Lovers Only









 祭りの喧騒をかき分けてあたし達は歩いていた。実際のところ、もうへとへとだ。
 この街に来たのはこの祭りがあったから。
 例によって、ガウリイの記憶を頼りにここまで来たのである。
 この街の祭りは仮装をした人間が行列を成して練り歩いたり、山車に乗って進んだりしつつ、キャンディやらチョコレートやら、時折それに混じって小銭や花を投げてよこすというもの。それを遠巻きにするように屋台が立ち並び、温めた葡萄酒を出す出店が軒を連ねる。子供達は菓子を受け止める為に行列のぎりぎり近くまで行って並んで見ており、大人達は杯などを手にそんな子供達や行列を目を細めて見ている。
 あたし達は勿論後者。シナモンやレモンを浮かべて温め香りを移した葡萄酒のコップを片手に、焼き栗や、魚とポテトのフライに飴炊きにしたナッツ、幾つも焼いた小さなパンケーキに粉砂糖を振ったものやソーセージなんかを平らげつつ仮装行列を眺めていたのだけれども。
 あたし達の失敗はすぐに宿を取らなかったこと。いや、もしかしたらすぐに行っても駄目だったかもしれない。
 宿はどこも祭りの客で一杯。全然空きの部屋が無い。さっきから宿を探して歩き回っていた為、くたくたになっているのである。
「これじゃあ・・・・・・外で野宿するしかないかしらね」
 溜め息混じりにあたしは言った。この街に辿り着くまで、もう五日間野宿している。ようやっとあったかいお風呂とふかふかのベッドにありつけると思ったのだが。
「でも・・・・・・お前さんも、風呂とか入りたいんじゃないのか?」
「そりゃあね。でも部屋が空いてないんだからしょうがないでしょ」
 ガウリイはしばらく黙り込んだ。ややあって、躊躇いがちに言った。
「風呂に入れてベッドが有れば、多少のことには目を瞑れるか?」
「うん」
「わかった。じゃあ、若干心当たりが有る。付いて来いよ」
 彼が苦い顔をしているのには気が付いていたが、お風呂には入りたいしベッドで寝たい。あたしは勢い込んで頷いた。彼の後に付いて歩く。
「どいとくれ!」
 大荷物を抱えて歩くおばちゃんがあたしやガウリイ、沢山の人にぶつかりながら歩いていく。押し合いへし合い、沢山の人が歩いている。そもそもパレードがかなりの場所を取っている上に子供がそのパレード沿いに並んでおり、なおかつ屋台まで出ているのである。歩行スペースはかなり狭い。それに加えてこの人だ。
「ママ、ママぁ」
 よそゆきらしいワインレッドのワンピースを着た栗色の髪の少女が泣きながら歩行者にぶつかっている。母親とはぐれたのだろう、人の流れとは逆方向に歩いているから人にぶつかりつづけな上に、全然前に進めていない。
「リナ、もうちょっと余分に歩くことになるけどいいか?」
 ガウリイの考えていることなんて簡単に判る。あたしは肯いた。
「いいわよ。あの子でしょ」
 あたし達は人込みの中を泳ぐようにして少女の元へ辿り着いた。
 ガウリイが彼女の肩にとんとん、と触れた。紫の、涙で一杯になった眼がこちらを見た。
「おい、お嬢ちゃん。迷子か?」
「まいごじゃないもん!」
 むきになって言う少女。う〜ん、あたしも小さい頃こんな感じだったなぁ。
「ママとはぐれたんだろ?」
「・・・・・・」
「一緒に探してやるよ。ママ、どんな服着てた?」
「・・・・・・あたしのふくとおなじいろのワインレッドのスーツ・・・・・・」
「髪型は?」
「・・・・・・あたしとおなじいろのかみ。ながいの」
「分かった。んじゃ、乗っかんな。肩車してやるから。上から見えたらどっちにいるのか言いな。オレも見えたらそっちに行くから」
 少女はこっくりと頷くとガウリイの肩に乗った。
 しばらくうろうろとして。
「あ、いたっ!」
「どっちだ!?」
「みぎ、みぎだよっ!」
「食事の時ナイフ持つのが右だぞ?」
「そんなのしってるもんっ!しつれいしちゃう」
 右の方へ歩いて行くと・・・・・・見えた。艶やかな栗色の長い髪、秋らしいワインレッドのスーツ。
「ママぁっ!」
 彼女が振り向いた。そして、驚いた顔で叫んだ。
「リナっ!」
 ・・・・・・へ?
 少女はガウリイの背中を器用に滑り降りる。そして駆け出す。
「ママ、ママぁっ」
「どこ行ってたのリナ!心配したわよ」
 勢い良く駆け寄ってくる少女を女性はしっかりと抱き止める。
 あー、つまり。あの子もリナって名前なのね。
「あのね、あのね、あのおにーちゃんたちがいっしょにさがしてくれたの」
 その母親は顔を上げ、こちらを見た。綺麗な紫の眼をしていた。
「ありがとうございます」
「おにーちゃん、おねーちゃんありがとぉ」
 二人は深々と頭を下げる。
「いえ、そんな」
 そして彼女達は人込みの中に姿を消した。今度はしっかりと手を繋いで。
 あたし達も歩き出した。
「かわいかったなぁ、あの子。ちょっとリナに似てたな。同じ名前だし。
 お前さんも小さい頃はあんな感じだったのか?」
「そうね。結構生意気だったわよ」
「ああそれは言われんでも判る」
「何よそれ!」
「母親の方も似てたな」
「ああ、良く似た親子だったわね」
 日が翳ってきている。じきに日も暮れるだろう。
「いや、お前さんに」
 え?
「お前さんもあんな風に『母親』になるのかな」
 ・・・・・・この男は、どういうつもりでこんな話題を振ってくるのだろうか。
 あたしが答に窮しているうちに、あたし達はガウリイの言う『心当たり』に辿り着いた。
 う〜ん・・・・・・普通の宿に見えるんだけど。
 まあちょっと柄の悪い場所ではあるけど、このぐらいの宿に泊まったことだって何度もある。ガウリイがあんなに渋い顔をする理由が解らなかった。
 入ると、中は薄暗かった。宿の作り自体も多少粗末と言うかボロいようだがこれぐらいは許容範囲内だろう。
 ガウリイは宿帳に記名し手際良く部屋を取る。
「部屋、二つね」
「え、何でですかぁ?」
 カウンターに居た女の子が怪訝そうに尋ねた。
 ?別に普通じゃないの?良くあることだと思うけど。
「いいの。とにかくふた部屋な」
「はい。じゃあ、お部屋のお風呂にお湯を張らせていただきますから、少しの間だけロビーで待ってて下さいね」
「え、各部屋に浴槽があるの?」
 あたしは尋ねた。宿屋の風呂は大浴場か温泉、どちらにしても共同なのが普通である。
「はい。何人かで桶にお湯を入れて運びます」
 女の子が用意の為に立ち去ると、あたしはロビーのソファーに腰掛けるやいなやガウリイに尋ねた。
「ちょっとガウリイ、ここやけにサービス良いけど、あんたが渋ってたのって料金高いから?」
「いや。むしろ安い」
 ・・・・・・じゃ、何で?
 暫くして、さっきの女の子が呼びに来た。あたし達に鍵を手渡す。
「14号室と15号室です」
 ガウリイはまだ苦い顔をしていた。
 部屋の前まで来ると、彼は言った。
「リナ、悪いことは言わんから、今夜は風呂入ったら早々に寝ろ」
「寝ろって・・・・・・」
「いいから。あ、そうそう、夕食は外でにしようぜ」
「それはいいけど」
「じゃ、後でな」
 ・・・・・・変なの。
 あたしはぱたりとドアを閉めた。そして絶句した。
 ごてごてとピンク。どこまでもピンク。
 この部屋は全てのものがピンクだった。
 レースのカーテンはベビーピンク。今は閉められていない夜用の遮光カーテンはチェリーピンク。敷かれた絨毯は落ち着いた色ではあるものの真紅。部屋の奥のカフェテーブルもやはり淡いピンクだし、それに敷かれたテーブルセンターはサーモンピンク。ベッドや枕のカバーは全部お揃いのパウダーピンク。こんなにピンクに種類があったのかと思うほどのピンクの洪水。ピンクの見本市だった。
 彼があんなに嫌がってたのはこの趣味の悪い部屋が原因だろうか。あたしも寒気がしてきた。
 ・・・・・・ん?
 ふと気付いた。ベッドがダブルベッドだ。あの女の子が間違えたのかな?
 しばらくくつろいでいるとノックの音がした。
「おい、リナ。食事に行こうぜ」
「ん、わかった」
 あたしは外していたマントを着けてドアを開けた。

「ん〜っ、お腹いっぱいっ」
 食事を終えて食堂を出る頃には、もう、辺りは暗くなっていた。冷たい風が吹いている。――冬が近い。葡萄の時期なんて過ぎようとしていた。ゼフィーリアに葡萄の時期に着くとするなら、それは次の葡萄の収穫期だろう。
「冬が近いな」
 同じことを考えていたらしい。ガウリイがそう言った。
「そうね」
「ダルマストーブを出す時期だな」
「うるさいわねっ、寒いんだからしょうがないでしょっ!」
「・・・・・・誰もリナのことだなんて言ってないぞ?」
 からかう様にガウリイが笑って言う。
 また、風が、吹く。
 あたしはマントの前を掻き合わせた。
「うぅっ、寒さむっ。だから宿の食堂でご飯にすれば良かったのに」
「・・・・・・いや・・・・・・ちょっとなぁ・・・・・・」
 ガウリイは言葉を濁した。どうも、さっきから様子がおかしい。
「何なのよ?」
「いや・・・・・・大したことじゃない。今日は早く寝ろよ。疲れただろ?」
 ・・・・・・なぁーんか、おかしい。

「うぁうっ、さぁーむーい」
 あたしはばたばたと部屋に駆け込むとマントをドアの横のクローゼットに掛けた。
 こんこんっ、とノックの音がする。
「はぁい、誰?ガウリイ?」
「宿のものですぅ。お風呂、どうなさいますか?準備致しましょうか?」
 ドアを開けると、チェック・インの時にカウンターにいた女の子がそこに立っていた。
「ああ、そっか。じゃあ、折角だしお願いしようかな」
「畏まりました。すぐに何人かでお湯をお持ちしますので」
あたしは嬉しくなってきた。久し振りにひとりで温かいお湯に思う存分漬かれると思うと心が弾む。
「あ、そうだ」
 あたしは彼女を呼び止めた。
「ここダブルベッドよ?部屋を間違えたの?」
 女の子が唖然とした顔であたしを見た。
「――ここ、ダブルしかありませんよ」
「はぁ?」
「・・・・・・すぐ、お風呂の支度しますからっ、それじゃあっ」
 彼女はそそくさと去って行った。――あたしの疑問は深まるばかりだった。

「はぁーっ・・・・・・きもちい〜・・・・・・」
 ぽちゃり、と天井で結露した雫が湯船に滴り落ちてくる。てのひらで泡立てた石鹸はあまいカモミールの匂い。疲れた体に染み込むようだ。手でお湯を掻き混ぜて体を温めながら考える。
「どうして機嫌悪かったんだろ・・・・・・」
 一日散々歩き回った体は、湯船に漬かると一斉に余力を吐き出して、その代わりに疲労感が染み渡っていくようだ。自分の体がスポンジになったみたいな気がした。
 洗ったばかりの長い髪が湯の中をさらさらと動く。こちらもカモミールの香りがする。宿の特製シャンプー。
 あたしは体を起こして湯船から出た。お湯をたっぷり吸った髪は外気に触れて急速に冷たくなってゆく。冷えきる前に早く水気を拭かなくちゃ。
 タオルで髪を、それから体を拭く。バスタオルを体に巻いたままの姿であたしは浴室を出て部屋のクローゼットの方へ行った。宿の備え付けのパジャマを着る為だ。
 長旅に大荷物は禁物。それでなくても魔道士は魔法の道具や何かを持ち歩かねばならないのだから余計なものは持って歩けない。普段の服だって予備は一着。宿に泊まるたびにしこしこ洗っているのだ。パジャマは大体宿に備え付けのものがあるからそれを着ている、の、だ、が――
 あたしは絶句した。
 クローゼットの抽斗を開けて一番最初に見えた服は――これまたピンク。淡い桜色のもの。
 それはいいとして――それが薄く透けるレースも艶やかなスリップだというのはどういうことか。
 あたしが固まったその時。隣室から物音がした。ガウリイのいる方じゃない。逆隣だ。
 壁は薄いようだ。何かがきしむような音。間断なく、それが、続く。それから――女の、悲鳴ともうめきともつかぬ声が絶え間なく、聞こえる。
 ・・・・・・えーっと・・・・・・
 つまり、ここは――所謂、『連れ込み宿』というものらしい。
 ・・・・・・・・・・・・寝よう。早く寝よう。
 あたしはさっさとそういう結論を出した。それはいい。だが――服は?
 くしゃんっ、とあたしは小さくくしゃみをした。
 やばい。冷え込み始めた今の時期、このままでは確実に風邪を引く。他に着るものも無く、仕方無しにあたしはそのスリップドレスを身に付けた。
 あ・・・・・・着心地良い。
 さらさらとしたシルクの肌触り。『連れ込み宿』の備え付けの寝巻きとしては最上級のものと言えるのではなかろうか。気持ち良さ過ぎておかしな気分になった。
 ひくしゅん、とあたしはもうひとつくしゃみをする。それはそうだ、スリップだけでは寒いに決まっている。あたしはその下に入っていた男物のパジャマを上に羽織った。只でさえ小柄なあたしにはあまりにも大きかった。袖がかなり余るし、ワンピースのようだ。
 気にするのはやめる。
 明日以降の為に服を風呂の残り湯で洗い、ハンガーに掛けて部屋に干す。生乾きの髪を、鏡台に向かってブラシで梳かしているとノックの音がした。
「・・・・・・起きてるか?」
 ガウリイの声。
「起きてるわよ。待って、今開けるわ」
 あたしは余り考えず反射的にそう答え、鍵を開けて扉を開いた。
「おー。土産。ここで今年漬けた苺酒だってさ。甘くて口当たりも良いみたいだし、今日は冷えるから寝る前に一口飲めば良く眠れ――」
 そう言って言葉が不自然に途切れる。
「何よ?」
 言いながら黙り込んだガウリイの視線を辿り――たった一瞬――何時間にも思える一瞬――沈黙、して。
「うぁっきゃぁぁぁっ!」
 あたしは我に帰り自分の肩を抱いてしゃがみ込んだ。
 そう。
 あたしはスリップの上に男物のパジャマを羽織っただけの姿のままだったのだ。多少時間が経ち、慣れて何を着ているのか忘れて出てしまったのである。ガウリイの視線の先に有ったのは、服が大きすぎるが故にあたしには広すぎるパジャマの襟ぐりから覗く、あたしのスリップの胸元だった。
「あー・・・・・・」
 ガウリイの困ったような途方に暮れたような声にあたしはその姿勢のまま顔だけを上向ける。彼はいつも通りの『保護者』の顔であたしを見ていた。
「寒くないか?」
「っ・・・・・・寒いわよっ!」
 あたしは何を怒っているんだろう?
「その姿勢のままでいいから」
 ガウリイはしゃがみ込んだあたしの前に酒瓶を置いた。
「オレが部屋に入ったら立ってそれ持ってお前さんも部屋に戻れよ。寒いんならそれ飲めば少しは暖まるだろ」
「・・・・・・そーね」
 あたしはどういう反応をして欲しかったっていうの?
「じゃ、な」
 ガウリイはあたしの頭をくしゃりと撫でて立ち上がり、隣りの部屋のドアを開け――そして、振り返って言った。
「リナ――・・・・・・ちょっとは気を付けろよ?オレだって一応・・・・・・その・・・・・・男、なんだからな?」
 扉が閉められた。あたしはのろのろと瓶を持って立ち上がり、部屋に引っ込んだ。
「何、よぉ・・・・・・ばかぁ」
ふかり、とダブルベッドに体を沈める。ダブルベッドはあたしひとりには余りにも大きくて。
「解ってるわよ、言われなくたって・・・・・・ガウリイが、男だってことくらい――」
 備え付けで置いてあった硝子のゴブレットに苺酒を注ぐ。綺麗な薄紅色。ひとくち飲むと甘かった。雫が通ったところから熱を帯びてゆく。はぁ、と熱い吐息を漏らす。
 厚い羽毛の布団と肌触りの良い毛布に包まりながら杯を重ねる。
 酌み交わす相手もいないから、自然、物思いに耽ってしまう。
 さっきのガウリイの姿。黄金色の濡れ髪や髪の先で膨らんでは滴る水滴、ほんのり桜色に染まった体から立ち上る湯気やパジャマの襟元から覗いた綺麗な鎖骨――
「・・・・・・何考えてるのよ、あたしは」
 枕に顔を埋める。ラヴェンダーの香りがした。細々としたところにまで気配りが行き届いている。良い宿だ、とぼんやり考えた。
 あぁん・・・・・・という色めいた声が洩れ聞こえてきて、我に返った。
 ここは、ガウリイが『心当たりが有る』と言って来たのよね?
 なら――ガウリイはここに来たことがあるってことで。
 ――誰と?――何の、為、に?
 理由なんて一つしかない。
 彼はその腕に誰かを抱いたのだろうか。
 あのほそいきれいな指で優しく触れたのだろうか。
 一瞬にしてその考えに頭が埋め尽くされて、止まらなくなった。
 嫌――いや!――
 そんなことを考えてしまう自分が嫌だった。でも、止められなかった。

 結局、眠れなくて苺酒をひと瓶あけてしまった。
 流石にそこまでしたら眠ることは出来たけれど、朝目覚めると酷く頭痛がした。
 中々起き出さないあたしに焦れてガウリイがあたしを起こしに来た。ドアを叩く。
「おいリナ、いつまで寝てる気だ?起きろよ、朝メシ無くなるぞ」
「うんぁぁ・・・・・・待ってよ、今起きる・・・・・・」
 着替えて、出ると廊下の壁に体を凭せ掛けて彼が待っていた。
「よ」
「おはよ・・・・・・」
「どうした?元気無いな」
「あー・・・・・・ちょっとねー・・・・・・」
 原因を話せるわけも無く。あたしは痛む頭を抱えてガウリイの隣りを歩く。廊下の板がきしきしと鳴る。でこぼことして歩きにくい廊下。
「ここのメシは結構美味いんだ」
「あーそー・・・・・・え?なら何で昨日は――」
 反射的にそう言って、あたしはぱっと口を閉じた。もう考えないって決めてたから。
「ん?」
「何でも、ないわよ。何でも」
 客室から想像したような食堂ではなかった。
 綺麗な木製のテーブルセット、シンプルだけど清潔そうな白い木綿のテーブルクロス。窓には揺れる白いレースのカーテン。その向こうに見える窓辺には趣味の良い寄せ植えがずらりと並んでいる。
「どうぞ」
 宿の人間だろう、やはり清潔そうな白い木綿のエプロンを身に付けたこげ茶色の長い髪をした美人がにっこりと微笑みかけてきた。引いて来たワゴンからてきぱきと皿を並べる。
 本当に美味しそうだった。ルッコラと生ハムのサラダにかりっと焼き上げられた湯気の立つパン。表面にナッツが散らしてある。それに付けるように用意されたディップは三種類。蜂蜜。それからじゃがいもをペースト状にしてたらこを混ぜたもの。そして刻んだトマトをオリーブ油で和えて塩胡椒で味を付けたもの。スープはトマトがベースの具沢山。デザートには林檎、青林檎、葡萄、マスカットが大皿に盛られて供されている。
「美味しそうだけど・・・・・・こんなに豪華な食事出してて、採算取れるの?」
 あたしはつい、要らぬ心配をしてしまった。
「いえ、特別サーヴィスです。ガウリイさんと、そのお連れさんですもの」
 ・・・・・・何で、何でガウリイの名前を知ってる訳!?
 あたしはつい、キツい顔で彼女を見てしまった。ガウリイが頭を抱えている。
 彼女はくすりと緑白色の綺麗な眼を細めて笑った。
「大丈夫、お嬢さんが心配しているようなことはありませんよ」
「あ、あたしは別にっ」
「なぁ・・・・・・オレと貴女は初対面だよな・・・・・・」
「ええ、そうですよ」
 は?
 あたしは今度は怪訝な顔をした。
「なら・・・・・・貴女がオレを知ってるってことは・・・・・・」
「おうガウリイ、てめぇ、ここまで来たくせに俺に会わねぇつもりだったな!」
 こざっぱりとした短い黒髪の大柄な男が後ろからガウリイの首を絞めた。ガウリイはぴしりと固まった。
「ド・・・・・・ドルーガ・・・・・・」
「あらあらあら、お止めなさいよエルガ。ガウリイさんのお顔の色が青くなっているじゃないの」
 こげ茶の髪の女性はぱたぱたと手を振ってのほほんと言った。

「まあ、食べながら話そうぜ」
 男性に勧められ、あたしは彼に一礼して、ガウリイはぶすっと黙ったままで目の前に並べられたご馳走を食べ始めた。
「そっちのお嬢ちゃんとは初めてだな。俺はエドルーガス=フィレッティエ。ガウリイとは傭兵時代の仲間だよ。――まあ、俺はもう引退した身だがな」
 あたしはちょっとほっとしながらタラモ・ディップをパンに塗りつける。つまり――ガウリイがここを知っていたのは知り合いのやっている店だったからだ。ガウリイはサラダを三口ほど口に入れて飲み込むと尋ねた。
「さっきの・・・・・・ありゃあ奥さんか?」
 エドルーガスさんは頭をかりかりと掻き、顔を赤くしながら頷いた。
「まあな。結婚したのは最近だ。ルーシェミアっていうんだ」
 エドルーガスさんは照れ隠しか、コーヒーを一気に飲み干した。大柄な彼が使っていると、カップがとても小さく見える。
「ところでガウリイ」
 彼はそう言うと真面目な顔で向き直った。
「俺に声掛けずにここに泊まって立ち去ろうとしてたのは不本意だが許す。宿帳でたまたまお前の名を見つけた時は驚いたぜそりゃあ――だがな」
 ぴしり、と人差し指を彼に突きつけて。
「俺はお前に『来るならオンナ連れて来いよ』って言ったよな?」
「連れて来てるだろ?」
 あたしはぼっと顔を赤くした。平常心平常心。ガウリイはただ生物学的な意味で言ってるだけ。
「ああ、確かにな。だけどな――何っでここまで来て別々に部屋取ってるんだお前はっ!」
 ぷう、とあたしとガウリイは同時にスープを吹いた。
「あああいやあの、あたしとガウリイは別にそんな――」
「そそそいやまだ、オレとリナは別にそんな――」
 これまた同時。
「・・・・・・ふーん、ああそう」
 エドルーガスさんは――妙に、にやにやとした人の悪そうな笑みを浮かべた。
「まあいい。そういうことにしといてやるか。
 知り合いのよしみだ、宿代はまけといてやるよ」
 ――あたしはうきうきとした気持ちで朝食を口に運んだ。あたしの寝不足と二日酔いの原因――深く原因を考えると余計気分が悪くなりそうだが――も解消されてすっきりしたところだ。とても美味しく食べられる。しかし――はて?
「なんっか一味足りないのよね・・・・・・」
 その一言を聞きとがめたか、互いの近況を語り合っていたエドルーガスさんがこっちを向いた。
「不味いかい?」
「いえ、すっごく美味しいんですけど・・・・・・このスープにはタイムやセロリの葉やパセリなんかのブーケガルニ、サラダとトマトのディップにはバジルが入ってたらもっと美味しいかなー、なんて」
「そーか?オレはこのままでも美味いと思うけど・・・・・・」
 そう言ってきょとんとしたガウリイの手元から――
「よっしゃあパンいただきぃっ!」
「ああっ、今トマト・ディップ塗ったばっかりだったのにっ!」
 もぐもぐこくん、と飲み下して――
「あれ?こっちにはバジル入ってる」
 奥さんのルーシェミアさんが話が聞こえたのか、こちらに来た。
「女の方にはハーブを抜いたものをお出ししてるんです。――問題があるといけませんので」
「問題?でも食べた感じでは普通のハーブだったけど」
「ええ、普通のハーブですよ。ですが――」
 ルーシェミアさん、にっこりと笑って。
「妊娠中に食べると駄目なんです。妊婦の方にはハーブの薬効は強すぎるんですよ」
 さらり、と告げられた言葉にあたしはひっくりこけた。
 ガウリイも流石に困惑した表情なのだが。
「何か?」
 微笑みながら言うルーシェミアさんはまるで気付いていないのだった。

「また来いよ」
 荷物を纏めて。あたし達はチェック・アウトした。
「もう来ねーよ」
 そう言ってガウリイは軽く手を挙げ、エドルーガスさんの手とぱしん、と打ち合わせた。
「そう言うなって。ただし――今度はひと部屋しか空けてやらねぇからな」
「うるさい!」
 しばらく歩いて振り返ると夫妻はまだ手を振っていた。あたしはもう一度手を振ってくるりと前を向いた。
 空は、青い。
 昨日の祭りの喧騒が嘘のように街は静かだった。
 保存食と水を調達する。次の町を目指す為に。
 街を出るまであっという間だった。


「――なぁ、リナ」
 街を出てすぐ。人通りの少ない街道で、彼が口を開いた。
「何よ?」
「お前さん、今、いくつだっけ?」
「十八、かな」
 そう。本当は『保護者』がいるなんて不自然でしかない歳。
 ――あれ?でもいつもならああいう風に言われたら『オレはこいつの保護者だからな』って言うのがいつものガウリイなのに、エドルーガスさんには言わなかったな――って、そう言えば最近『保護者』って名乗って――ない?
「もう十八か、なら立派な大人だよな」
「――そうよ」
 これ以上言うのは怖かった。ガウリイは保護者をやめたら――どうする気なのだろう。
 と、彼はくるりと怒った顔で向き直った。
「なら、あんな時間にあんな格好で無防備にドア開けたりするんじゃないっ!ましてや相手が男のときにっ!」
 ――考え過ぎか。やっぱりガウリイの台詞はいつもの『保護者』のもので。ほっとする一方でかすかに感じる落胆に気付く。――なら、何て言って欲しかったのよ?
「あんただから、開けたのよ」
 ぽろっと、考える前に言葉が口から漏れた。
 ガウリイは、振り向かなかった。
「――オレだって、男だぞ。解ってるか?」
「解ってるから開けたんでしょ?」
 ――これは、駆け引き。お互いに探り合う――相手の心の中を。
 多分、あたしは。
 多分、ガウリイは。
 言わせたいんだ。言葉を。
 確かなものを。
「――お前はオレにどうして欲しいんだ?」
 体がすぅっ、と冷えた気がした。答えずあたしは問い返す。
「あんたはあたしにどうして欲しいのよ?」
 ちくちくとした言い方になっているのは判っているが止められなかった。
「そうよね、気にしてるのはあたしだけなのよ」
 ガウリイは全然わかっちゃいないのだ。あたしが気にしてるのは――
「オレは馬鹿だからな、言われなきゃわかんないんだよ!」
 彼が、珍しく声を荒げた。
「そうよねっ、あんたにとってあたしは――」
 言いかけて。口を閉じる。――違う――あたしが言いたかったのはこんな事じゃない――
「――ぁ――そ、の――」
 ガウリイは言葉にならない声を発して、しばらく黙り込んだ。
『あのっ!』
 あたしとガウリイの声が重なる。それで、あたし達はまた口を閉じてしまう。
 知らず、歩調が早くなる。お互いに。
 ガウリイが、ぐしゃぐしゃと自分の髪を掻き毟った。
「あ、その・・・・・・ごめんな」
「何が?」
 嫌味などではなく、本心からの疑問であたしは訊いた。
「いや・・・・・・その・・・・・・オレは、ああいう宿だって分かってたのに・・・・・・お前さんを、連れて行っちまって・・・・・・」
「何言ってんの」
 あたしはぽぅんっ、とガウリイの背中を叩いた。
「あたしが『屋根とお風呂があれば多少の事には目を瞑る』って言ったんだから。気にする事なんて無いでしょ?」
「・・・・・・そーか」
 ガウリイが微笑った。
 これであたし達の『駆け引き』はおしまい。
 何の言葉も証も残さぬままで。
 勝負はまた持ち越し。
 ・・・・・・つまんないの。
 ぽつん、と浮かんだ思いの理由も考えない。もう、感じたまま動く。それでいい。
 あたしは少しだけ歩調を早めた。背後で照りつける暑い日差し。目の前に見えるガウリイの影の頭を踏むくらいを歩く。
「・・・・・・次に来る時は・・・・・・」
 ガウリイの独り言のその先は、今はまだ聞かないことにしておいた。