The transmigration of the soul










心のない人形。生きる兵器。
彼を表現するとそうなるだろう。
彼は闇に生きる暗殺者。
闇の獅子と呼ばれた男。

俺には名前なんてない。必要も、ない。
ただの識別記号として「ガウリイ」と呼ばれていた。
捨て子で、暗殺者に拾われて、そいつに暗殺術と剣術を教えられた。
そして、俺は一人前になった。

――その暗殺者を殺すということで。

何も感じなかった。涙も出なかった。
感情なんて教えられなかった。
だから人を殺しても、平気だった。

「お前は生きた兵器だ。」

そう育ての親の暗殺者にいわれたことがある。
否定も出来ない。する必要もないだろう。
暗殺者にとっては誉め言葉なのだから。
ただ生きるために殺す。
それがたまたま人間同士だっただけのことだ。
そうして俺は暗殺の仕事を着実にこなし、名をあげていった。

そして今日も仕事の依頼が来た。いつものことだ。
ある貴族の娘を殺す。
ただそれだけの、仕事。
ただ条件があった。
一番娘が苦しむような殺し方を。
その娘の親がしたように、裏切りを味わわせて殺せ。
そんな条件。
「どうすればいいんだ?俺はその娘と面識なんかないぞ。」
その問いに依頼人はなら作ればいい、と言った。
その貴族の娘に近づくチャンスがあるという。
「今、あの家は一人娘の教育係を募集している。身分は問わない。娘が気にいった者
が教育係だそうだ。お前の容姿と腕を買って私はお前を雇った。闇の獅子と呼ばれる
お前を買ったのだ。やってくれるな?」
「ああ。問題ない。」
依頼人にはそう答えたが。
娘に気に入られるかどうは、疑問だ。
女遊びは、容姿のせいもあってよくやる。
が、よく言われる言葉は「あんたって冷たい男ね」だ。
別に女を責めるわけでもない…が、そんな容姿だけの俺を教育係に選んで、しかも信
頼を寄せてくるかは…わからない。
しかも、値段が値段だ。一週間で金貨100枚。
俺にとってははした金でも、周りにとってはそうではない。
やはり競争率も激しい。
待合室に集められた者の中で、俺は密かに溜め息をついた。
侍女達の視線も痛い。
これだから素顔でこういう仕事をするのは嫌いだ。
服も着慣れないスーツなどを着せられた、
おかげで動きにくくて仕方がない。
普通の暗殺業が一番気が楽だ。
俺は再び溜め息をついて長い黄金色の髪をかきあげた。
ギィィィィ……
ドアが開いて、白髪混じりの老執事が入ってくる。
そして俺達は老執事の案内により広間に集められた。
広くて豪奢な部屋だ。
だが、ただゴテゴテしているだけでセンスは無い。
まあ成り上がりの貴族だから仕方ないといえる。
依頼人も成り上がる為に蹴落とされた恨みで依頼をしてきたのだ。
視線を前に向ける。
向こうのやたらと金ぴかな椅子に座って、やたらと光り輝くドレスに身を包んでいる
娘がいた。年の頃は二十歳ぐらいであろうか。
長く癖のある栗色の髪で、俯いて顔は見えない。
「お嬢様…皆に挨拶を。」
老執事が促しても娘は答えない。
「お嬢様?」
老執事が近づくと娘は肩を震わした。
俺はふと違和感を覚える。
「お嬢様…?」
「も、申し訳ありませんッ!」
か弱い声でそう叫んだ娘はいきなり地面にひれ伏した。
「――――!?」
老執事は慌てて娘の髪をひっぱる。すると呆気なくそれは取れ、肩ほどまでの黒髪が
露になる。
偽物……
集まった男達も、やっと状況を理解したのかざわめき始める。
俺はただ黙って様子を伺っている。
騒いだって何の得にもならない。
それがわかっているからだ。
「何をしているっ!?」
「申し訳ありませんっ…!私、お嬢様に頼まれて…!」
「ならばお嬢様は…!?」
うろたえる老執事。あたりまえだろう。
それに水を差したのは、涼やかな声だった。
「ここよ。」
上からの。
…………上?
見上げると、ただきらきらと光るシャンデリアだけ。
そしていきなり。シャンデリアが揺れた。

シャラ…

シャンデリアがそんな音を奏でる。
そして。
人がそこから落ちてきた。
スローモーションのようだった。
いや、実際は目にも止まらない早さで落ちていたのだろうが、俺は良すぎる動体視力
のせいか、はっきりその姿を捉えていた。
そしてそれは…その女はスタッと呆然とする俺達の前に降り立った。
そして凛然と立ち上がる。
そして俺達の方を向いた。
目が、合う。
どくん…
その瞬間、心臓が震えた。
癖のある栗色の髪がふわりと揺れる。
着ているものは、本当にごく普通の服。
貴族らしからぬ、庶民の服だ。
容姿はいいが、絶世の美女というほどではない。
娘というにはまだ色香に乏しいし、第一年の頃も十六、七だ。
娘より、少女という表現の方がしっくりくる。
それなのに、先ほどの偽者よりも輝いて見える。

それは、その凛然とした物腰故に?
それとも、その気高く輝く真紅の瞳故に?

俺は高鳴る心臓を意識し、首を振る。
どうってことない、姿じゃないか?
それなのに、魅入られたように目が離せない。
なんだろう、この心臓の音は。
なんだろう、この気持ちは。
はじめてだった。
こんな感覚は。
目が合ったのは一瞬だった筈なのに、長い長い時間に感じた。
「お嬢様、またそんなはしたない格好を…!」
確かに一般的なお嬢様というイメージが一気に崩れそうな格好ではある。
が、妙に似合っている、というよりも昔からそれを着ていたかのような雰囲気があ
る。
「いーじゃない。あたしそのゴテゴテしたドレス嫌いなの。それより、悪かったわ
ね。変な役押しつけちゃって。もういいわよ、ありがとう。」
彼女はへたり込んで震えている彼女の偽者、おそらく侍女かなにかの肩をぽんと軽く
叩き、笑いかけた。
「は、はい…」
パタパタと駆けていく侍女の姿を確認してから、老執事に向かっていった。
「あの子に処罰は必要ないわ。あの子はあたしのお願いを聞いてくれただけ。」
「は、はぁ…しかしどうしてまた………」
彼女はその問いには答えず言った。
「おかげで見極められたわ。」
魅惑的に笑うと彼女はこっちに近づいてきた。
そして俺の前で止まる。そしてにこりと笑って言った。
「あんたに決めたわ」
一瞬何のことを言われたかわからなかった。
「教育係。」
「…………は?」
唐突といえば唐突で、自然といえば限りなく自然だった。
が、俺は本来の目的を忘れるほど、動揺していた。
「………俺…?」
「そ、あんた。あんたが一番冷静だったわ、上から見てて。だからあんたに決めた
の。あれごときで動揺してる奴らにあたしの教育係なんて勤まるわけないものね。」
自身に満ち溢れた笑みを浮かべる彼女。
「てことで、あんた達は失格ね。」
自身満面の笑顔を浮かべて笑う彼女。
周りの候補者達は悔しそうにこっちを見ていたが、老執事の案内ですごすごと退散し
て行った。
侍女達と彼女と俺だけになった部屋で、彼女は笑って言った。
「あたし、リナよ。」
「俺は―――…」
一瞬考えた。偽名を使うか否か。
「ガウリイ。」
偽名を使った方が、暗殺者とばれる確立は少ない。
俺の名前はそっちの業界では有名過ぎる。
だが―――
今回に限っては偽名を使う気分にはなれなかった。
何故だかはわからないが。
「そっかよろしくね、ガウリイ。」
「ああ、よろしく、リナ。」
「そぉれにしてもまったく、最近の男は肝がちっさいわね。」
呆れたような、面白がるような口調でリナは言う。
「お前さんが大きすぎるんじゃないのか…?」
俺は思わず突っ込んでいた。
普段なら決して進んで話などしないのだが…
どうしちまったんだ?俺。
「そぅお?あれぐらいで驚いてちゃダメだと思うけど。」
「お前さん…いきなりシャンデリアから飛び降りてあんなふてぶてしい態度をとりゃ
誰だって驚くぞ?それが幻想を抱いてた「お嬢様」だし。本物がこんなんで幻想が一
瞬で粉々にされたんだもんな、気の毒に。」
いつもより饒舌になっている自分に内心驚きながらも続ける。
俺の言葉に彼女は腰に手をあてて喚いた。
「どぉこが幻想が粉々よ!こんな美少女前にして何言ってるかなぁ!」
「性格も勿論だが、まあその幼児体型だな。特に胸とか。」
すぱぁぁぁぁぁんっ
「うるさいわねぇっ!ちょっと小ぶりかもしれないけど幼児体型まではいってないわ
よっ!」
「ちょっと待て!なんでスリッパが懐から出てくるんだよ!」
リナが握っていたのは普通のスリッパだった。それで俺の頭を叩いたのだ。
「乙女の必須アイテムよ!それより乙女の胸を侮辱した罪はこの特製スリッパで…」
「リナ。」
後ろから声がした。
ぴくり。
リナと呼ばれた彼女の動きが一瞬とまり、すっとスリッパを懐にしまう。
いや、当たり前のように懐にしまうなよ、スリッパを…
「何でしょう、お父様。」
さっきとは違い、感情を押し殺した声でリナはそう言った。
振り向くと、黒髪で成金趣味全開の服を着た男が立っていた。
この家の主人…彼女の父親のようだ。
「貴族としての自覚と誇りを養え。おいそこの教育係。」
「…はい。」
「くれぐれもリナに変なことを吹き込むな。」
そう言い捨てると、踵を返して帰っていった。
正直言って、むかついた。
恨まれる理由がわかる気がした。
性格極悪。
「死んでしまえばいいのよ…あんな男。」
リナがそう呟く声が聞こえて俺はぱっと横を見る。
その赤い瞳には怒りと侮蔑がこもっていた。
しかしリナは俺の視線に気がつくと、にっこり笑って言った。
「じゃあ部屋を案内するわ。」

そして寝泊りする部屋に案内され、リナに今日は遅いから教育係は明日からだといわ
れた。
「お前さん…じゃなくて、あのお嬢様。」
態度の豹変ぶりにか、リナがくすりと笑った。
「リナでいいわよ。敬語も止めて、あんま慣れないから。」
「じゃあリナ。お前さん…あの父親のこと嫌いなのか?」
何となく、聞いてみた。さっきの瞳があまりにも今の印象とは違いすぎて。
「大っ嫌い。」
急にリナの表情が大人びたものと変わる。
「どうして…仮にも血のつながった親子だろ?」
「あんな男…父親なんかじゃないわ。……を殺した男なんか。」
どこか冷たくて、どこかあきらめた瞳。
「殺した…?」
ふと、その言葉にやっと自分がここにきた目的を思い出し、顔をしかめる。
「あ〜〜やめやめっ辛気臭いのは趣味じゃないの!じゃあね。おやすみガウリイ。」
パタン。
扉の閉じる音と共に、静けさが戻ってくる。
やっと、溜め息をついた。
「何やってるんだ?俺は…」
ベッドに倒れこんで呟く。
確かに、標的に取り入れとは言われたが…いつもの俺の態度と180度違う。
何を楽しそうに喋ってるんだ?
相手の家庭事情なんかに首突っ込もうとして…
んでもって目的も忘れかけて。
相手は俺が裏切って殺す筈の女だぞ?
しかも偽名も使わずに…
ふと脳裏にリナの顔が過ぎる。
怒ったり笑ったり…子供かと思えば大人びた顔になったり…万華鏡のような、少女。
「馬鹿な女だよ。暗殺者なんかを知らずに教育係にして…殺してくださいって言って
るようなもんじゃないか。」
ごろりと寝返りをうつ。
シャンデリアから落ちてきて凛然と笑った少女の顔。
それが頭から離れない。
「変な女……」
ぼそりとそう呟いて、睡魔に身を委ねた。


彼はまだ知らない。
それが運命の出会いだった事に。


そして次の日から教育係は始まった。
日程は、月〜土曜日は教育係。
そして日曜日は休みである。
そうしてそれがはじまって…早くも二ヶ月が過ぎようとしていた。
週末には状況報告にあの家から少し離れた場所で依頼人と密会している。
教育係…は、多少、いやかなり変わったものだった。
「資本主義っていうのは―――」
リナが喋る事を、聞く立場にある。
色々と政治や世界学の難しい事柄を矢継ぎ早にまくしたてる彼女は輝いていて嬉しそ
うだ。
どこでそんな事を知ったのかは知らないし、女には必要ないとも思うのだが何故か彼
女は色んなことを知っていた。俺には難しすぎてその半分も理解できないのだが。
変な女だ。
服もドレスではなく庶民の服を着る。
お嬢様特有の弱々しさはなく、闊達で元気過ぎるぐらいだ。
「てことなの?わかった?」
「いや、全然。」
「こんのくらげっ」
すぱこぉんっ
「どぉっちが教育係かわかりゃしないわ…きっと脳味噌タルタルソースで詰まってる
のね。」
「タルタルソースって………」
とまあこんな感じ、である。

何やってるんだ、俺……
冷静になって考えるとそんな気持ちでいっぱいになる。
俺は、リナを殺しにきたんだ。
そりゃ取り入って殺せとは言われたが…
だが…リナの前に行くと…それを忘れる、忘れてしまう。
圧倒的な存在感。
それに飲まれるように消えてしまって、いつもの俺では想像できないくらいボケた
俺。
彼女を殺す、彼女は標的。
そう言い聞かせても、忘れてしまう。
こんな事ははじめてだった。
「ガウリイ。」
「あ、ああ…なんだ?」
リナの声に俺は我にかえる。
今は、今はいいんだ。信頼させる事だけを考えていればいいんだ。
「ちょっといい?」
「ああ、どうぞ。」
俺は彼女を部屋に招き入れる。
彼女は俺の部屋にはいってきて…多少躊躇った様子で言った。
「ねえ、どうしてあんた………」
「なんだ?」
リナはふと目を瞑る。
「いや、何でもないわ。」
その様子が少し変だった。
「なんだ?」
「何でもないわよ。少し聞きたい事があったの。」
「俺に?お前さんのほうが知ってる事は多いんじゃないのか?」
「いいでしょたまには。ねえ、魔法って、見た事ある?」
「あるが?」
そりゃあ暗殺者なんてやってたら魔法を使ってくる奴はいたし。
「本当ッ!?」
「あ、ああ…」
目を輝かせるリナに驚きながら頷く俺。
その様子にはたと気がついたリナは少し落ちついて言った。
「あたしね、魔道士になりたいのよ。」
「魔道士に?貴族の娘が、か?」
彼女は身分や男女差別が嫌いだ。
だから女がどうしてそんな事、というと彼女は本気で怒る。
「……ガウリイ、殴られたい?」
「…いいです。冗談です。」
「ずっと、前の教育係の人に話に聞いてから憧れてたの。魔法っていう存在に。」
「前の教育係?」
初耳である。
「ん、前の人は魔道士見習でさ。いろいろ教えてくれてたんだけど…あの男に殺され
たわ。」
あの男。
リナの父親。
彼女は絶対に父とは言わない。
「どうして…」
「あたしに魔法を教えようとしたから、ただ、それだけの理由よ。あの男は人を信じ
れないの、それが自分の娘でも妻でも家来でも。だからあたしが魔法を使えるように
なるのが、恐いの。強くなって復讐すると思うと恐いのよ。」
こういう時のリナは何かを悟ったような目になる。
「だからって、実の娘を……」
「そういう人よ。あの人は、ね。だから、呪いとか魔法とかもだけど、自分にふりか
かってきそうなものは、この街にはいれないの。邪魔者もずっと排除しつづけたの、
殺すっていう行為で。………人っていうのはここまで醜くなれるのよ。恐いわよね、
ガウリイ。」
じっと挑戦的に見つめてくるその赤い瞳にぎくりとした。
もしかして、こいつ何もかも知っているんじゃないだろうかと。
ふと、瞳が緩む。
俺はほっと息をつく。
「あんたにこんな事話しても、仕方ないのにね。」
「あ、いやまあ…」
「気をつけてね、本当に…」
その不安そうな顔が、印象的だった。
いつもと違いすぎて。
「リナ?」
はっと気がついたように瞳を大きく開く。
「あはは☆ごめんね、脅かしすぎちゃった。でもホント気をつけたほうがいいよ。」
「気をつけるよ。」
苦笑しながら答えた。
「でもあたし、いつかなってやるの。魔道士に。あきらめなんか、しないんだか
ら。」
不敵に微笑むリナに俺は苦笑した。


そうして穏やかな日々は過ぎていく。
暗殺者の彼には考えられないくらいの穏やかな日々。

そして

時が経つのは早く半年が経ち…そして早くも一年が経った。
だが暗殺者は動かない、動けない。


俺は今も取り入る為という理由で教育係を続けている。
のほほんとした仮面をつけて。
正直言ってここまで長くするつもりなどなかった。
さっさと殺して終わり、そんなつもりだった。
だが依頼人には「まだあまり信用されていないから」と理由をつけて続けている。
一年経って。
リナは綺麗になった。少女と呼べる雰囲気じゃなくなった。
しかし輝きは色褪せない。
俺にもかなり心を開いてくれているようだった。
色んな話、「これは秘密だからね」というほどの事ですら、教えてくれるようになっ
ている。
もう、依頼を遂行していい時期である。
でも…でもだけど…
俺は脳裏に映る鮮やかな少女、いや娘を思い出す。

どうして、俺は…

もう住みなれてしまったその部屋のベッドに寝転がりながら思った。

どうして俺は依頼を果たそうとしないんだろう。
どうしていつも忘れてしまうんだろう。
どうしてリナといると、こんなに気持ちが洗われるんだろう。

俺は自分が変わっているのを自覚していた。
暗殺者の俺よりも、のほほんな俺の占める割合が大きくなっている事も。
ダンダンッ
ドアを乱暴に叩く音が聞こえた。
「ガーウリイッさぼってんじゃないわよ!」
あ、やばい。もうこんな時間だ。
形だけの教育係でも(リナの方がえらいしな)話し相手になってるし、一応給金もも
らってるからな…
「悪い悪い…」
俺はボリボリ頭を掻きながら部屋から出ていった。

そしてその日。
「ねぇガウリイ。今日でガウリイが来て、1年よね…」
一応話し相手の時間が終わりリナがそう確認してくる。
「あーもうそんなになるかー」
のほほんと俺は答える。
「あのさ、今日ね。裏庭にちょっと来て欲しいの。」
真剣な声のリナ、俺は訝しげな顔で問いかける。
「なんで?」
「何ででもッ!11時だからね!!遅れたらしょーちしないから!」
リナはそう一方的に言い放ち俺の傍から駆け出してしまう。
「………なんだ?アイツ……」
いつもと違う態度のリナに俺はそう呟かざるをえなかった。


暗殺者には絶好のチャンス、だろう。
暗殺者は闇に生きる。
しかしそれを忘れてしまうほど彼の心は穏やかで。
彼女を殺す、そういう気持ちなど今の彼には起こりもしなかった。


そして11時、俺は約束の場所にいた。
人の気配は近くになかった。
いつもなら普通、一人二人は警備員がいるはずなのに…
「リナ?」
俺は小声でリナの名を呼ぶ。

ガサリ

「ここ。」
リナは木の陰から姿を現した。
その瞳は、いつもよりも思い詰めたような色があった。
「どうしたんだ?こんな時間に会うだなんて。それに近くに人がいないみたいだ
ぞ。」
「あたしが人払いさせたから。大事な話なの、あんたにとってもあたしにとって
も。」
「大事な話?」
俺は首を傾げる。
リナはふっと大人びた表情で笑った。
「しらばっくれる必要なんて、もうないのよ?闇の獅子、暗殺者ガウリイさん。」
「……!!!!!!!」
心臓が止まるかと思った。
「…いつ…から………?」
俺はかすれた声で呟くように尋ねた。
「ほぼ、最初から。動きに隙がなくって、普通の人じゃないっていうのは見てすぐわ
かったし。裏の世界じゃ色々有名だから、美形で金髪だって聞いたことあったし。偽
名を使わなかったのは驚いたけど。」
世間話でもするかのような口調で彼女は言った。
「何で、今まで黙って俺を置いておいた!?俺の目的は何かわかっていたはずだろう
!?」
知らず口調が荒くなる。
「……………だったから。」
小さな呟きが聞こえた。
「え?」
「…あたしとあんた、同じだったから…」
「…………同じ………?」
どこが同じだというのだ。貴族に生まれつき、何不自由ない暮らしを送るお前と、捨
て子で暗殺しか芸のない生きる兵器と呼ばれるこんな闇の生活を送っている俺が。
「あんたの生い立ち、この1年かかって調べさせてもらったわ、悪いけど。あんた捨
て子なんですって?」
「………ああ。親を憎んだよ、でも無駄だから途中でやめた。ずっと独りで生きてき
た。そんな俺が、お前と同じだと!?ふざけるんじゃない!!!」
俺は怒りで声を荒げた。
何がわかる、貴族にこの苦しみが。
「あたしも捨て子だから。」
リナが発した言葉は意外過ぎて。
「は?」
俺は間の抜けた声を上げる。
「亡くなった母様が拾ってくれたの。母様とあたししか知らないけどね。そのこ
と。」
あっけらかんとした口調に嘘じゃないかとも感じたが、瞳が笑っていない。
「他は知らないのか…?」
「母様は、政略結婚で父の事が大嫌いだった。あいつの子供なんか産みたくなかった
の。でも子供が生まれなければ無理矢理にでも産まされる。それで母様はあいつが遠
くへ行った時に捨て子のあたしを拾ってきて、あなたの子よ、としたわけ。」
「でも、どうして女…いや、お前を…?跡取なら男の方が…」
「あいつは、跡取は怖いもの、自分の立場を危うくするものという認識でしかなかっ
たから…自分が老いてきた時に財産目当てで殺されるんじゃないかってね。血さえ残
れば何でも良かったのよ。いいえ、むしろ女の方が、他の有力貴族と政略結婚して親
戚関係を持てる。そう思ってたんでしょ。道具みたいなものよ。」
リナは笑っている。いつもの笑顔で。
「あいつは人間なんて信じないのよ。そしてあたしはあいつの出世の道具であり母様
の復讐の道具。あたしはあの人達にとっては道具、それ以上でも以下でもないの。」
俺がリナを殺せなかった理由。
それが今わかった気がする。

生きる兵器と、生きる道具。
それ以上でも以下でもない存在。

身分も性別も全然違うように見えた俺とリナ。
だけどそれは違う。表面上だけだ。
同じ苦しみ。同じ孤独。同じ虚しさを抱えていた。
そんな俺達。
だから、だからこそ。
「あんたなら、あたしのことわかってくれるかもって…思ったの。」
自分達のそれ以上の存在価値を作り上げられるのじゃないかと。
同じ想いを知っているから、だから…

「夢物語はそれまでにしろ。」

いきなり正面、リナの後ろからかかった声。
暗くて暗くて闇に引きずり込まれそうな声。
気配無く佇む黒い人影。
暗殺者だ。それも腕のたつ。
「リナ逃げ…!!!」
俺がいうまでもなくリナはとっさに前に動いていた、が。

ぞぶっ

人影の方が、早かった。
倒れる小柄な体躯。流れる血。
「リナッッッッ!!!!!!!」
心臓がしめ付けられたように痛かった。

リナが、リナが、リナが死んだ…?

暗殺者はリナには目もくれず俺の前に歩いてきた。
「堕ちたものだな、闇の獅子。依頼人にお前の監視を依頼された、正解だったようだ
がな。ここまで腑抜けていようとは。標的の小娘の心配か?」
「うるさいッ!!貴様何のつもりだ!?」
「依頼を遂行したまでだ。お前が人のことをいえた立場か?」
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れぇぇぇッッッッッ!!!!!!!!」
俺はそう叫ぶと常備していた剣を取りだし暗殺者に切りかかる。
何度か剣を交わらせ―――



ふと気がつけば、暗殺者は倒れ、剣は血塗れだった。
「リナ……」
涙が流れていた。
涙を流したのははじめてだった。
でも俺は気にすることもなかった。
それよりもココロにのしかかる絶望感の方が大きかった。

そうしてこんなに胸が苦しい?

「ガウリ………」
小さな声に、俺はふりかえる。
リナは血塗れになりながら生きていた。
「リナ!!!」
安堵で心がいっぱいになる。
「なんて、顔…してる…のよ………」
途切れ途切れに呟かれる言葉。
血を失って蒼くなっている顔で苦笑する。
「リナ!喋るな!!!」
俺はリナを抱き起こした。
「一つね、言いたかったこと、あるの……今言わないと、もう、無理みたいだか
ら…」
その言葉に背筋が凍る。
「何言ってるんだ!!!」
リナはふっと笑みを浮かべる。
「あんた、ホント変…あたしのこと、殺しに、きた、暗殺者…くせに、さ。」
リナが咳き込む。血がべっとりとその手についていた。
「変…だったけど……」
リナが優しい笑みを浮かべる。

「……好き………。」

俺の瞳孔が見開かれた。
「あんたは、あた…しのこと…標的とか、そーいう…風にしか、見てなかった…だ
ろーけど…ね…。」
俺は頭を振って叫ぶ。
「違う!俺は、リナのこと途中から、いや、はじめから殺そうなんて思ってなかった
!!お前の事がリナが好きなんだ!!!だから死ぬな!!!!」
そうだった。
出会った瞬間から俺は惹かれてた。
真紅の魔法に囚われてしまったんだ。
失いたくない、やっと気付けたのに。
リナが困ったように笑う。
「ありがと…でも、ね。無理、みたい…。」
「あきらめるなよ!!魔道士になるんじゃなかったのか!?生きなきゃ無理だろ!!
???」
「無理よ、わかる…もの……」
リナが笑う。何かを悟った笑みで。
「大…好き……よ…ガウリィ…」
俺の首に腕を回して、そう言った。
俺はリナを力いっぱい抱きしめる。
どこかにいってしまいそうな彼女を繋ぎ止めるために。
「俺も、愛してる…リナ…」
リナの身体が冷たくなっていく。
リナが呟いた。小さく。でも祈りを込めて、夢見るように。
「生まれ…変わったら………一緒に旅しよ…あたし、魔道士になる…から……今度
は…一緒に……」
俺はそれを聞いて、深く頷いた。
それを見た彼女の瞳が、満足そうに閉じられる。
そしてカクンッとリナの身体から力が抜けた。
栗色の髪がふわりと揺れた。
「リナ…」
呼びかけても答えない彼女。
そして彼女はたった十数年の生涯に幕を閉じたのだ。

これが、死。

今まで何度も経験してきた。
死をつくる側でもあった。
だが………

「ウァァァァァァァァァ!!!!!!」

狂ったように咆哮し、涙する俺。
人が集まってくる気配がする。
でも今の俺はそんな事関係なかった。
「…ふ………」
俺は叫び終えると、リナの身体をもう一度抱きしめ…
俺は剣を振りかざす。

ぞぶり

そして俺は自分の心臓に剣をつきたてた。
「リナ、お前が逝くなら……」

俺もいく。
お前のいない世界なんて、堪えられないから。
だから一緒にいくよ。

視界がぼやけた。
遠くから人の声がする。
もう何も関係なかった。

生まれ変わったら、一緒に旅をしよう。

俺はリナの身体を抱きしめて、そして全ては暗転した。




結果的に。
貴族の屋敷で起こったこの事件は、謎のままだった。
事情を知っているその場にいた者達は全員息絶えていた為だ。
しかし人々はこの不可思議な事件を好き勝手に噂し、そうしてその貴族…リナの父親
は失脚。
さらに、その数ヶ月後リナの父親はガウリイを雇った依頼人に殺され、さらに依頼人
も原因不明の発作に倒れ死亡した。
人々は呪いだと囁きあったが真実は謎のまま…








そうして数百年の時が流れる。








「少ないわね」
揺れる栗色の髪。自身にあふれた真紅の瞳。
盗賊に囲まれた魔道士の少女…『リナ』。
「ハ、ハン!勿論これだけじゃねぇぜ。森の中じゃあ俺達の仲間が、今も弓矢でお前
を狙ってるんだ。俺の掛け声一つでぼろくずみたいにズタズタさ。手ェついて謝るっ
ていうのなら命だけは見逃してやってもいいんだぜ?え?」
「そこまでにしておくんだな。」
風に流れる鮮やかな金髪。海のように青い瞳。
流れの傭兵『ガウリイ』。






そして彼らは出会った。



〜〜FIN〜〜