手順−STEP−







「リナ……オレ、どーしよう」
 不意にかけられた情けない声に、リナはギョッとして振り返った。





 何ということのない日、だった。
 空はからりと晴れ上がり、吹く風も心地よく、陽気もぽかぽかと暖かい。
 旅をするにはもってこいの一日。
 思わずスキップしたくなるような気分に駆られた、そんな折。
 ぽつりと、ガウリイが呟いたのだ。





 それまで軽やかに進めていた足すら止め、リナはガウリイと向き合った。
「ど、どーしたの、ガウリイ!? どっか具合でも悪いの!?」
声に混じる、明らかな動揺。
 それもそのはず。
 なにせ彼女、旅の相棒がそんな弱気な言葉を吐くのを、聞いたことがな
かったのだ。
 振り返った先には、何かのどん底を見てきたような、絶望的な表情。
 いつもは太陽を飲み込んだように輝いている彼の、あまりの豹変ぶりに、
リナはますます焦った。
「そんなに気分悪いの!? もう、どうして早く言わないのよ!
 どうしよう……少し休む? ……いや、翔封界でも使って、早く街まで
行った方が――」
 思案するリナに、ふっと重みがかかる。
 倒れ込んできたそれに、リナの身体はぐらりと傾いたが、咄嗟に受け止
めてバランスを保った。
 ガウリイだった。ガウリイが、体重をかけてリナに寄りかかっている。
抱きつくように腕が回され、その上に輝く金髪がさらさらとこぼれ落ちた。
「ちょ……ガウリイ!?」
 やっと状況を理解し、抗議の声を上げるリナに、
「オレ……どうしよう。どうにかなっちまいそうだ……」
 リナの肩に顔を埋めたまま、ガウリイが呟いた。あまりに弱々しいその
声に、リナは本気で心配になる。
「どうしたっていうのよ、ガウリイ!
 どこか痛いの!? ちゃんと説明して!」
 問いただすリナに、ガウリイは吐息混じりに言葉を吐いた。





「…………オレ…………リナに、キスしたい」





 ……………………。
 どごおっ!
「いってええええっ! 何すんだよリナ!」
「やかましいわああああっ!」
 地面に放り出されて文句を垂れるガウリイに、リナは真っ赤になって言
い返した。ぜえはあと肩で息を吐き、
「あんたねえええっ! 人が本気で心配してやったってのに、何よそれ!?
 からかうにも程があるわよ!」
 一気にまくし立てる。
 それを聞いたガウリイは、きょとんとした視線を返してきた。地面に座
り込んだままリナを見上げ、
「オレ、本気だけど?」
「なお悪いいいっ!」
 リナは地団駄を踏んで叫ぶ。
「そ〜ゆ〜ことは、思っても口に出すんじゃないっ!
 大体ねえ、こんな街道の真ん中で、しかもあたし相手に言うこと!?
 どーしてあたしが、あんたの欲求不満の解消のために犠牲にならなきゃ
なんないのよ!?
 そんなにきっっっ……キスしたけりゃ、街まで行ってテキトーに女の子
ナンパするとか、夜まで待ってそのテの店に行くとかっ!
 いくらでも方法あるじゃないよっ!」
「そりゃダメだ」
「なにがよっ!?」
 鼻息も荒く問い返すリナに、ガウリイは至極真面目な表情で言った。



「だって、リナとキスしたいんだぞ? 他の子じゃダメだろ?」



 ……………………。



 リナはまたも絶句する。
 硬直したまま、何分が過ぎただろうか。
 やっと立ち直ったリナが、更に頬を赤くしながら、確認した。
「……今……何て言った?」
「だから。リナとキスしたい。ダメか?」
「…………」
 子犬のような瞳に縋られて、リナは呆然と立ち尽くす。思考の止まりそ
うになる頭を、必死で働かせ。
「……ちょっと待ってよ? あんた、あたしの自称保護者よね?」
「まあ、そうだな」
「で? そのあたしに……したいと?」
「うん」
 子供のようにこくりと頷くガウリイ。
 あまりにあっさりと頷かれ、リナは暴れ出しそうになる心臓を必死で抑
える。





 なに、こいつ。
 まさかでしょ?
 このクラゲ、あたしのことを……?





「……あの……何でいきなりそんなこと、言い出したわけ……?」
 なんとかドキドキ程度にまで心拍数が下がった後、リナは改めてガウリ
イに尋ねた。いつになく押しの強いガウリイに、切り出す口調は少し弱気
だ。
「いきなりじゃないぞ? 結構前からそう思ってたんだけど、最近、特に
我慢がきかなくて。
 ちょっともう、抑えてらんないかも」
 のほほんな顔で吐かれた爆弾発言に、リナの背筋に震えが走る。





 さっさと呪文で吹き飛ばして、全部忘れさせた方が得策かもしれない。
何か正体の分からない悪寒が、さっきからゾクゾクと背中を刺激してい
るし。
 ……が。
 ここで会話を途切れさせてしまうのが、リナには何だか勿体ないよう
に思えた。
 普段はとことん自分の感情を露わにしないガウリイの、本音を聞くチ
ャンスかもしれない。
 こんな(ある意味)素直なガウリイは初めてで、少し怖い気もするが
……まあ、本当に危なくなったら、その時こそ呪文一発唱えればいいわ
けだし。





 リナは覚悟を決めて、先を続けることにした。
「更に聞くけど……あんたがしたいって言うそれは、どっちなの?
 つまり……親子のキスか、恋人のキスか」
 どもりながらも言い終える。と、ガウリイはう〜ん、と唸って考え始め
た。首を傾げる様子が可愛い、などと関係のないことに気を取られる。
 両腕を組んでのしばしの黙考の後、ガウリイはにぱっと笑ってこう言っ
た。
「恋人の、かな。やっぱ」
「……あ、そう。じゃあ、一応確認するけど」
 流石にそろそろ慣れてきて、リナはかなり冷静になっていた。淡々と質
問を進める。
「恋人のキスってのは、恋人同士がするものよね?」
「そりゃそーだ」
「そうね、その通りよね。そこら辺は分かってるのね。
 じゃあガウリイ君、ここで問題です。あたし達って恋人同士?」
「……どーだったっけ?」
「ちっがう! でしょ!?」
 むき〜! と、リナは頭を掻きむしる。
「だからっ! キスするまでにはそれなりの手順とか、段階ってもんが必
要だっつってんのよ!
 あんた、『キスしたい』って言う前に、何かあたしに言うことがあるで
しょ!?」
「……おお! そっか!」
 ガウリイはやおらポンと手を打ち、
「……言ってなかったっけ?」
「聞いてないわよ一言もっ! いっつも保護者保護者って言ってばっかり
じゃないっ!」
「そっか……悪い悪い、忘れてた」
「忘れるなああっ……って、え?」
 リナの怒鳴り声が、急に小さくなる。突然立ち上がって、真っ直ぐ自分
を見下ろしてきたガウリイに、気圧されて。
 心まで貫くような、蒼の瞳。
 それは優しさを湛えたまま、静かに言った。
「好きだ、リナ。オレの恋人になってくれ」
「……よくできました」
 再び頬を染めて、リナがぼそりと返す。その愛らしさに、ガウリイはま
た子供の笑顔に戻って、
「じゃあ、いいよな♪」
 ニコニコと身を屈めてくるガウリイを、リナは慌てて制した。小さな手
を彼の顔に押しつけ、ぐいぐいと押し返す。
「ちょおっと待ちなさいっ! あたし別に、『あんたの恋人になる』なん
て言ってないでしょ!?」
「だめかぁ……?」
 途端に、ガウリイが泣きそうな顔をする。
 自分の一言にいちいち一喜一憂している彼が、リナにはおかしくてたま
らなかった。
「……ダメとも言ってないけど?」
「なら、いいのか?」
 真面目に聞かれて、一瞬、リナは考えた。





 ……どうだろう?
 自分は彼と同じ様な想いを、彼に対して持っているのだろうか?
 自分でもわからない。……でも。
 悪くない。
 こんな風に、彼に想われるのも。彼の傍にいることも。
 だから。





「……そうね」
 リナはにっこりと、唇で笑みを描いた。
「試しになってあげても、いいかもね。
 ……これまで以上にこき使ってやるから、覚悟なさい?」
 挑戦的な瞳で、ウィンク一つ。
 ガウリイは苦笑しながら『了解』と呟いて――


 そのまま逞しい腕の中に引き寄せられても、リナが抗うことはなかった。






 で、その夜。
 ガウリイはいきなりリナの部屋に訪ねてきて、一言。
「リナ、愛してる。オレと結婚してくれ」
「はあ!? なぁあに言ってんのよ、あんた!」
 それまで読んでいた魔道書をばさっと取り落とし、リナは素っ頓狂な声
を上げた。顔は例の如く、真っ赤に上気している。
 途端、ガウリイは例の『捨てられた子犬のよーな』瞳で訴えてくる。
「……嫌か……?」
「……ヤ……ってわけじゃ……ない、けど……」
 シドロモドロになって答えると、ガウリイはにぱっと笑った。
「じゃ、いいよな♪」
「へっ?」
 突然抱き上げられて、リナは慌ててガウリイの首にしがみついた。構わ
ず、ガウリイはすたすたと部屋の奥へ進む。向かう先は――
「ちょっと待ていっ! あんた、一体何を考えて……!?」
「だって。ちゃんと手順を踏めば、いいんだろ?」
「そ、それとこれとは……っ! こっちの都合ってものも考えて――」
「だめ。もう手遅れ。てなわけで、な♪」
「や、ちょっ……本気で待っっっ……………………にゃああああっ!?」






 ……ひょっとして……うまく騙された……?


 翌朝。
 自分をぬいぐるみよろしく抱きかかえたまま、すぴょすぴょ眠りこける
彼を眺めながら。
 まんまと彼の作戦にはまってしまったのかもしれない、と。
 気怠い身体を慰めつつ、リナは本気で頭を悩ませるのだった。

                              END