
「レモンパイ?」
 ガウリイの表情が微妙に変化する。
「アリシアと・・・・・・ああ、思い出した。『銀月亭』だったっけ?」
 食べたものから思い出すなんて、こいつらしいと言えばこいつらしい。
「そうそう、そうだよ!嬉しいねぇ、覚えててくれたなんて。
 アリシアさんはどうしたんだい?ああ、もう大きくなったんだ、一人立ちしたってことなのかい?」
 ガウリイの表情が目に見えてはっきりと曇った。
「アリシアは・・・・・・死にました」
 おばちゃんは驚きに目を見開いた。
「どうして!まだあんなに若かったじゃないか」
 ん?
「そうかい・・・・・・惜しい人を亡くしたね。あんたのお母さんだったんだろ?」
 はぁ!?
「いえ、アリシアは・・・・・・オレの、祖母です」
「冗談も大概にしておくれ。どう見たってアリシアさんはあの当時十代後半くらいだったじゃないか」
 えっ?
「いや、その・・・・・・アリシアは、エルフだったんですよ」

「聞ーてないわよっ!」
「何が?」
 ガウリイは手に持っていたグラスの中身を呷る。かららん、と氷が鳴る。
「アリシアさんのこと!エルフだったなんて」
「いや・・・・・・聞かれなかったし」
「ま・・・・・・あ、そ、ね」
 あたしは少し落ち着いて椅子に腰を下ろす。
 あの後。アリシアさんに受けた恩を少しなりとも返したいというおばちゃんの熱心な勧めで、あたし達は『銀月亭』に泊まることにした。
 珍しくガウリイから誘われて、あたしは今、酒場にいる。
「折角飲みに来たんだし、お前さんも何か頼めよ」
「珍しーわね。あんたがそんなこと言うなんてさ。
 ・・・・・・何か、良さそうなのある?」
「これとかどうだ。杏のやつ」
 あたしはそれを使ったカクテルを頼む。酒場のバーテンダーは黙って頷き、作り始める。
 ガウリイは何も言わない。あたしも何も聞かない。
 薄いオレンジ色のカクテルがあたしの前に出された。馨しい香り。ひとくち舐めると、芳醇な甘い味が舌先を刺激する。
 しばらくガウリイとあたしは黙って酒を飲み続けた。黙々と。一言も発さず。
 ガウリイは結構お酒を飲むけれど、大体の場合あたしには飲ませない。そもそもあたしが飲むのをあまり快く思っていない。飲みたい時は一人で黙って飲みに行く。だからこんなのは本当に珍しい。
 いつもはかぱかぱいいペースで飲むガウリイが、今日はちびりちびりと飲んでいる。目はずっと杯から離さない。時折、ふっと視線をそこから逸らして遠い目をする。何か考え込むように、遠い昔を思い出す様に。
 ちく、たく、ちく、たく、とカウンターの横の柱時計が時を刻む。その音が妙に耳につく。
 言葉を交わさない分、ガウリイとは対照的にあたしの飲むペースは早くなる。それにも彼は気付かない。グラス四つをあけた頃、ガウリイはようやくあたしに目をやって、ぎょっとした顔をする。
「おっ・・・・・・お前さん、ちょっと飲み過ぎだぞ」
「大丈夫よ」
 おし。今回は呂律も回ってるし。
 ちょっと耳たぶのあたりがあったかいけど・・・・・・
 柱時計が真夜中を告げる音が酒場に響いた。
「ね、さっき『聞かれなかったし』って言ったでしょ?」
「ああ」
「じゃあ・・・・・・聞いたら、答えてくれる?」
 酒精の力を借りて。普段は聞けない聞きたい事を尋ねてみる。舌がいつもより滑らかに回っているのが判る。でも止める気にはならなかった。
「何で、そんな小さい時にアリシアさんと・・・・・・おばあちゃんと二人で旅に出たの?」
 ガウリイはグラスを呷るのをやめた。真剣な目をした。
「その話をするなら・・・・・・オレの部屋でもいいか?」
「いいわ」
 もっと、ガウリイを知りたい。

 『銀月亭』に戻る。酔っている所為か、おばちゃんが意味ありげに笑っているのに気付いても気にならない。
 ガウリイは部屋に入ると真っ直ぐに窓際に歩いて行って、窓枠に腰掛けた。今日の夜空に架かっているのは、この宿の名のような細い細い銀色の爪月。あるのは淡い光だけ。それを背にしたガウリイの表情は陰になり、見えない。
「ランプは、つけないでくれ。――このままで」
 ランプに明かりを灯そうとしたあたしにガウリイは言う。
「そこの椅子に座れよ。少し、話が長くなる」
 あたしはガウリイから少し離れたところにある椅子に腰掛ける。まだ酔いは醒めていない。体のそこここが暖かく、火照っている。
「酒を・・・・・・飲みながら、話す」
 ガウリイは窓の傍に置いてあった葡萄酒の瓶を見せ、言った。それは、ここのおばちゃんが置いて行ったものだ。ここの地酒だと言っていた。
「いいけど、あたしにもくれる?」
 彼は頷くと、二つのグラスに注いで、そのひとつをあたしに差し出した。
「どれくらい、お前さんに話してたっけな」
 あたしはグラスを傾けつつ、答える。これは、いつもあたしが飲んでいるものよりも少し辛口めだ。
「ガウリイのおばあちゃんがアリシアさんっていうこと。あんたが小さい頃からアリシアさんと旅してたこと。それから、そのアリシアさんが旅先で病に倒れて亡くなったっていうことくらいよ」
「そうか」
 彼はグラスに口をつけない。香りを嗅いでみたり、グラスを掲げて月明かりに透かしてみたりするだけだった。
「オレの生まれた家は、代々剣術に秀でた家系だった。まあ、『光の剣』があったからな。男も女も関係なく剣術を仕込まれた。『伝統』だの『血筋』だのを重んじる良くある家だよ」
「・・・・・・」
「オレの住んでた街はその辺りでも結構大きな都市だった。でも、街中の人間が知り合いだった。その街の人間の半分以上はうちの家の一族だったんだ。そして、うちは本家だった」
 月の蒼い光は、ガウリイの白い肌を一層青白く見せていた。
「・・・・・・」
「一族の人間は、その街に住んでいるんなら皆知ってた。そりゃあ毎年、年始めには顔見せがあるからっていうのもあるけど、うちの一族には一見して物凄く判り易い特徴があったんだ」
 ガウリイは淡々と語る。その手の中のグラスは未だ口を付けられぬまま葡萄酒をたたえている。
「うちの一族はな、代々みんな赤銅色の肌に黒髪、黒い瞳だった」
 外から冷たい風が吹き込んだ。ガウリイの、長い金色の髪が揺れる。
「結婚相手も大体いつも一族の中で見つけていたし、うちの一族の特徴は遺伝しやすいのか、外部の人間と結婚しても、子供はいつもその特徴を持って生まれてきた。現に、うちのばあちゃん・・・・・・アリシアは銀髪に紫の眼だったけど、アリシアとうちのじーさまの間に生まれたオレの親父だって赤銅色の肌に黒髪、黒い眼だったしな」
 あたしは、陰になって見えない彼の顔の中に蒼い瞳を探す。あの、優しい両の目を。
「うちの母親も、やっぱり一族の人間だった。一族の外見を受け継いだ人だった。オレは、一族の迷信深い人間には『妖精の取り替えっ子』って言われて嫌われた。一族の、そうではない人間には『母親の不義で生まれた子供』と言われた。――その時は理解してなかったけどな。意外と覚えてるもんだぜ。後でしっかり意味も理解した。それにオレは昔から勘が良かった。その言葉に含まれた嫌な感じだけは伝わった」
 ――ごめん、ガウリイ。ごめん。もう、言わなくていい。話さなくて、いい。
「オレはただ愛して欲しかった。居場所が欲しかった。ここにいていいんだと言って欲しかった。だから死に物狂いで剣の道に打ちこんだんだ。一族で重んじられているそれにおいて優れていれば認められるんじゃないかと思ったから」
 あたしは何も言えなかった。言葉を発する代わりに、ガウリイから視線を外さずに聞いていた。
「うちの母親は優しいひとだった。とてもそんな不義密通なんてする人じゃなかった。誰にも似ないで生まれてきたオレにも優しかった。
 父親も真っ直ぐなひとだったよ。でも、多分駄目だったんだ。
 オレには上に七歳年上の兄貴が一人いる。一族特有の容姿を持っている人だった。彼は小さい頃からオレが誰にも似ていないことが不思議で堪らないみたいだった。
 オレは頑張って頑張って、その兄貴を剣の腕では越えた。
 けどな、判っちまったんだよ。父親は、決して兄貴とオレを同じ目で見てくれやしないって」
 小夜鳥が遠くで鳴くのが聞こえた。近くでは、時計の針が動くのがいやに大きく響いている。
「親父は――多分、疑ってた。オレが、一族の容姿じゃないって言ってもばあちゃん譲りの銀髪に紫の瞳でさえないオレが、誰にも似ていないオレが本当に自分の子なのか。
 オレは剣の腕を磨けば一族に認められるかと思っていたけど、現実には兄貴を抜いたことは責めるような目で見られただけだった。
 そうしてオレが七歳の時――オレを愛してくれた母親は自ら命を絶った。あの光の剣で。刃をつけたままのあれで自分の胸を貫いたんだ。多分――周囲の陰口に耐えられなかったんだろうと思う。母親は優しいけど、脆いひとだったから」
 夜の空気は冷たくあたしの頬を冷やした。酔いが醒めてきたらしい。あたしは体を暖めるために葡萄酒を一口飲んだ。
「オレは――母親の葬儀に参列すらさせてもらえなかった」
 淡々と。淡々と彼は語り続ける。
「そんな頃にアリシアに会った。母親が死ぬちょっと前にじーさまは死んでいた。アリシアも、やっぱり一族の中では鼻つまみものだった。彼女がエルフだっていうただそれだけの理由で。そんなアリシアの方もうちの一族のことは好いていなかった。アリシアが好きだったのはじーさまだけだったけど、逆に言えばじーさまは好きだったから結婚したし、あの街に居たんだろうな。
 彼女はその時もう百三十歳だったけど、オレの母親よりもずっと若く見えた。
 会ってすぐ、こう言われた。
 『うちの旦那はもういない。あの人がいないならもうこんなところに用は無い。あたしは旅に出るけどあんたはどうする?ずっとここに閉じ篭るの?』
 アリシアにしたらオレを連れて行く義理なんか無い訳だから、不思議だった。今思っても生意気だけどな、オレはこう答えた。
 『同情ならいらない』
 そうしたらすぐに彼女に言われた。
 『馬鹿じゃないの?同情なんて安っちいもんであんたみたいなお荷物連れて歩けないわよ』
 それから『行きたくないんなら置いてくわよ』とも言われたな。
 オレはもうここで愛されることは諦めてたから、言った。
 『お荷物なんて言わせないからな』
 で、ほとんど身一つでアリシアと家を出た。親父も一言も言わなかった。
 誰にも見送られず、二度と戻らないと思いながら門の所まで来た時、そこに兄貴が立ってた」

 夜だった。寒い夜だった。月も出ていなかった。
『もう、戻って来ないつもりなのか?』
 オレは答えなかった。
『俺は――正直、お前が嫌いだった。剣のことにしても。ずっと妬ましかった』
 オレは兄貴の顔を見た。初めて真っ直ぐ彼の目を見た。
『でも解ってる。なあガウリイ――母さんが死んだのは、お前の所為なんかじゃないからな』
 オレは泣いてた。ぼろぼろぼろぼろ、涙を零して。
『もう戻らないなら――頼みがあるんだ。これを、持って行ってくれ』
 渡されたのは『光の剣』だった。
『――!これはうちの家宝じゃないか!』
『いいんだ。俺はこれをもう見たくない。うちの一族が変に誇り高くてこだわっているものの、これは象徴だよ。無い方が良いんだ。それに、飾っておいても仕方ない。お前が使え』
 兄貴は苦笑した。
『もしかしたら、これが一番残酷なのかもな。
 この剣がある限り、お前はうちの一族を忘れない。母さんの死を、忘れないからな』
 オレは言った。
『これが無くたって――どっちみち、忘れられやしないよ。――ありがとう』
 兄貴とも、うちの一族とも、その街ともそれっきりだ。
 出てく時に、門を出る時にアリシアが
『あんたは――あんた達は、あたしの大事な息子の子供で、あたしの大事な孫なんだからね』
ってオレに言ったのを良く覚えてるよ。
 それからアリシアとは五年間旅をした。色んな物を見た。本当に、本当に楽しかったんだ。

「――これで、オレの昔話は終わり」
 彼は、紅い血のような色をしたその葡萄酒を勢い良く飲み干した。
 そうして窓枠から降り、窓を閉めてカーテンを引き、ランプを灯す。それは、暖かい光を辺りに投げかける。さっきまでの冷え冷えとした部屋とは違う場所のようになった。
「この葡萄酒旨いな。折角の酒だし、一緒に飲もうぜ」
 ――話させて、ごめん。聞いてごめんね。
 そう、思うけど声には出さなかった。だって、言えばきっと、もっと彼を傷つける。
「いつもは飲むなって言うくせに」
「酒場では、な。ここにはオレしかいないからいーの」
 それはどういう意味?
「う〜ん、これ、美味しいんだけどあたしにはちょっと辛口かも」
「オレはこんくらいの方が好み。女は甘口の方が好きだよな」
 アリシアも、そうだった、と。彼は囁くように呟いたが、エルフ並みと言われるあたしの耳はそれをはっきりととらえていた。
「ねえ、ガウリイは居場所が欲しかった、って言ったけどさ。今はもう、あるでしょ?」
 あたしは微笑って、彼の目を見た。いつも通りの優しい、穏やかな蒼い瞳がそこにある。
 深呼吸して、一息に言った。
「あんたの居場所はあたしの隣りよ」
 それだけ言うと恥ずかしくなって、あたしはグラスを持ったまま窓際に駆け寄った。
「ありがとな、リナ」
「なっ、何がよ」
「今日、酒を飲んでた時、黙って隣りに居てくれて。
 オレの話を聞いてくれて。
 オレの居場所があるって言ってくれて。
 オレに――居場所を、くれて」
 あたしは黙り込む。口を開いたら、泣いてしまいそうだ。
「なあ、もっと甘い酒、飲ませてやろうか」
「あるの?」
 あたしは振り向いた――ら、すぐ後ろにガウリイが居た。
 彼の顔が素早くあたしに近付いて離れた。かすめるように、盗むように。
「何する――っ!」
「甘くなかったか?」
 彼は悪戯っ子の笑みを浮かべていた。あたしは何だかほっとしてしまって、笑いだした。
 ガウリイが葡萄酒の瓶のラベルを読んで、また微笑った。
「ああ、だからあのおばちゃん、これ飲んでくれって言ったのかな――」
 この葡萄酒の名は、『紅い目をした幸福』と言った。

 翌日、おばちゃんが話してくれた。この葡萄酒はおばちゃんの実家のワイン農家で作ったものである事。これを初めて作ったのはガウリイとアリシアさんが来た年で、アリシアさんがその時起きた事件を解決しこの酒の開発に一役買った事。その時、おばちゃんは恩人のアリシアさんに葡萄酒に名を付けてくれるように頼んだ事。では、この奇妙な名を付けたのはアリシアさんなのだ。
「アリシアさんは言ってましたよ。これは、いつかこの子に訪れるものなんだって。ガウリイちゃんの頭を撫でてねぇ・・・・・・」
 おばちゃんはそう言ってあたしの目を見た。

 街道を歩きながら。ガウリイがぽつりと言った。
「思い出した・・・・・・アリシアは口癖の様にオレに言ってた。『あんたの幸せは紅い目をしてるからね。見逃すんじゃないわよ』って・・・・・・どうして忘れてたんだろう」
 あたしは黙って歩調を早めた。顔が火照っていたのはきっと二日酔いだ。そうに決まっている。

 ――昨日飲んだ葡萄酒の最後のひとくちは、あたしが今まで飲んだどんなお酒よりも甘かった――