the distant wish 〜遠い願い〜 |
あたしは一人、深い霧に包まれた森の中にいた。 ちなみにあたしの自称保護者は今ここにいない。 「あれほどはぐれるなって言っておいたってのに……しょーがないわね」 霧はますます濃くなっていく。すでに自分の足下さえ見えなくなって来つつあった。 「ここまで濃くなっちゃ下手に動かない方がいいわね。さて……」 明かりの呪文を唱えてあたしは腕を組んだ。髪も服も霧でしっとりと濡れてしまっている。このままでは風邪をひいてしまう。 かといってこの霧を避けられそうな場所は…… 「ん?」 霧の中にぼんやりと明かりが見える。どうやらあたし達以外にもこの霧に巻かれた人がいるようだ。 「ここでじっとしててもしょうがないし……行ってみるかな」 そうと決まれば善は急げ。あたしは足下を確かめながらその明かりの方へ歩き始めた。 「小屋か……」 明かりは森の中に建てられた小屋の窓から漏れだしていた。 「すいません、ちょっと良いですか?」 扉をノックするとすぐに開けられた。中にいたのは身なりの良い一人の女性だった。 グリーンのドレスを着た金髪の、はっきり言ってこんな所にいるのはおかしいと思えるその女性はあたしを見て目を丸くした。 「あらあら大変、びしょぬれじゃないの。風邪ひいちゃうわ、さ、お入りなさいな」 「あ、どうも……」 あたしは頭を下げて小屋の中に入った。小屋の中の暖炉には火が入っていて冷えた身体には心地よかった。 水分を含んで重くなったマントを外していると、女性は一枚の布を持ってきた。 「さ、これで髪を拭いて……貴女お一人?」 「いえ連れがいます。ただこの霧ではぐれたみたいで」 「そう。でも霧が晴れるまで探すのは無理ね」 そう言いながらその女性は持ってきた布であたしの髪を拭き始めた。 「あ、いいです。自分で出来ますから」 「そう?」 布を渡してくれたものの、さみしそーにこっちを見ている。何だか捨てられた子犬のような視線に、何だかこっちが悪いことをしているような気分になってくる。 「あの……」 「なに?」 「髪……拭いて貰っても良いですか?」 「えぇもちろん♪」 女性は嬉々としてあたしの髪を拭き始めた。おもわず漏らしそうになった溜め息を何とか飲み込む。 「ごめんなさいね、我が儘言って……私、人の髪をいじるのが大好きなの」 「はぁ……」 「ね、貴女のお名前は何ていわれるの?」 いつもならここで「人に名前を聞きたいなら先に名乗ったら?」と言うところなのだが、こう無邪気に尋ねられると邪険にも出来なくなってくる。 「リナ、です。リナ=インバース」 「リナさんね。可愛らしいお名前ね。私はソフィアといいますの。よろしくねリナさん」 ……たいていあたしの名前を聞くと驚いたりするのだが。このソフィアさんの反応は結構珍しい。 はっきり言ってあたしの知名度はかなり高い。まぁ、お世辞にも良い噂と言えないものが多いのが玉に傷なのだが。 こんな本当なら普通の反応をされるとかえって驚いてしまうのだから良いんだか悪いんだか…… 「リナさんはどちらへ行かれるの?」 「ゼフィーリアです。久しぶりに里帰りでもという事になったんで」 「まぁお里帰り?良いわね。 ……ときに、リナさんのお連れの方って、男性?」 「えぇ、まぁ」 ソフィアさんはそれを聞くと嬉しそうにあたしの手を握ってきた。 何だか嫌な予感がする。 「まぁ!それじゃ、お里に着いたら結婚式なのね!?」 「へ?………け、結婚式!?!?」 や…………やっぱりぃっっ!! 一瞬のうちにあたしは真っ赤になってしまった。そんなあたしを見てソフィアさんは嬉しそうにころころと笑った。 「そんなに赤くなっちゃって、照れてるのね♪……じゃあ恋人とはぐれてしまったのね。心細かったでしょう」 「こっこっ恋人!? 違います!!ガウリイは、あいつはそんなんじゃありません!!」 「あらどうして?」 「あいつにとって、あたしはそーゆーのの対象じゃないんです。勝手に保護者を名乗って一緒にいるだけだし」 きょとんとした顔でソフィアさんは小首を傾げた。 「リナさんって、保護者がいるようには見えませんわよ?とっても素敵で可愛らしい娘さんだと思うけど……」 「でも、あいつにとっては子供なんです。あたしは……いつまでたっても」 俯いたあたしを、困ったようにソフィアさんが見ているのが分かった。 けど、本当のことなんだからどうしようもない。 正直、ガウリイがあたしの故郷に行きたいって言い出したときはびっくりした。若い独身の女の子の家に男性が行くってのがどういう意味にとられるか、いくら何でも知ってると思ったし。 けどま、蓋を開けてみれば単なる食欲だったんだけど。 あいつにとって、あたしはいつまでたっても保護者の必要な子供なんだっていう事……それが良く分かっただけで。 「ね、リナさん。私良い物持ってるの。ちょっと待ってて下さる?」 暗くなってしまったあたしにそう言って笑いかけると、ソフィアさんは小屋の隅に置いてあったバッグの中から小さな包みを取り出した。 「お茶飲みましょう?ね?」 あたしの持っていた小さなポットでお茶を入れる。 香茶の良い香りが小屋の中に広がっていった。 香りで分かる。これは一級の茶葉だ。 「なんか……こんな所で入れるのに使ったらもったいないですね」 「いいのよ。お茶にはそれを飲むのに一番良い時と必要な時と二つあるの。今はこの香茶が必要な時。 さ、良いわ。飲んで下さる?」 「ありがとう、ございます」 あたしが口を付けるのをソフィアさんはにこにこしながら眺めていた。 「おいし……」 「でしょう?それに、香茶には気分を落ち着かせる効果もあるのよ」 微笑んでソフィアさんは香茶のカップをそっと両手で包み込んだ。 「この香茶は私も大好きなの。昔よく飲んだわ」 「昔?」 「えぇ……もうずっと飲んでなかったわ……」 そう言ったソフィアさんは何だかひどく悲しそうだった。 「ねぇ」 「はい」 「リナさんはその連れの方がお好きなのね?」 いきなり核心をつかれてあたしは思いっきりむせかえってしまった。咳き込むあたしの背中をさすりながらソフィアさんは母親のような笑みを浮かべた。 「私はリナさんの連れの方を知らないからあまり色々言えないけれど、でもその方もきっとリナさんのことをお好きだと思うわ」 「そんなこと……」 「ない。そう考えているのね」 「だってあたしは……あたしといたから……」 ガウリイと出会ってからあった事件。それはどれも生易しい物なんかじゃなかった。ガウリイもあたしも……死にかけた事なんて珍しくない。 今だっていつ魔族に襲われるか分からない、そんな状態。 あたしと一緒にいたせいで、ガウリイは大事にしていた光の剣を失った。 あたしと一緒にいたせいで、何時だって命を危険にさらしている。 ガウリイが危険な目に遭うのは、いつだってあたしのせい。 ガイリア・シティであたしと一緒にいるのに理由なんていらない、そう言ってくれたときは、正直言って…すごく、嬉しかった。 でも、同時に苦しかった。 いつかあたしのせいでガウリイが命を落とす時が来る。ミリーナのように些細なことで命を落とす可能性だって決して低いわけじゃない。 その時あたしはどうするんだろう。ルークのように、憎しみで何も見えなくなってしまうんだろうか。 いつだって頭の隅でガウリイと別れることを考えていた。 それでも一緒にいたくて……離れたくなくて…… 「大丈夫。貴女の大切な方は、大丈夫」 気がつくとあたしはソフィアさんに抱きしめられていた。 「自分のせいで、その方を失ってしまうのが怖いのね?……大丈夫。貴女達なら絶対に」 「何でそんなことが言えるんですか!ソフィアさんは知らないのに!あたしといるせいでガウリイがどんな目にあったのか、何も知らないのに!!」 叫びだしたあたしをソフィアさんはただ黙って見つめていた。 「何時だってあたしのせいで事件に巻き込まれて!大切にしてた物もなくして死にかけて!」 「でも、今も貴女と一緒にいる」 目を見開いたあたしに、ソフィアさんは静かに話し始めた。 「確かに、今リナさんが言われたことがあったのでしょうね。苦しい事も、辛い事も、悲しい事も、私が想像出来ないくらいたくさん。 ……それでも、その方は貴女の傍に居続けた。貴女の傍から離れる機会はいくらでもあったにも関わらず。 それは、貴女が大切だから。私はそう思うわ。その方が無くした物よりも。 大変だった事、辛かった事、苦しかった事、そういうもの全てを差し引いてもリナさんと一緒にいることが大切なのよ」 「でも……」 「それに、いつもいつも辛い事ばかりだったわけではないでしょう?楽しかった事、嬉しかった事は辛い事よりずっとたくさんあったのではないかしら? リナさん自身はどう?楽しかった事とかは何もなかった?」 「………いっぱい、あります………」 ソフィアさんはにっこりと笑った。 「でしょう?だから大丈夫。何があっても、貴女とその方が一緒なら。でも」 ずいっとソフィアさんが身を乗り出して言った。 「その大切な方に何も言ってないだなんて。だらしないにも程があるわ。自分の大切な方を不安にさせたままにしておくなんて、男の風上にも置けないわ。一度ぎゅーーーーーっっと締めてやらないと」 その言い方が何だか妙におかしくて。思わず吹き出したあたしを見てソフィアさんも笑い出した。 「そうそう。リナさんは笑顔が一番だわ。どんな女の子も、笑顔は2割り増しって言うでしょう?」 「…………それって、どーゆー意味です?」 思わずジト目になったあたしにソフィアさんはころころと笑った。 「あら、私何か気に障ること言ったかしら?」 ……時々妙につかみ所のない人だわ。このソフィアさんって人。 でも何だか元気が出たみたい。 「リナさん、こんな伝説はご存じかしら。 花嫁が何か『新しい物』『古い物』『借りた物』『青い物』を身につけると幸せになれるっていう伝説」 「いえ……」 「私も結婚したときに初めて聞いたんだけど」 「結婚!?ソフィアさん結婚されてるんですか!?」 「えぇ。これでも息子が二人おりますのよ。上の子はもう結婚しましたし」 見えない。全っ然見えない。 どこから見ても20代。頑張って年上に見ようとしても精々30代がやっとだ。 なのに上の息子さんはもう結婚してる!? 一体いくつで子供生んだんだろこの人。 「このペンダント、私が結婚するときに主人のお母様にいただいた物なの」 そう言ってソフィアさんがあたしに手渡した物は見事なスターの入ったルビーのペンダントだった。 「これは主人の家に代々伝わる物なんですって」 「へぇ……」 あたしも今までいろんな宝石を見てきたけど、ここまで見事な物は初めて見た。しかもこの色……ルビーの中でも最上級のピジョン・ブラッドだろう。 「それ、リナさんにあげるわ」 「えぇぇええええっ!?」 ソフィアさんは顔色一つ変えずにっこりと微笑んでいる。 「そんな、こんな大事な物貰えません!!」 そりゃあ、こんな見事なスタールビー、欲しくないと言ったら嘘になる。でもいくらなんでも代々伝えられてきた物をはいそうですかって貰えない。 「いいの。それはリナさんに持っていてもらいたいし」 「でもっ。 あ、そうだ。確か息子さんが二人いるって言ってたじゃないですか。下の息子さんの花嫁さんに渡してあげた方が良いに決まってます!!」 「下の子は……今行方が分からないの」 「え?」 「下の子はね……一番愛情が必要な時にそれを注いでやれなかったの。いえそれよりもっと酷い事をしてしてしまったわ。私のせいで。その為、あの子には誰かを愛することも、信頼することも教えてやることが出来なかった。 あの子はもうずっと前に家を飛び出してしまったの。ごたごたばかり続く家に嫌気がさして、その原因となる物を持って。そしてそのまま……行方が分からなくなってしまったのよ。 だから」 ソフィアさんはそう言ってあたしにペンダントを握らせ、あたしの手の上からそれを握りしめた。 「リナさんに持っていて欲しいの。貴女がこれからずっと幸せでいられるように……」 「それでも、やっぱり……」 「受け取って下さらないの?」 「う………」 ソフィアさんはあたしの手を握りしめたまま大きな青い瞳をうるうるとさせた。 その捨てられた子犬のよーな瞳にあたしが弱いって事……ひょっとして気がついててやってるんじゃあ…… なんか……ちょっぴしガウリイに似てる気がする…… 「分かりました。で・も!これはお借りするだけです。さっきの四つの中に借りた物も入ってましたよね。これをそれにします」 「私は貴女に差し上げたいのに……」 「そうでなきゃ受け取りません。 ……まぁ、何時になるか分かりませんけど、結婚したらお返しに行きます。ソフィアさんはどこに住んでらっしゃるんですか?」 ……あれ? なんだろ……何か急に眠い…… 「私の家なら……ちゃんと知ってる人がいますわ……貴女のすぐ傍に……」 え………? 「あの子を救ってくれて、ありがとうリナさん……」 何? 何なの? 聞きたいことは沢山あったけれど、あたしの意識は強烈な睡魔の前に闇に閉ざされていった。 「……ナ……リナ……」 誰かがあたしを揺さぶっている。 「起きろよ、リナ」 「うぅ〜〜〜〜〜ん………あれ………」 「よ。おはよ」 上からあたしをのぞき込んでいるのは、自称あたしの保護者のガウリイだった。 「目が覚めたみたいだな」 「ガウリイ……」 「霧の中で迷ってたらさ、ぽつんと明かりがついてて。そっちに進んだら小屋があってリナが寝てた。とまぁそんなところだ」 「あたし一人だった?」 「あぁ、そうだけど?」 ってことは、ソフィアさんはもう出発したんだ。一人みたいだったけど大丈夫なのかな? ふとガウリイを見ると小屋の窓から射し込んだ朝日が、彼の見事な金髪を照らしていた。 ソフィアさんと同じ、金色の髪…… 「これは……」 かぶっていた毛布を畳んでいたあたしは、その声に振り返った。 「あ、それ!返してよ」 「どうしたんだこれ」 ガウリイが見ているのはソフィアさんのペンダント。 「夕べここにいた人から預かったのよ。ソフィアさんっていう人」 「ソフィア……」 「そう。彼女の家に伝わる物なんだって。何でだか知らないけどあたしに持ってて欲しいって言って置いていったのよ。ちゃんと返さなきゃいけない物なんだから落っことして傷なんかつけたりしないでよね」 ガウリイの手からペンダントを取り戻して丁寧に柔らかな布で包み鞄にしまう。それをただ黙ってガウリイは見ていた。 「あたしがある事をしたら返すことになってるんだけど……問題はソフィアさんの家がどこか分からないって事なのよね。あたしの近くに知っている人がいるようなこと言ってたんだけど」 「……そっか」 「?」 ガウリイはくすりと笑うといつものようにあたしの頭をくしゃくしゃと撫でた。 「髪が傷むからやめてって言ってるでしょ」 「そうだっけ?」 「ったく、あんたってばほんとくらげ頭よね。 さてと、さっさと朝ご飯食べて出発しましょ。ガウリイ、携帯食料出して」 あたしがそう言うとガウリイはにやりと笑って暖炉の方を向いた。 「そーくると思ってもう出しといた」 「ををっあんたにしちゃ手際のいい!!こりゃ急いで出発しないと大雨になるわ。それとも雪かしら」 「あのなぁ」 いつもと同じ、いつものやりとり。 ソフィアさんの言っていた通り。いつものあたし達なら何があっても乗り越えていけるはず。 だから歩いていこう。 一人じゃないから。いつも何も言わずにあたしの背中を守ってくれる人がいるから。何があっても、それだけは変わらない。 いつかまた、ソフィアさんに会えた時、胸を張ってあのペンダントを返せるように。 ずっと、二人で。 ね、ガウリイ。 「なぁ」 「何?」 「リナがするある事って何だ?」 「……ないしょ。秘密。教えてあげない」 あんたがはっきりさせるまで、ね。 |