Fanta Festa











 夜を彩るのは、赤いかがり火。
 ランタンに灯された光は煉瓦造りの道を照らし、更に濃い色を重ねている。
 すっかり日暮れた街は、しかし多くの人で賑わっていた。色とりどりの旗で飾
り立てられた大通りには、人々が歌い、踊り、笑いさざめいている。


 祭りの、夜。
 一年の収穫を感謝し、神に祈りを捧げる、神聖なる儀式の時。




 ふっ、と。
 繋がれていた手が、ほどかれた。
 青年はぼんやりと前方を仰ぐ。
 たった今まで手のひらにあった温もりは、既に数歩先に進んでいた。
「ほら、ガウリイ。あっち」
 通りの先を指さしながら、軽くステップを踏む。つま先でターンして、ふわり
と微笑む。
 柔らかな髪を結ぶリボンが、ひらひらと揺れて誘っていた。
 闇の中、燃える火に照らされた彼女は、ひどく儚げに見えた。そして、それ故
に綺麗だった。


 祭り独特の、どこか怪かしの棲まう空気に、自分は毒されてしまったのだろう
か。
 思考も視界も、もやがかかったように頼りなく、ふわふわと不安定に揺れてい
る。
 まるで、夢の底を彷徨うような、気分。
 ただひとつの標は、きらきらと輝く赤い瞳。
 もう何年も自分を導き照らしてきた、たった一人の少女だけ。


 我知らず笑みを浮かべて、ガウリイは手を伸ばした。一度逃がした小さな手
を、再び自分の元へ取り戻す。
「ガウリイ?」
 少女は困ったような微笑みを浮かべた。
 こうして手を繋ぐのが、照れくさいのだろう。だが、その手はもう、振りほど
かれることはなかった。
「迷いそうだから」
 こうしていないと消えてしまいそうだったから。
 真実は告げず、からかいを含んだ言葉で誤魔化す。すると、少女はぷうっと頬
を膨らませた。
「まだ子供扱いする気!? 迷子になんかなりませんよ〜だ!」
 小さく舌を出す。
 そんな仕草すら愛しくて、青年は思わず苦笑した。
「じゃあ、オレが迷わないように、しっかり握っててくれ」
「……馬鹿」
 真っ赤になって呟く少女は、つい数時間前に、青年の恋人になったばかり。
 彼の想いを受け入れて、やはり今のように頬を赤く染め、自分の気持ちを告げ
てくれた、彼女。
 もう長い間、共に時を過ごしてきた間柄とはいえ、二人にとって新しい関係は
まだぎこちなく、また新鮮なものだった。
 繋ぐ手の温度すら、二人を照らすかがり火のように、熱い。




「さあ、今年最初の『恋人たちのワイン』だよ!」
 通りの先から声が聞こえてくる。
 見れば、大きな樽の周りに、沢山の若者達が集まっている。それぞれの手に
は、なみなみと紅の液体が注がれた、グラス。
「……どうする?」
 少女が上目遣いに尋ねてくる。青年は聞き返した。
「リナは、信じてないのか?」


 感謝祭の夜。
 ワインを酌み交わした男女は、永遠に結ばれるという。
 彼女の故郷の、伝説。
 本来、それは互いの愛を確かめるものであって、夫婦や家族の間でも行われ
る、伝統的な習慣だったのだが。
 やはり主役は、若い恋人たち。


「……そりゃ、あたし、迷信なんて信じるタイプじゃないもの」
 唇をとがらせて、彼女。
「実際、あたしの友達にも沢山いたわよ? 感謝祭の時には伝説を信じきってた
のに、半年もしないうちに別れちゃったって人」
 そう言って、眼前で幸せそうに微笑む若者達を、見据える。その瞳には、少女
の年齢には不似合いな、冷めた感情が宿っていた。
 青年は苦笑する。
 彼の小さな恋人は、時折こんな、妙な達観した表情を見せる。それを重々承知
しての、苦笑だった。
「いいじゃないか。せっかくだから、伝統には従おうぜ?」
 彼は少女の手を引いて、若者達の輪に入った。




 街中の人々が、今日のこの日を楽しんでいる。
 遠くから聞こえてくる、人々の笑い声、そして音楽。おそらくは広場で、ダン
スでも始まっているのだろう。
 リナとガウリイは、そんな街の夜景を、少し離れたところから眺めていた。


『なあリナ、どっか静かなところ、行かないか』
 そう言ったのはガウリイ。
 滅多にない彼の提案に、リナはあっさりと同意した。
 今までの二人なら、旅先で祭りに出会えば必ず、屋台の食い倒れツアーにのめ
り込むはずだったのだが。
 今日は何となく、そんな気分になれなかった。
 何しろリナにとっては、初めて大切な人と過ごす感謝祭だ。例え、相手が少々
デリカシーに欠けるクラゲ氏とはいえ、少しくらいムードに浸ってもいいではな
いか。
 条件に見合う場所を探し、リナが頭をひねっていると。
『あ、あそこがいいや。あそこ行こうぜ、リナ』
 そう言ってガウリイが指さしたのは。
 事もあろうに、教会の尖塔のてっぺんだった。


「まあでも、あんたにしてはいい選択だったかもね」
 リナはくすりと笑う。
 街の中央にそびえ立つ、美しい教会の、塔の上。
 大きな鐘を吊る下げた正にその下に、二人はいた。誰もいない教会の裏から、
浮遊の術でここまで上がってきたのだ。
 とりあえず静かだろうということで、それ以外のことに関しては特に期待して
いなかったのだが。
 上ってみて初めて、リナはそこが、完全に条件を満たす場所であったことを知
った。
 眼下に広がる、無数の灯火。街のストリートが、赤い光点によって描き出され
ている。そして、かすかに耳に届く、祭りの音。テンポのいいダンス曲も、遠く
離れれば心地よいBGMに代わる。
「ここから街を見下ろそうなんて、今まで考えてもみなかったわ」
 ワインの入ったグラスを夜景にかざしながら、リナは嬉しそうに目を細めた。
「きれいね……」
 ガウリイは、景色からリナに視線を移す。
「……ああ、そうだな」
 しばし、二人に沈黙が訪れる。




「なあ、リナ」
 グラスをもてあそぶリナを見つめたまま、ガウリイが口を開いた。
 リナはゆっくりと振り返る。今は赤い光を映した美しい髪が、風に煽られて闇
に舞った。
「何?」
「思ったんだが」
 真っ直ぐ見つめてくる瞳からは視線を逸らし、ガウリイは続けた。ゆるゆると
グラスのワインを揺らす。
「さっきの、さ。『迷信なんて信じない』ってヤツ」
「おおっ、ガウリイにしては珍しく覚えてるわね」
「……あのなあ……まあ、とにかくだ」
 ガウリイ、一つ咳払い。
「別に、信じてなくてもいいんじゃないかって、さ。思ったんだ」
 ふいと目を泳がせる。街の灯を、見下ろす。
「言い伝えなんてどうでもいいんだ。オレも、そんなもんに頼ろうとは思わない
し」
「…………」
「でも、さ。きっかけには、なるだろ?」
「…………」
 リナは無言で聞き入る。
 ガウリイは自然な仕草で天を仰いだ。その瞳は閉じられる。
「ずっと一緒にいようって思う、きっかけ。
 毎日一緒にいるとさ、それが当たり前になっちまって、ただ一緒にいられるだ
けでどんなに幸せかってこと、忘れちまうだろ?
 こういうきっかけがあれば、それを思い出せるじゃないか。
 たとえその気持ちが半年先には変わっちまうものだったとしても、その時『ず
っと一緒にいたい』って思った気持ちは、本物だから――」
「……だから?」
 リナが促すと、ガウリイは一瞬、戸惑ったように台詞を切った。
「だから、さ。
 ……大事なのは、一緒にいたいって思うこと……じゃ、ないか?」
 振り返った彼は、照れたような笑みを浮かべていた。
 リナもつられて苦笑する。
「……へえ? あんたにしちゃ、随分と頭使ってるじゃないの。天変地異の前触
れかしらね」
「おいおい。ひでえなあ」
「……でも」
「ん?」
 そこで、リナは柔らかに微笑んだ。
「あたしもあんたに賛成」
 言って、ガウリイの手に包まれたままのグラスに、自分のそれを触れさせる。
 かちん――と澄んだ音が響いた。
「だから」
 きょとんとするガウリイに、不敵な色を閃かせた、一言。
「一緒にいてあげるわ――たとえ明日、あんたのせいで天地がひっくり返って
も、ね」
「……そりゃ、光栄だ」
 軽い口調とは裏腹に、彼の瞳には真摯な熱がこもっていた。
「オレも誓うよ」
 グラスを合わせる代わりに、彼女の頬に指先を這わせる。
「いつまでも、リナの傍にいる。世界中の何もかもが、お前の敵になっても」
 ――そして、二人から言葉が消える。



 どちらからともなく触れ合った唇は、しかし何よりも確実に、互いの想いを物
語っていた。



「――物騒な例えを持ち出してくれるわね」
 唇が離れた後、リナが呟いた。頬を真っ赤に染め、少しだけ怒ったようにガウ
リイを睨みながら。
 彼女なりの照れ隠しがひどく可愛らしくて、ガウリイはくすくすと笑った。
「そうかー? そうなる日も近いって気がするんだが」
「何ですってえええっ!?」
「ホントにそうなってもいいけど。そしたら、リナを独り占めできるし」
「妙な願掛けしてんじゃないわよっ! どこの世界にそんなお願い叶えてくれる
神様がいるっての!?」
「別にオレ、神様なんかに誓った覚え、ないぜ?」
「はあ!?」
「だってリナ、神様なんて信じてないだろ? だから」
「……じゃあ、何に誓ったの?」
「そりゃ勿論」
 ガウリイは素早くリナの髪を手に取った。ふっと目を細め、
「リナに」
 手の中の髪に、恭しく口づける。
 瞬間、リナの顔に血が上った。耳まで艶やかなに染まる。
「あ、あんたっ! いつからそんなキザな科白吐くよ〜な男に……」
 言いかけた言葉は、ガウリイによって簡単に遮られてしまった。
 今度は少しだけ強引に、唇が重ねられる。
「……ん、ん……!?」
 こちらの抵抗をものともせずに滑り込んできた舌と、口に広がる甘い香り。
 リナは両の目を見張った。ようやく唇を解放され、リナは羞恥で口元を押さえ
る。
「……あ……あんた今、何を……!?」
「いやぁ、同じグラスから飲んだ方が、効果あるんじゃないかと思って♪」
「だからって口移しで飲ませるなあああっ! 大体あんた、言い伝えなんかに頼
らないんじゃなかったの!?」
「そこはそれ、時と場合ってヤツだな」
「何が時と場合だっ、このくらげえええっ!」
 絶叫と共に飛んできた拳を、ガウリイは笑いながら受け止める。勢い込んでバ
ランスを崩した彼女を、ここぞとばかり両腕に閉じこめて。
 じたばたと藻掻く彼女に一言、
「愛してるよ」
 耳元に囁くと、それまで暴れていた腕と頭が、止まった。
「……もう……」
 諦めて、自分を戒める腕に手を添える。




 遙かな下界では、祭りが最高潮の時を迎えようとしている。
 そんな賑やかさとは遠く離れたその場所で、二人もまた、違う意味での最高の
時を味わっていた。

                              END

<解説(?)>
 最後までおつき合いいただきまして、ありがとうございました。翠と申しま
す。
 15巻その後……の、つもりだったんですが、いかがでしたでしょうか?
 元ネタは『Kirche』というユニット(知る人ぞ知る、PS用RPG『ク
ロノクロス』のエンディングテーマを歌っておられるボーカル・みとせのりこ様
のユニットです)の歌、『鬼さんこちら』です。
 あまりにマイナーで、誰もご存じないかも知れない……(汗)